2015年8月23日日曜日

松村 久(マツノ書店店主)     ・古書復刻40年

松村 久(マツノ書店店主)     ・古書復刻40年
1933年山口県生まれ 大学時代から古書を扱い始めましたが、40年ほど前から古書の出版も手掛ける様になりなした。
地方で出版するならその土地にかかわり、自分にしかできない本を出そうと考え、すでに流通しなくなっている、明治維新関係の古い文献を中心に復刻出版してきました。
今では松村さんの古書店は全国の近代史研究者にとって、関係古書の入手のために欠かせない存在になっています。
こうした実績が評価されて2007年には社会的文化的貢献が著しいと、菊池寛賞を受けています。
人生の半分を古書の復刻に尽くしてきた松村さんの話を伺います。

菊池寛賞をいただいたのはラッキーでした。
父親が行商の本屋をやっていたので、身辺にはいつも本があり、本にはなじんでいた。
大学2年広島に行っていたが、父が店を1年で4回ぐらい変わったりして、古本屋に戻って、大学3年の時に、貸し本屋を作って、マンガのブローカーの様な事をやって、大学にも行かずにやっていた。
マンガの貸し本屋では面白くなくて、マンガの無い大人本位の貸し本屋をやろうと思った。
うまくいって、全国貸し本図書館雑誌があり、そこから3人学者が来て7ページにわたって「驚異的な町の図書館を現地に見る」というタイトルで写真入りで出て、図書館ももっと頑張って大人の人を開拓しなければだめだという記事だった。
貸し本屋は反応が早いので出版社からは重宝がられる。
当時、月に2万冊貸しだしていて忙しかった。
貸し本屋の店は借家だったので、家賃を高くする要求があって、場所を変わって行ったが、古本客が増えていって、貸し本は辞めることになる。

探してもなかなか思う様な本が出てこないので、お客さんの探される本では山口県関係の本が多いので、自分が復刻して作ればいいという事に気付いて、それが出版に入った。
周りに偉い先生がいたお陰で、忠告もいろいろしていただき潰れるような事はなかった。
宮本常一先生とか、色々知恵を貸していただいた。
山口県の人の需要から地元の復刻を出す様になった。
その流れで会津(幕末山口との戦争)の本を出す様になる。
最初の復刻本 「大内氏実録」 山口は毛利の前は大内氏だったので、いい加減でない資料として残っているものだけをきちんと求めた。
「防長地名淵鑑」を次に出す。 地名の言葉を何から来たかを書いた。
入手困難な本を出すので、喜んでもらえるのは何にも替えられない、店の宣伝にもなる。
「大内氏実録」は500冊ぐらいだった。
資料物なので300冊以上作らない様に言われた、余計作って売れなかったら損になるので、あまり余計作らない様に三坂圭治先生からよく言われた。
ほとんどみな直ぐ売れた。

250~260点ぐらい復刻した。(山口県は出版物に恵まれていたと思う)
他の店では出しても1点か2点ですね。
5原則
①潰れないようには300冊程度
②歴史物がいい。(毛利以来資料には恵まれている)
③1ページ当たり30円、40円はざらにあるが、うちは20円を越えることはない。
④出発当時 2000円以下のものは出さない、(今は5000円) 元をとれない。
⑤急いではいけない(質のいい本を選ぶ)
影響を受けた先生 三坂圭治先生(毛利家の専門家) 宮本常一先生(民族学者)等
雑談の中でも色々為になる事を言ってくれました。
傍流でいなさい。(主流になったら物が見えなくなる)

本は有難いものだと思う。
いい本は復刻して流布させておけばどこかで役に立つ。
資料から活字化するまでに随分力を入れて作る、修生のしようがない、そのままの方が値打ちがある。
誰かが早く直した方がいいという様な本は、古本屋の眼から見たら駄目な本です。
本の良さを知ってもらいたいと思っている。
女性のお客さんが増えている。
木戸考允の日記を出したら、吃驚した。
地方小出版流通センターから知らせが来るが、全般に新刊書店の件数がどんどん減っている。
古書店の数も減っている。
古本屋は本の閻魔大王だと言っているが、どうなるんですかね。
ペースを落とさず、年に7~8冊、同じペースで進むのが無難なところだと思います。
この復刻の仕事は私以外にやる人はいないと思う、続けるだけでも無いよりはいいと思う。