2019年5月29日水曜日

サヘル・ローズ(タレント)        ・【心に花を咲かせて】イランはバラの国だから

サヘル・ローズ(タレント)     ・【心に花を咲かせて】イランはバラの国だから
TV、舞台で活躍しているサヘルさんはイラン人です。
私にとってイランは遠い国で、たまにニュースで知る映像には花や緑はなかったように記憶しているんですが、サヘルさんいわく、イランは薔薇の国だそうです。
サヘル・ローズと云う名前も薔薇ですよね。
この名前は養母であるフローラ・ジャスミンさんがつけてくれたもので、フローラさんが薔薇が大好きなことから名付けられたと言う事です。
実はサヘル・ローズさんは1980年代のイラン、イラク戦争の時代に生れて、孤児になり児童養護施設で暮らしていました。
学生時代からボランティア活動に熱心だったフローラ・ジャスミンさんがサヘルさんがいる児童養護施設を訪ねてサヘルさんがフローラさんになついて、「ママになって」と願ったことからフローラさんはサヘルさんを養女としたのです。
当時フローラさんは独身でした。
その後知人を頼ってサヘルさんが8歳の時に、二人は来日、その後の暮らしは苦労の連続で涙なしには聞けないものでした。
今はサヘルさんがTV、ラジオ、舞台で活躍するようになって、お母さんと二人沢山の薔薇を育てて幸せに暮らしています。
サヘルさんにイランと言う国の事、これまでの人生と薔薇の話を伺いました。

イランと言うと砂漠地帯で砂漠というイメージがあると思いますが、日本と同じように四季があります。
四季折々の花があり、季節をちゃんとお花のカレンダーで楽しむ国民性で薔薇は国花であって、ダマスカスがフランスに送られて香水になったりします。
元はほとんどイランの薔薇です。
早朝の薔薇ツアーがあり、薔薇は早朝に良い香りをするので早朝に紡いで、機械で絞りだして薔薇水を作って、それをお土産に帰ってもらいます。
至るところに薔薇が植えてあって国中が薔薇の香りがします。
バラジャムもあり、デザートの中にも必ず薔薇が添えられています。
毎晩花屋さんにいって、お父さんたちが家に帰るまえにお菓子と花束を買って帰るんです。
家族に花をプレゼントすることによって、花のようにいつも豊かで温かい気持ちでいようと、花を愛でる文化なんです。

私はフローラさんと出会い、養子縁組が成立して8歳で日本に来ました。
「おしん」を見て育ってきたので、日本に来たら全然違って衝撃でした。
公園で生活しなければいけない時期もあり、食べ物も無かったり、色んな過酷な環境で生活してきましたが、いつも私の手を握ってくれていたお母さんフローラの存在が大きかったです。
どうして余り苦しいと感じなかったかと言うと、育ててくれたお母さんが本当に苦しい事があっても、彼女が全部受け止めてくれて、私にはそれを感じさせないようにしました。
お母さんは身を削って、働いたり、食べ物を与えてくれたり、冬場でも穴の空いた着物を着て、私には綺麗な洋服を買ってくれて、私が頑張るのは貴方が普通の子として生きて行ってほしいし、生活させたいからとすべてを犠牲にして私を育てて下さった人です。
「自分は血は繋がってないけれど、サエルを世界一愛してる自信がある」と言ってくれて、その言葉は凄くうれしかったです。
いつも一人ぼっちで、血のつながりって良いなあと思っていましたが、大人になるにつれて血のつながりだけがすべてではない、心で繋がる事がすごく大事だと思いました。
心で繋がり合っているので不思議と顔、声、喋り方がお母さんに似てきたなと思います。

或る時、お母さんから言われたのは「サヘル、お願いがある。 次生まれ変わった時にはお母さんのお腹の中から出て来てくれる。 お願い」と言われました。
本当に全てを愛してくれているんだなあと思い、どんな親子よりも彼女との親子関係を誇りに思っています。
お母さんを心配させたくないと思って、本当に苦しい時に或る時からお母さんの前で優等生の自分を演じるようになっていました。
お母さんは強い人だと思っていましたが、或る時に家でお母さんが一人で泣いている姿を見た時に、母親も私の為を思って優等生のお母さんを演じていて、大人だから泣いてはいけないと思ってしまうけれど、そんなことは本当はない、どこかで心の中にもっているチャイルドは誰しも持っている物で、苦しい時に苦しいと言える環境って、お互いに作る事ってすごく大切で、私はそれを気付いてあげられなかった。
苦しい事は苦しいと言っていいんだと言う事を母に云えた時に、お母さんも本当の姿を見せてくれて、やっとお互い理解しあえました、それが中学3年生でした。
それまでは偉大なお母さんだと言う事があり、プレッシャーを感じながら生きてきました。

私も頑張り過ぎて心が崩壊した時がありました。
頑張ると言う言葉はあまり好きではなくて、いい加減に生きることも大切です。
加減を見て生きると言う事も、人生の中で学んでいくことも大切かなと思います。
「あなたとわたし」という詩集を出しました。
私も居るけれど貴方と言うもう一人の自分がある、どちらも認めてほしいと思っているんです。
愛されたいと思っている時期があって、どこかで不安を感じながら生きていた幼少期の時に、全体を通して出さなかった自分の心の弱さをいつも文章で溜めていました。
国民性でイランの人はみんな詩人です。
言葉に対して敏感な国民性です、詩を愛でる国です。
学校の授業でも詩を書きます。
去年一冊の詩集にする機会を得ました。
私が持っている闇とか孤独は決して汚いものではない、人の孤独や闇は誰しも抱えているもの、それを私は言葉にして提示することによって、それぞれが思っている孤独や闇は決してマイナスではなくて、仲間がいるんだと言う事を思ってもらいたいと思ってこの本を書きました。
最初のページが「私を愛してほしい」、最期のページが「あなた自身を愛してほしい」表表紙と裏表紙になっています。
自分を愛した時にやっと人が愛せるんですよね。
弱さは長所に変えられる、強くなる必要はない。
弱い自分自身もたいせつに包んでほしいとの思いでこの一冊を書きました。

お母さんが居てやっと私が存在する。
苦しかった人生だったのかもしれないけれども、良い経験をしたなと思います。
幼少期、養護施設で生活したこと、家が無かった時代、ご飯が無かった事、いじめられたことも全部今の私を作ってくれた土台、血となり肉となっているので、いい人生だったと振り返られる様な大人になれたので良かったです。
悩みながら出会った方々に救われました。
一人では決して人間一人では生きていなくて、誰かが必ずどこかで背中を押してくれたり支えてくれたりする人がいるから、人は生きられるものだと思っています。
お母さんもそうですが、多くの日本の方々に救われて育ててもらった人生なんです。
公園で生活している時にも家にかくまってくれたのも給食のおばさんですし、ご飯が無い時にもスーパーで働いている人がご飯をくれたり、全てが人と人がつなげてくれたご縁によって生かされてきて、ペルシャ絨毯に例えると縦の糸と横の糸が重なって人生が織り込まれていくことで私と言う絨毯が完成されてゆく、色んな糸を貰って自分の人生を作っているんだなあと思います。

お母さんが「今は自慢の娘だ」と言ってくれるのが何よりうれしいです。
今度は私が仕事をするようになり、これからはお母さんには好きなことをやってもらいたいと思います。
お母さんは日本語、社交ダンスを習いたいと言う事で通っていて、ガーデニングもしたいという事でお母さんのやりたいことをさせてあげたりとそれをエネルギーにしています。
お母さんは「私がいなくてもこのお庭には私の魂があるから、ここでお母さんの事を思い出してほしい、この庭はそのためのお庭」と言われました。
今私は110種類の薔薇を育てています。
お母さんは「そこにもう一個のお母さんの夢を叶えて欲しい、サヘル・ローズという薔薇をつくって、それがお母さんの最期の願い」と言われ、叶えてあげたいと思います。
お母さんと共に施設の子どもたちに対しても支援をしているので、仕事を頑張っていきたいと思います。
4万5000人以上の子どもたちが社会的養護化で自分の家では生活ができないので施設、里親、乳児院に受け入れられているその数で、心のどこかに傷を負ったり、一人ぼっちになったりしていて、その子たちと対話をしたり旅行に連れて行ったりすることをお母さんと二人でやっています。

誰か信じてくれる大人がいれば人間って必ず変われる、それをお母さんから学んだので、今度は私が子どもたちと触れ合って行く中で、誰か信じてくれる大人がいて必ず人間は這い上がってこれるんだと、やれることが自分にはあるんだと自信を持ってもらいたいんです。
そういうローズモデルを世界中に作りたいんです。
その子どもたちに私の生い立ち、人生の話をします。
ハーフというのではなく純粋な外国人で日本の芸能界でやってゆくにはとても大変でした、ルビー・モレノさんと私ぐらい、でとっても苦労をしました。
日本人に似た顔つきであまり役がなく、やれるのは死体役ぐらいだねと言われて、5,6年死体役をやっていましたが、どこかで負けたくないと言う思いがありました。
がんばってきた結果自信があると言う事を自分の経験があるからこそ胸を張って言えるんです。
周りができないと言う周りの言葉は信じなくていい、貴方自身がやれるよ思って信じれば変われる、自分自身を信じることがまず大事、自分で道を切り開くことは出来るんだと言う事を子どもたちに経験を通して伝えたい。

よく強いんですねと言われるが、本当は弱いんです。
昔だったら隅っこで膝を抱えている子でしたが、大人になってこうして泣けている自分って良い事なんだなと思います、泣きたい時に泣く事ってすごく大切です。
泣きたいときに泣こうって思いました。
幸せを置き去りにしないためにも、自分の弱さ、辛さと向き合う事、毎日感謝をすることは凄く大事です。
最近感謝ノートを作りました、毎日その日その人の事を思い浮かべて誰にどういう感謝をしたかと言う事を5つ書くようにしています。
苦しい事の方が記憶に残る、幸せはどこかで凄い勢いで走って行く。
幸せの背中を見届けてあげた時に、ちゃんと幸せも走ってくれているからこそ、苦しいと思ってる辛い子の手も握ってあげられたら、この子の辛いと思っている背中を押してあげたら、今度前にもって行った時に辛さが幸せにくるタイミングが来ると思っています。

「私は貴方の視線から生れた」、という言葉を大事にしています。
お互いに目を合わせてその人の瞳に映っている自分を確かめてやっと自分が存在することを感じますので、なるべくその人をちゃんと見たいし、名前を確かめたいし、その人が存在している事を確かめてそれを声にだして伝えたい。
私は言霊の力を信じているので、なるべく出会った人の名前を確認したいと思います。
どんなに朝早くても母は玄関先で私のほっぺにキスをして、手を握って33歳の娘を送ってくれるんです。
母は「私にとっては最初に出会った時のずーっと7歳の小さなサエルだよ」、と言ってくれるんです。
母はずーっと私を育てるために必死で働いたので結構一人ぼっちなんです。
ガーデニングをするようになって声をかけてくれる人がいろいろ出来て、花が人とのコミュニケーションのツールになったんです。
お花が欲しいリスト表が出来ていて今順番待ちになっています。
お庭が集う場所になりました。
私にとっての夢はお母さんの名前を歴史に残すことです、こういうお母さんに育ててもらってこういう親子がいたと言う事を歴史に残したいと思います。
それを世界中にたたえたい、そのためにはもっと自分が大きな人間になって、いつかアカデミー賞を取ってオスカー像を御母さんにプレゼントしたい。
受賞のスピーチは世界中に発信されるので、お母さんの感謝の気持ちを述べたいのと、悩んでいる子供たちに対していい意味でローズモデルになれたらいいなあと思いますし、もっともっと自分自身が大きくなって児童養護施設、バングラディッシュのこと、社会の現状を伝えたい。
私の人生は人の為になにかをしたい人生で在りたい、偽善者と言われてもいい、人を幸せにしたい、人の幸せを見てやっと自分が幸せになれるので。