2019年5月9日木曜日

佐々木常雄(医師)            ・"がん患者"2万人に寄り添い続けて

佐々木常雄(医師)            ・"がん患者"2万人に寄り添い続けて
山形県出身73歳、弘前大学医学部卒業後、青森県立中央病院、国立がんセンター、都立駒込病院などで勤務し、2008年から4年間院長も務めました。
佐々木さんはがんの内科専門医としておよそ2万人以上のがん患者の抗がん剤治療に当たり、看取った患者はおよそ2000人と言われます。
現在日本におけるがん患者の発生数は年間およそ100万人、死亡原因の一位で死亡者全体のおよそ30%を占めています。
平成の時代に入ってからがんの治療は急速に進歩、放射線の治療ではがんの部分だけを叩く粒子治療、薬物療法ではがん細胞だけを選択して叩く分子標的治療薬も出てきました。
その一方で入院期間を短くするなど医療費削減、経営改善などから本人が望まないまま転院を求められたり、医師からの心ないコメントに患者や家族が傷ついてしまう事があるそうです。
日進月歩のがん治療や心のケアの重要性、患者や家族に寄りそったがん治療の在り方等について語っていただきます。

実際にこれまで受け持った患者さんは、2000人位だと思いますが、色々かかわった患者さんは2万人以上になると思います。
がんと言われると皆さん本当に心配されます。
がんは1981年から日本の死亡原因の第一位なって、もう40年位がんは死亡原因の第一位になっています。
死因の30%ががんで年間100万人が新たにがんと診断を受けるような時代です。
この10年で75歳未満の方で16%ぐらい減っています。
しかし全体では増えている状況です。
1985年位までは患者にがんとは言いませんでした。(がん=死と言うような時代)
その頃から2000年位までは隠せない時代になり、がんである事を告げる時代になりました。
2000年以降になると、個人情報保護法があって患者さん本人にがんだと言う事を言わないといけなくなって、家族に云う場合は本人の了解を得ないといけないと言うような時代になってきました。
治療法もどんどん進歩してきて、抗がん剤でも抗がん剤治療の効き方なども、調べれば患者さんも分かる時代になり、後6カ月、3か月の命ですと簡単に言うような時代になってきました。

早期癌で見つかれば内視鏡で取ると言う事もあります。
抗がん剤、放射線治療も一緒にやることによって大きくとらないで済むようになり、ロボットを使っての手術だと傷も小さくて済むと言うようなことにもなってきました。
抗がん剤では副作用がありましたが改善されるような薬も出てきています。
分子標的治療薬はがん細胞の分子を標的にするもので2000年のころから、慢性骨髄性白血病にはイマチニブと言う飲めばコントロ-ルできる。
それまでは骨髄移植という大変な手術をやっていた。
肺がんではEGFR遺伝子の変異のある人、東洋人、日本人の女性など、煙草を吸わない人こういう人に遺伝子変異のある腺癌があるが、ゲフィニチニブと言う飲み薬があり70%ぐらい効果があると言われています。
遺伝子異常診断をしてそれに合った薬を選ぶと言うような時代になってきました。
粒子治療、がんのその部分だけを叩くと言うものです。
前立腺がんは以前は放射線をかけると、直腸もやられて出血して困ったと言う事もよくありましたが、直腸にあたらないような形になってきています。
免疫チェックポイント阻害薬、本当に効く人には物凄く効いて、今までには考えられない効果が得られています。
肺がんの患者で99%駄目だと言われた人が一回の治療で明らかにがんが小さくなり18回の治療でがんが何処にあるかわからないと言う人がいます。
全く副作用が無いと言う人もいます。

知る権利、自己決定権とか、あと3カ月しか生きられませんとつげられると、患者は大変です。
心をどう支えるのか、いろいろ問題があります。
多くの患者の中央の数値から言っている訳で、実際にその人がどのぐらい生きられるのかは判らないということです。
告知は非常にきついわけです。
心のケアは停滞気味です。
私はセカンドオピニオンは前から推進してきた方です。
納得して治療することが大事です。
担当医が気を悪くすると言うふうに気を使う事は全く考える事はないと思います。
抗がん剤が効くと言う事は治ると言う事になればいいが、治らないけれど小さくなって生きながらえることがあるということで、抗生物質の効き方とはちょっと違います。
緩和ケア、ホスピス 
本当に死が間近になった時は生きたいと思う気持ちが出てくるのは当然だと思います。
心の思いを温かく見守って欲しいと思います。
緩和ケアが死を受け入れると言う、これって僕は違うと思います。

人間体が弱ってくると心も弱って来る訳なんですが、当然だと思います。
医療関係者は患者さんの弱さと未練、そういったものを肯定するそういう心が欲しいと思います。
「死を受け入れなさい」と言う医者は、自分が死に直面していないから言えるんだと思います。
生きたいと思うのは当然だと思います、それに医療者は付き合って行ってほしいと思います。
一緒に暮らす家族の負担は大きいと思います。
家族が健康を損ねてしまうと言う事もあるわけです。
家族を休ませるためのレスパイト入院と言う事もあります。

胃がんが再発してもう駄目で、科学療法ですっかり消えてNHKの「ためしてガッテン」に出てもらった人もいます。
56歳の女性の患者、40年前に急性骨髄性白血病になり、当時本人に言ってなかった。
本人が知らないなかで副作用もあり或る意味無理やり治療した訳です。
うまくいって、10年経って結婚することになりそこで初めて白血病だと知って、その後20年経って乳がんになり、手術、化学療法、放射線治療など行って大変な想いをして、
クリアしたかと思ったら反対側の乳がんが見つかり3回目となりました。
その患者さんが私に手紙を書いてくれました。
「これからやりたいことが3つあります。
①さんざん心配を掛けた両親をきちんと看取る。
②孫の顔を観る。
③ボランティアをしたい。
17歳で白血病にかかって完全にぽっきりと心が折れた時期もあります。
病気で高校を留年した時、結婚して乳がんが見つかった時、何故何度も私だけがと自分を呪い続けた毎日でした。
去年にはもう片方が乳がんになりました。
患者は孤独です、会社には話しても判ってもらえない、今後が心配なので自分の弱さを見せたくない。
家族にどう話をしていいのか言葉を失い何を話せばいいか判らなかった。
先生や看護婦さんに話を聞いてただき、先生や看護婦さんから頂いた命のともしびを医療関係などのボランティアで少しでも役に立って返したい。
それが自分の生きる力にもなるように思えるのです。」
医師と患者と一緒になった戦う姿勢が大切だと思っています。
3度もがんを経験された方ですから、患者さん同士は心に響く訳です。

旦那さんを失ってから100日位した人から頂いた手紙。
「すこしずつ体が弱っていくなかでも、希望をもって過ごすことができたのは病院の方々が最善を尽くしていただいたからです。
今はたった一人になりましたが、何故か温かな気持ちで生きることができそうです。」とありました。
その旦那さん「今はたった一人になりましたが、何故か温かな気持ちで生きることができそうです。」と言う言葉が私の宝物になったなあと思います。
死への恐怖どう乗り越えるのかの方法。
そういった文献も無いし、どうやって我々の愛とか思いやりを発揮していけるのか、患者さんはどうやって死への恐怖どう乗り越えて行けるのか、きっとこの方は死の恐怖を乗り越えた方だと思ってその人に聞いて見ることにしました。
女性で67歳の方乳がん4年間戦ってきて後1カ月の命だと言われた方。
旦那は72歳で無職。
放射線の治療の為に僕の処の病院に来ました。
患者さんはもう動けないし全身が痛いので、モルヒネを沢山打って早く死なせてくれればいいと思った。
生きていてもしょうがない、みんなに迷惑をかけるだけ、夫は食べ物を買ってきてくれるが食べる気がしない、どうせ後3週間出し・・・早く死なせてもらった方がいいとその方は思っていたそうです。

或る時に旦那さんが好きなおかずを買ってきたが食べない。
「生きていても意味がない、どうせ何にも役に立たない、早く死なせて。」と言ったそうです。
旦那さんが帰り間際になって「君が生きてさえいればそれでいいんだよ。 生きててほしい」、そう言って帰って行ったそうです。
2日後の夜になってはっと気が付いて
「私が生きていることが夫の励みになっているかもしれない。
私が生きている意味があるのかもしれない。
私が死んだら夫は一人になってしまう。
生きなきゃ、生きている間に夫に料理や家事を教えなきゃあ。」
「君が生きてさえいればそれでいいんだよ。 生きててほしい」その言葉で、どうせ死ぬにしても口は動くので料理、家事を教えるために翌朝には、カーテンが開けられ部屋が明るくなり、表情も明るくなっていた。
例え人間動けなくなっても、生きているだけでも人の役に立つことができる、私はこの患者さんからこの事を教わりました。
或る患者さんから「みんな人それぞれ心の奥には安心できる心があるんだ、そういう要素が心の奥にあるんだ、人間皆安心できる心があるんだよ」ということを教えてくれた人がいました。
安心できる心を引き出すには、周りの人の真心が大きな役割を果たすのかなと思います。

這い上がる術を探しているんですが、自分の考えを書いてみる。
泣ける話せる相手を見付ける。
貴方の命はこの地球にたった一つで本当に大切な命なんです、先のことは誰にも判らないが、医師などと相談して最も良い治療法を選ぶことが最もい大事なことだと思います。
学生時代悪性腫瘍だと言われて、どうどうめぐりしていたが書くことによって気持ちを整理するのに役に立ちました。
泣けて心がすっきりした経験もありました。
自分の心を出せる相手を見付ける、実際泣いて、心にため込んでおかない出だす事も重要です。