伊勢崎賢治(東京外国語大学教授) ・武装解除・紛争処理を仕事にして
1957年生まれ 国際NGOスタッフとしてアフリカ各地の開発援助に携わった経験が評価され政府や国連から依頼を受けて紛争処理に尽力してきました。
2000年には国連平和維持活動PKO幹部として、インドネシアからの独立をめぐり、混乱状態にあった東ティモールで新しい国家作りを指揮、2001年からは内戦の続くシエラレオネでゲリラの武装解除に成功、2003年には日本政府の特別代表としてタリバン政権崩壊後のアフガニスタンで軍閥およそ6万人の武装解除を行いました。
しかし、もともとの夢は芸術家になる事、大学では建築学を専攻、転機は国費で留学したインドでの学びでした。
インドには様々な社会問題が山積しており、伊勢崎さんはスラム住民組織を支援するNGOで活動します。
これが伊勢崎さんの紛争処置の第一歩になりました。
画家になるか建築家になるか迷っていた。
中学校の美術の先生が、私の絵を勝手に出品したりして、1年、3年の時には日本一になった。
母子家庭だったので、手に職をつけてお金を得られるように建築屋になった。
スター建築家とは対局に在り、民族建築、スラブ、貧民街の造形に魅かれた。
一見無造作に見えるが、造形が凄いと感じた。
大学院の先生が亡くなってしまって、心が空虚になり、スラムに入りたいと言う想いがあり、インドの大学に留学した。
スラムに入るために行動社会学を選ぶ。
インドは人間が作りだす社会問題の全てがあるといっていい。
だからこそどうにかしなければいけないという人たちがいて、研究する学問が発達する。
NGOに雇われて、アジア最大のスラム ダラビ 100万人規模のスラムにいく。
そこを束ねてゆく。
何十万のデモを組織したりして、国外退去になったりする。
ソ連崩壊後 発展途上国は紛争、内戦が起こってくる。(現政権と反政府ゲリラ)
10年ぐらいの戦いになったりして、完全勝利はない様な状況になり、その時に第三者が入っていける。
先ずは停戦から始まって、連立政権の様な事を実現させなくてはいけない。
命令系統がいい加減になってしまっていて、合意に達しても、言う事を聞かない様な状況に在り、その人たちを説得させる役割をわれわれが行うわけです。
非常に危険で何時停戦合意違反が出るかわからない。
スプリンターグループ 派生する。
イスラム国はまさにこれなんです。
色々な考え方が現場で出てきて、アルカイダから分派して、アルカイダはあまりに過激なので引いてしまった。
シエラレオネではどの様な事をしたのか?
PKF 国連平和維持軍が我々と一緒に入ってくるが、そこで説得する。
武装解除は命令なので、ある条件を示してグループの長を説得する。
一つ一つのグループを武装解除してゆく。
武器を使えなくなる様に自ら壊させて回収する。
和平に反対する人間がいるが、決起して我々の関係者を拉致して、拷問して亡くなってしまったが、殉職者が多くて100名ぐらいいる。
犠牲を払いながらやるわけです。
日本のメディアから取材を受ける時も国連公用語以外は使ってはいけない。
NATOがイスラムと戦争している様な状況になっているので、日本人は西洋社会の一部ではあるが、捉えられ方が西洋人とはちょっと違う。
憲法9条を知っている人は知らないですよ、知っている外国人は相当の日本通ですね。
我々は憲法9条を宣伝してこなかったので。
2003年アフガニスタンの武装解除については?
群雄割拠して争っていて、国民も軍閥の言う事を聞くしかなくて、日本で言うと警察もちぢこまっている状態だった。
それを国家のものにしてゆく、武装解除して武器を集めて新しく作っている国軍に移管する。
武器もカラシニコフではなくて戦車、大砲ですから。
そうすると秩序が生まれる。。
連立政権を組むと言う事ですが、最初は疑心暗鬼です。
ハーミド・カルザイさんの命を受けた交渉人であると言う事があり、日本政府の代表であると言う事で、NATO、アメリカ政府も僕らに託していると言う事で、暫定政権の国防省から通知が行っていて、相手が迎えてくれる。
軍閥同士を相手の交渉なので、両方に会わなければいけない、色々難しいことがある。
最初1%ぐらいのところから交渉を始める。(戦車を100台のうちの5台ぐらいをわれわれのところに置いてくれないとか、駄目なものをもってこられたりすると、問題が起きる。)
大切なのはそういった違反行為があった時に、皆に怒ってもらう。
アメリカ、ヨーロッパ、NATO諸国から怒ってもらって、違反行為をした軍閥を政治的に追い詰める。
自立して市民としてやっていけるように保証しなくてはいけないが、職業訓練の場がないので、ドイツが手助けしてくれて、壊れた家の補修とか民衆がやるので、親方が必要なので親方の見習い口を一杯作る。
親方の見習い口を造ったという事で、約束を果たしたと言って交渉を乗り切った。
職業訓練校も作った。
武装解除が最重点項目だったので、日本が中心になり、NATOの最高司令官、アメリカの最高司令官の人が集まって日本大使館で毎週会議をして、方向性を決めて役割分担をした。
我々日本は兵隊を出してなかったので、我々は非軍事の軍事的貢献をしていたと言われました。
2014年12月末にアメリカはアフガニスタンから離れる。(残留部隊は残すが)
当初決着が付くと思っていたが、できなかったという事はずーっと引きずってゆくんでしょうね。
アメリカは2006年に方向転換 その基礎を作った時に私はいた。
いかに効率的に敵を全滅させるか、それは当たり前だが、そういうやり方ではだめだと、アメリカ人が考えだした。
それは国家作り ネーション(愛国 国の概念)、ステーツ(行政、システム)
アフガニスタン等は ネーションと言う概念はない、できない。
武装解除すればいいと言う問題ではない。
力の空白という問題が有って、私たちが武装解除した連中と言うのは、一旦タリバンをやっつけている。(9・11の後)
2001年から2年頃にタリバンを倒すが、そのあとうまく行ったかと言えばそうではなかった。
タリバン政権は強権政治だったが、国を纏めていた、タリバン政権が無くなった時に軍閥は仲が悪いので内戦が始まってしまった。
(共通の敵がいると纏まるが、其れが無くなってしまうと纏まらなくなってしまう)
それらを武装解除して新しい国家にまとめるのが、武装解除の教えで有ったが、それができたが、だからと言って彼らがおとなしくなったわけではない。
民主選挙をやれば彼らが政治家になってしまうし、元の子分たちもしがらみがあるので、麻薬をやっていたり、アフガニスタンは麻薬国家ですから、地球上で消費されている天然結晶の9割を生産する。
しかし取り締まりも出来ていない。
助言は内政干渉になるのが、言い方によっては聞くかもしれない。(どういうことを誰が言うかが問題 日本は信頼される立場に在る)
日本は親米ではあるが、彼等アフガン人は広島、長崎の事を知っている。
アメリカとは気を許しているはずはないと彼等は思っている。(我々は美しい誤解と呼んでいる)
いま、カシミールにかかわっている。
インド、パキスタン問題 ヒンズーのインド、イスラムのパキスタン
イギリスから独立するときに一つの国として独立したかったが、分離してしまった。
国力、通常兵力などイギリスが残したものは全てインドが取ってしまった。
パキスタンは劣等感から始まった、対抗しないと吸収されてしまうと言う事で、2つしかない。
①核を保有する。 ②テロ戦略(内側からインドを崩壊させる)
パキスタン軍がテロの養成をここから始まった。 それをアメリカが冷戦の時に利用する。
アフガニスタンにソ連が侵攻した時に、支援してソ連をやっつけるが、ソ連の崩壊後、その連中がアメリカに牙をむき 9・11が起きる。
カシミールが根本で、軍事境界線で60年以上分断されていて、意思の疎通がない。
両方に大学があり、分断されているが、いまインターネットで結ぶことをやっている。
インドーパキスタン両国が独立以来初めてのことです。
インターネットを通じて、将来のビジョンを共有できるようにしたい。
テロを自ら排除するような社会を教化できるのではないかと思う。
アメリカのCOINドクトリン テロリズムを育みにくいネーションと社会を作るんだという軍事戦略だが、成功していない。
ブリティッシュCOIN、カナディアンCOINを作るとか同じ精神のもと作り始めているが、
アメリカにもNATOにも出来ないジャパンCOINドクトリンを概念化してつくりたい。
中心になるのは、日本人の人畜無害さ、相手の懐に入って行きやすさ、これを真正面に出したジャパンCOINを作りたい。