2015年8月2日日曜日

保阪正康(ノンフィクション作家)      ・昭和史を味わう 第19回 太平洋戦争の日々(5)

保阪正康(ノンフィクション作家)       ・昭和史を味わう 第19回 太平洋戦争の日々(5)
「終戦8月15日と9月2日」
戦後70年になるが、 玉音放送原版が公表された。
宮内庁の金庫に保存されていた。
昭和天皇が食糧問題について国民に言葉を発した原版も出てきた。(昭和21年5月24日のもの)
9月2日は降伏文書に調印した日
8月14日は第二回御前会議で昭和天皇の聖断によって敗戦を受け入れることを決めた日。
東郷外務大臣が午後11時スイスに向けてポツダム宣言を受け入れることで電報を打った。
8月15日 国民に向けてポツダム宣言を受諾して、戦争を終えることを告げた日。(国内の問題)
国際法的には9月2日と言われている。(国際的には第二次世界大戦が終了した日となる)

半藤一利 著作 「日本のいちばん長い日」  
「12月8日と8月15日」の本の中から8月15日の玉音放送の時の状況を事細かに記述している。
私は(保坂)5歳だったので、8月15日の事について記憶はなかった。(父が毎日学校に行く時にゲートルを巻いていたが、父がゲートルを巻かなくなったという事の記憶のみ)
国内でも抵抗運動やら暴動も起きる。
8月9日に満州でソ連が日本に戦線言布告した。

9月2日 東京湾のミズリー号の艦上で、日本政府と日本の軍の代表とが、連合国との間で降伏文書に調印した日。(ポツダム宣言を受け入れる 国際法的に日本の敗戦が正式に決定)
重光葵  日本政府の代表。 梅津美治郎参謀総長が軍の代表
ソ連は9月2日まで軍事行動を続ける。(千島列島の占守島、サハリンの日本統治下にあったところ、北海道にも入ろうとするがアメリカ国務省が阻止する)
8月15日は法的な意味はないという事で、ソ連は軍事行動を起こしていて、北方4島を考える上でいろんな問題として根っこに残っている。
8月15日鈴木貫太郎内閣が総辞職し、東久邇宮盛厚内閣が8月17から10月5日まで行う。
9月9日 東久邇宮盛厚内閣一億総懺悔の施政方針演説

敗戦の説 4つ目 昭和27年4月28日説 
サンフランシスコ講和条約が発行して日本が独立を回復した日、一部の学者が主張する論(軍事が負けたのが8月15日 政治が負けたのが昭和27年4月28日)
あまり説得性のない説となっている。