2015年8月27日木曜日

熊谷晋一郎(脳性まひの小児科医) ・誰もが“生きていける”社会を目指して(2)

熊谷晋一郎(脳性まひの小児科医・東大准教授) ・誰もが“生きていける”社会を目指して(2)

医学部に行った際、臨床はできないという心構えで行ったが、学生は全員病院実習をする。
大学病院のすべての科を回って、1~2週間ずつ臨床のはじっこを経験する。
小児科を回った時に、原因体験を連想させられた。
リハビリの時の記憶、治るために一生懸命耐えた風景に、他の科に感じない、心に留まった経験をした。
臨床をやれるかどうか、やってみたらという意見もあり、やってみることにした。
一人暮らしの教訓は不安なことがあったら飛びこんでみて、不安を課題に変えましょうという教訓だったので、飛びこんだら課題が明確になって、優先順位が付けられるのではないかと、一人暮らしの教訓を生かそうと思った。
大きく違ったのは、一人暮らしと仕事の違い、これは非常に次の学びだったと思います。
失敗もまた楽しい(一人暮らし)、仕事では失敗は患者さんに危害を加えることになる。
お手本通りに近づけるようにしようとする、そこに悪循環が始まる、あせり、不安として解釈して、身体が動かなくなるので、目標から遠ざかる、その悪循環が始まり、臨床は難しいと思う様になった。

職場が変わって、地域の忙しい病院の小児科に行く事になる。
無理だと思ったら進路を変えようと思ったが、忙しいところではお互い監視する間が無くて、早く育てて自分が少しでも休めるようにしたいと周りが思うし、人が足りないので助け合わなければ仕事がこなせないと理解しているように感じました。
その空間が助かった、お手本があるのではなく、タスクが先ずあり、タスクをこなすには柔軟でいい、という助けあって臨むという柔らかい組織だった。
お互いが癖を理解していて、スタッフは完璧な人はいなくて、癖を抱えながら補い合ってチームを組んでいる。
結果として、私がいるときにはこんなふうなサポートをすればいいという、スタッフが了解してゆく空間を作っていけた。
見本通りではなくても、例えば採血がちゃんとできればいいという事になる。
初めて一人で当直をしたが、救急車も何台も来たが何とか一晩こなせて、一睡もせず朝を迎えた時にほっとしたら、一緒に一晩迎えたスタッフがやってきて、救急車が来た時に立ちあがっていましたと言われて、自分では記憶にはなかったが。

目の前の痙攣している赤ちゃんに注意が向かっている時に、自分を振り返る余裕がなくて、タスクをどうこなすかという事だけに注意が向かっていて自分という存在が消えた時に、脳性まひの体は一番動きやすくなる。
能力、障害は身体の中に在るのではなくて、人と人の間に能力が生成したり、タスクと集団との間に能力みたいなものが生成したり、だと思う。
身体の外に能力とか障害があるという一例だと思う。
どれだけ周囲に頼れるか、ということが能力を決めるし、本人の特質で生じるものではなくて、関係で生じるものだという事が基本的な考え方だと思います。
障害があろうが無かろうが、子供の発達は依存しなくなるという事ではなくて、依存先を増やすことだと思う。

成長するに従って親だけではなく、他にも依存できる人が増えて行ったり、道具、乗り物にも依存してそれまでできなかったことができるようになって、依存先を増やして行くプロセスが発達、自立であったりする。
障害をもっていると世の中の道具、人々のデザインが体に合わない、健常者の人にあう様に作られている、依存先が増えていかない。
健常者の方が依存先が沢山ある、少数派は駒が少なくて、多数派は社会の中に依存する駒がたくさんある。
公共交通機関なども同じ、依存先の数が健常者のほうが多い。
一つの駒に対する依存度の深さは、依存先が少ない方が深くなる。(奪われた時のダメージが大きい)

脳性マヒの研究も続けているが、私の中に見えやすい問題の部分と見えにくい問題の部分がある、見えにくい問題に痛みという問題があり、研究が少ない。
発達障害、依存症などにも関心をもっています。
見えやすい、見えにくいの違いは、一つは広い意味での言語化ができるかどうかとかかわっている。
人に伝えられれば、依存先も増えてゆく。
言語化できる障害と言語化しにくい障害の間の序列化の問題が気になっている。
言語化できるニーズは強い、交渉するにあたっての配慮、ニーズは言語化できる人は議論のテーブルに着いた時に、自己主張できるが言語化できないと我がままを言っているという様なうまく言葉にならなくて、感情的になったり落ち込んだり、という事になりがち。
私たちの社会が身体障害の人に合った公共交通機関のデザインを持っていないと同様、言語のデザインも少数派に合っていない、言語も多数派に合ったものとしてデザインされている。
不利になってしまう事を気にしています。

当事者研究、例えば自閉症本人が研究者になって、自分の経験について新しい言葉を生みだすという発想。
聴覚で言うと「感覚飽和」という言葉を発表した。
外から入ってくる感覚が頭の中を埋め尽くす状態。
外から見た時は自閉症という言葉が、内側から見るとこういう言葉になりますという事を打ち出すわけです。
言葉ができると見えるものになる、見えにくい障害が見えるようになると混乱、混沌としていたこれまでの人生が本人の中でも整理がつく様になり、周囲と共有する事が可能になる。
脳性まひの二次障害の現象、少し障害が重くなる、これまでなかった症状が新たに出てくる現象。
二次障害の側面・・・①前よりできなくなる。 ②痛い。
①→恐れるに足りない(新しい生活を組みたてればなんとか解決する)
②→病院で治すしかないのか?  手術をして良くなる人もいるが悪くなる人もいる。
痛みの問題 文献を読んだり当事者研究等を重ねてきて、私は「痛みはあるけれどもそれがどうした」という付き合い方をしている。
困難(痛み)を無くそうと思うと痛みが強くなる。(逆説的だが)

痛みは原因ではなく結果かもしれない、痛みを問題化しすぎないで、痛みとどう付き合って行くかという事に注意を向けるという事で実践しています。
痛みにしてもそうですが、身体の異議申し立てに対してねじ伏せ様とすると、問題が肥大化する。
身体の声はわずらわしいが、声を無理強いして消すような方向でやってしまうと際限なくなる。
身体の異議申し立ては何か生活を見直すきっかけをくれているかもしれない。
問題を解決するよりも問題をシェアーすることが、楽になるという事が凄くあります。
失禁も秘め事だったが、自分の恥ずかしいこと、情けないことがあらわになり、共有してもらう事で生きていける、希望が湧いてくる。
隠されたもの、多くの人が自分だけで解決しようとしてきている事が膨大に有って、言語化もなされないまま、水面下でねじ伏せられていたり、膨大な苦しみが世の中にあって、ねじ伏せられる方に動いているが、隠されても隠しきれない人間の事実だと思うので、それが明るみになるというのは研究そのものというか、人間はこういう存在なんだという知識が増えてゆく。

人間はこうでなければならないと言う対極、どんな人生に転がって行っても、何とかそのあとも続くんだという安心感、いろんな人生があって、どれも先があると言う、安心感。
苦労が少ないと言う事には価値を置いていない、知ると言う事は私の中では、世界はこうなっている、人間はこうなっている、という事をより多く知ると言う事が価値だと思っている傾向があって、苦しみが減ると言う事は2番目ぐらいに大事だと思っていて、知ることが一番大事なことだと思っている。
知ると言う事のためには苦しみが無いと知れないと言う事はあると思う、自分の思い通りにならないから色々考えたり思考したりする、其れに依って知ると言う事が待っている。
せっかくの苦しみを知ることも無くつぶしてしまったらもったいない、そこから何を知識として得られるのか、封じたまま苦しみだけの解決をしてしまったら、何だか違う様な気がする。
知る機会を与えてもらっているのであれば、ラッキーだと思います。