2019年5月20日月曜日

玉川奈々福(浪曲師)           ・【にっぽんの音】

玉川奈々福(浪曲師)           ・【にっぽんの音】
進行役:能楽師狂言方 大藏基誠 
第11回伊丹十三賞受賞。
この賞は一つの枠に収まりきれない多彩な活動をされた方に送られてきた賞。
浪曲をどんなふう見せたらお客さんが面白がってくれるかと言うことで、知恵を絞ってきたこと、色んな会をしかけてきたのでそういうものを見ていてくれたんだんあと思いました。
お能、狂言、ほかの芸能とコラボレーションしてみたり、それが他の事が判るがゆえに、浪曲の事がドンドン理解が深まると言う事があって、色んな方と一緒にやってきました。
浪曲は物語をかたるが三味線も入って、節と言う歌うような部分もある、人によっては一人ミュージカルだねと言われることはあります。
浪曲は歴史が浅く、できてから150年位、明治維新後です。
義太夫と似ていますが、直接には関係ないです。
むしろ大道芸の説経祭文(せっきょうざいもん)とか阿呆陀羅経(あほだらきょう)とか、ちょんがれとか道をながして歩いていて物語を語る大道芸人の流れと言われています。
浪曲は凄い芸だと思っていますが中々人に伝わらない、見せ方が下手過ぎると思っています。
こういうふうにしたら浪曲を面白く見えると言う工夫をしてみて、駄目だったら諦めも付くと思って工夫をいろいろしてきました。
昔は浪曲がすごく盛んだった。

最初三味線弾きになろうと思って5,6年やっていましたが、あまりにも下手なので、師匠が「おまえうなって見ろ」といったんです。
自分が浪曲をうなってみて、どういうふうに三味線を弾いてもらったら、浪曲の三味線として有難いのかを体感してみろと言うことで一席覚えてみろと言われたんです。
一席覚えて舞台に立ってみたら浪曲の方の仕事が来るようになってしまって、いつの間にか浪曲師になってしまいました。
入門して8,9年してからどうしたら浪曲が面白く見えるかと言う事で、プロデュースの仕事をしました。
私なりにプロデュースしたらお客様がドーンと来てくれました。
浪曲の問題ではなく見せ方と発信の仕方が問題だったと言う事が判りました。
それからいろんな角度のプロデュースしてきました。
ゲストで小沢昭一さんがきて浪曲に関することをいろいろ話したり色んな小道具を実演したり見せてくれたり色々やってくれてお客さんは大喜びでした。
最期にうちの師匠が浪曲をやるとより判るようになるわけです。

2年前、語り芸パースペクティブ(perspective)と言うのをやりました。
以前フランスでバレリーナをやっていたフランス人の友達が佐渡でフランス語を教えながら人形浄瑠璃を研究している人がいて、お国の伝統芸能はどんなものがあるか聞いたら、腕組みをしてなかなか出てこなかった。
日本には語りの伝統芸能が沢山あり、日本にある語り芸を総ざらいしたらどうだろうと思いました。
60人限定で3万円で11回に渡ってやりましが、一日で売り切れて超人気でした。
それぞれの芸にはそれぞれの芸の出自があり、使命があり、アイデンティティーがあって決して一つにはなれないと言う事が判りました。
日本の芸能を旅するみたいでした。
想像力は日本文化には欠かせないものだと思います。
(大蔵:子供の教育には想像力が一番大事と思っています。
日本文化の伝統芸能だとかを見ると、想像力が養われるのではないかと思います。)
自分たちの物語を知ってて一杯持っていると、心を鍛えてくれる様な気がするんです。
それは凄い財産だと思います。
*浪曲「仙台の鬼夫婦」から仙台から江戸への道行きを語る場面  玉川奈々福

(大蔵:三味線との掛け合いがいいですね)
何の打合せも無く譜面はないです、三味線の方が呼吸を見ています。
浪曲は自分の節を作らなくてはいけない。
浪曲は声ができるまでが大変でした。
*三味線の弾きだし(師匠によって色々ある)

*「文蔵」(狂言 大藏基誠)に三味線(玉川奈々福)を合わせる

今年初めて弟子を取ることになりました。
おたがいに学んで行くと言うような感じです。
落語は都会的ですが、浪曲はローカルだと思っていて、登場人物に素直なパッションを感じます。
浪曲の登場人物は人生にセーフティーネットを敷かない、自分の命を軽く扱って、この瞬間生きればいいという様な輝きがある、やっぱり面白いなあと思います。
(大蔵:狂言も心に面白さを持った人間が多いです。)
「日本の音」は色々ありますが、、懐かしい音と言うことで、お正月を迎える時に横浜港の停泊している船が大みそか12時に一斉に「ボーーッ」汽笛を鳴らしますが、これが私の「日本の音」だと思います。