2015年8月5日水曜日

フィスク・ブレット(英会話教室経営)   ・アメリカ人が見た日本空襲

フィスク・ブレット(英会話教室経営)    ・アメリカ人が見た日本空襲
42歳 神奈川県小田原市で英会話塾を開いている。
23年前に日本に来た時に、アメリカでは広島、長崎ではかならず触れられるが、日本各地の大空襲はほとんど知られていないことを知って、外国人にもその悲惨さを知ってほしいと、ウェブサイトを立ち上げました。
独学で日本語を勉強し、日本語で本を2冊出しました。
どちらの本も主人公は日本人です。
最初の「潮汐の間」という本ではルソン島で起こった悲劇、「紅蓮の街」では東京大空襲の際、火焔地獄の中を逃げまどう、親子3人の行動を克明に描き、無差別爆撃の惨状を訴えています。
戦争は始まってしまうと理性を失う、だから絶対に起こしてはならない、というフィスク・ブレットさんに伺います。

19歳で日本に来て、2年間大阪で宣教師をやっていた。
アメリカに帰って、大学生になったり、行ったり来たりの時代になった。
95年ぐらいから日本にずーっと住むようになって、神奈川県小田原市で英会話塾を開いている。
「潮汐の間」 2011年に本を出す。
東京に住んでいる牧師一家が空襲にあったんだろうという、その人たちの物語を書くとしたら、自分としたら空襲に詳しくならなければいけないので、空襲に関する本を購入したり、資料館に行ったり、体験者に会ったりして、調査をした。
地上にいた人たちの話は日本語の資料になる。
その悲惨さを知ってほしいと、ウェブサイトを立ち上げました。(英語と日本語)
体験者のインタビューをしてその映像も公開して、英語の字幕をかならず付けるようにしている。
東京大空襲(3月10日)、横浜、名古屋、大坂とか 英語では空白になっていたが、埋めようと思った。

高校の歴史の教科書には広島は出ていたが、大空襲については知らなかった。
焼夷弾に依る空襲もこれだけの被害に及んだのは、驚きでもありショックだった。
体験者の話などを聞いて、夜眠れないような思いだった。
私の誕生日は12月7日 (1972年) 日本だと12月8日(真珠湾攻撃の日) 周りから意識させられた。
歴史好きだったので、色々疑問点などを自分なりに調べた。
日本語は朝5時から単語を覚えたり文法を勉強して、そとへ出て色々話をして、独学をした。
知らない単語はメモをして、翌朝に調べたりした。
「潮汐の間」 (干満の間)    習字は4段です。
漢文、漢詩も読めないといけないので、先生と一緒に漢文、漢詩、日本の古典も読めるように頑張った。(15年前ぐらい)

「紅蓮の街」 空襲に遭った街 紅蓮地獄
炎で隅田川に飛び込んで凍ってしまって亡くなった方がいるので、3月10日に当てはまる。
日本語で本を書く事になる。
疑問が出てくると、実際の歴史を調べるが実際とのギャップがあり、自分にとって歴史を誤魔化すことは最大の罪で、人をだましたり、人を利用してこき使う様な手段になるから、歴史を誤魔化すこと、必要以上に美化する事、隠すことは最大の罪だと思っています。
原爆投下が戦争を早く終わらせるための手段だったのか、避けられなかったのか、色々調べたくなる。(国がそういっているだけとの可能性もあるし)
焼夷弾の空襲も、原爆による被害と同等以上、そこまでの被害があったことは知らなかった。
アメリカ、日本の資料を調べなければいけないと思って、自分が感じさせられた事、歴史と向きあって、感じたことを小説に書いた。

攻撃した側は知らない、知るすべもなかった。
インターネットには全世界から15万人位アクセスがある。
本は私の考え方を書きこんであるが、日本空襲デジタルアーカイブには、ありのままの資料を提供するのが目的なので、それを読んで、ちゃんとした情報のうえで色々判断して考えてほしい。
資料は、サイトを知って、いろいろ調べて祖父の持っていた写真のコーナーを作ってほしいとか、日本人の体験者の生の声を聞いて、映像をそのまま載せているので、一番ありがたい協力です。
戦争を早く終わらせるための避けられない戦略だったのかどうか、疑問があった。
いろんな人の話を聞いて、調べることがどんどん広がってしまって、戦争を早く終わらせるための避けられない戦略だったのかどうかの原爆の話よりも、一般的な空襲の話が先に始まって、あれだけ大きな被害が出た普通の焼夷弾の空襲も、戦争を早く終わらせるための避けられない戦略だったのか、という其れを納得いくまで調べなければいけないと思った。
戦略爆撃思想はいつから考えられ始めたのか、そういうのを考えないとこの結論は出ない。
ライト兄弟の時代から原爆を落とした飛行機の時代まで40年しかない、飛行機の技術の進化は恐ろしいものがある。

B29 作るのに原爆以上の費用がかかった。
施設を爆撃する事から、全国の一般の都市に広がる。
中島飛行場等を狙って行ったが、司令官がルメイに替って、下町などに空襲をするようになった。
もしかして戦争を早く終わらせるためでは無いかもしれないと思ったが、でもそうだったと思った。
アメリカは戦争が始まる前から、空軍の人たちはそうするために、いろいろ研究したり頑張ってきた。
だが戦争が始まってしまうと、ジェット気流とか、予想できない事が生じてしまい、理想だった物が現実とぶつかりあって出来なくなってしまう。
日本人への人種差別だという様な見方もあるが、原爆ができ上った時には、ドイツとの戦争が終わっていて、もっと早くでき上っていればドイツにも落としたと思います。
戦争が始まってしまえば、新しい兵器を落として見る、という程度だった。

アメリカにも、日本にも反省すべきことはたくさんあると思う。
しかし、一番大事なことは戦争を避けること、一度戦争になってしまうと、とんでもない結果がでる。
イラク戦争、当時はブッシュ大統領を信じていたが、共和党の政治家、ブッシュ大統領の弟だって、
兄貴がイラク戦争を起こしたが、イラク戦争は間違いだったとTV等で認めて発言している。
間違いを認めて、頑張れば戦争を避けられると思う。
アメリカにとって必要悪だったとしても、悪は悪。
歴史をよく見て、善いところ、悪いところすべてを受け入れて、今後のために生かす、それが歴史の真の勉強法だと思う。