昭和39年 和歌山県新宮市生まれ 小学生のころから坐禅に親しみ、僧侶の道を志しました。
昭和58年筑波大学に入り、東京都文京区白山道場 龍雲院小池心叟老師に師事し、出家得度します。
大学卒業後京都建仁寺、鎌倉円覚寺で修行を積み、平成22年45歳で臨済宗円覚寺派管長に就任されました。
円覚寺で話をする時に必ずすることがあります。
両手を胸の前に手を合わせて頂いて、背筋を伸ばし、目を閉じる。
最初、生まれたことの不思議に手を合わせて感謝しましょうと申し上げる。
両親からこの命を頂いた、この不思議に感謝する。
生まれた時には私たちは何一つできなかったが、親を初めいろんな人のお世話になって今日まで生きてこられた、この今日まで生きてこられたことの不思議に感謝しましょう。
最後に今日ここでこうしてめぐり合うことができた、この御縁の不思議に感謝しましょう。
と言ってからゆっくり目を開けて、手を元に戻してもらう事にしている。
この道では30年。 50歳です。 30台から老師と言われてきた。
坐禅は小学生のころからお寺にいってやっていた。
祖父が亡くなって、火葬場に行って、人間はやがて死ぬんだ、それに答えてくれるものは何だと思っていた。 2歳 鮮明に覚えている。
中学に入って一番大きな出会いは松原泰道先生 仏教界で高名な方でNHKラジオで聞いて非常に感銘を受けて手紙を書いて会いに行った。
ほく経と言う講義をラジオで1年間通して聞いてあったので、先生に仏教の教えは沢山あるけれども、一言でこの色紙に書いてほしいとお願いした。
詩を書いてくれた。
「花が咲いている。 精一杯咲いている。 私たちも 精一杯生きよう」
生きてる間、精一杯生きてゆく、務めてゆく それが行きついた答えだと思います。
高校時代に仏教詩人と言われる 坂村真民先生の詩に感動
「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ 怒涛の海を飛びゆく鳥の様に混沌の世を生きねばならぬ 鳥は本能的に暗黒を突破すれば、光明の島に着く事を知っている
そのように人も一寸先は闇ではなく、光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝、私に与えられた命題、鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」
「生きてゆく力がなくなる時」 坂村真民著 題名に魅かれて買った。
一遍上人の語録を同じ年に先生は本を出されて、同様に購入した。
和歌山県由良町興国寺 法燈国師について参禅している。
南無阿弥陀仏を生涯広げようと決意したのは熊野権現のお告げなんですね。
熊野権現は自分の郷里なので、非常に共感を覚えて、お手紙を書いた。
真民先生から直筆の色紙をいただきました。
色紙に「念ずれば花開く」という先生の言葉が書いてあった。 高校生の時だった。
真民先生は毎月 詩を作って1200通 ご自分で宛名を書いて出していらしゃったと後で判った。
高校生から大学を卒業するまで頂いていたんだと言う事はありがたいことだと思いました。
「生きてゆく力がなくなる時」
「死のうと思う日はないが、生きてゆく力が無くなることがある。
そんな時お寺を訪ね、私は一人仏陀の前に座ってくる。
力湧き、明日を思う心がでてくるまで座ってくる。」
円覚寺では土、日、座禅会を開いている。
土曜日は100人ぐらい、日曜日は400、500人が集まってきて話を聞いていただいて、坐禅をされる。
一番大事なことは毎回言っているが、腰骨を立てましょう 背筋を伸ばす 要は心を如何に整えるかと言う問題ですが、心は目に見えないのでどのように心を整えていったらいいのか、難しいが、身体と心は密接につながっている。
気海丹田 気力の湧いてくる大基。
背筋を伸ばし肩の力を抜いて、静かに呼吸をする。
呼吸も心と密接にかかわっているので、呼吸をゆっくり静かにすると心も静かに収まってきます。
腰骨を伸ばして、おなかに力を込めてゆっくり呼吸をしましょう、という事を言っています。
泥水を綺麗にするのには、ソーっと放っておく。 それと同様。
煩悩は無くならないと思う。
ただ煩悩をどのように整えてゆくか。 そうする事で活動してゆく源になるのではないか。
「悟りとは悟らで、悟る悟りなり。 悟る悟りは悟らざりけり。」
人間は悟ったと思った瞬間はもう迷ってると言われる。
ひたすら一生懸命求めてやってゆく、それ以外にはないと思います。
足立老師について修行させていただいた。
この道を行くんだと言う気持ちでいたので、修行はそれほど苦痛ではなかった。
坐禅は積み重ねて上達してゆくと言うよりも、毎回毎回やるたびに初心ではないかと思う。
この頃は座るたびに「ゼロからだな」と思っています。
人間の心はそんなに進歩するものではなくて、毎回初心のつもりで坐禅をやっています。
災害を背負って困難に立ち向かってる方、そういう人たちに生きる力を与えるためには何か考えていますか?
共に悲しみ共に祈る、それしかないんだなあと思います。
言葉でどうこうしてと言う事は、一度被災地で話をと言われて、話づらい、言葉が届かないと言う事を感じたことはありません。
繋がりと言う事を我々仏教の言葉では「縁起」とか「御縁」という言葉で表したんだろうと思います。
人間は支え合っている、どこかで思いあっている、これが大きな力になって行くんだと思います。
私にとって失いたくないもの 二つある。(中学生の投書より)
やっぱり「人」である、私を支えてくれる人。 「気持ち」 感謝の気持、思いやりの気持ち、この二つは失いたくない。
大震災の時に、色紙に観音経を書いて、観音様の絵を書いて、沢山書いて持って行って、身内を亡くした人がいたらこれをあげてほしいと、いったら、お寺を全部流されて、檀家の人も百何十人も亡くなって、色紙を届けていただいたので、これを頼りに頑張ると、和尚さんが合言葉として
「めげない、逃げない、くじけない」と言う言葉を使われた。
こちらが逆に励まされる様だった。
気仙沼の和尚さんが最後に言われたのは、私たちは多くのものを失った、財産、身内のもの、大事な仲間を失った、しかしそれ以上に沢山の人から真心を頂きました、と言う言葉が胸に刺さりました。
心をどう使うか、すこしでも人様の役にたつ様に、と言う様な気持ちで皆が思ってゆけば、もっと世の中は良くなってゆくのではないでしょうか。
真民先生の「二度とない人生だから」 詩
「二度とない人生だから 一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう。
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう。
どんなにかよろこぶことだろう。
二度とない人生だから 一ぺんでも多く便りをしよう。 返事は必ず書くことにしよう。
二度とない人生だから まず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう。
貧しいけれどこころ豊かに接してゆこう。
二度とない人生だから つゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう。
二度とない人生だから のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて、わがこころをあらいきよめてゆこう。
二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一遍でも多く作ってゆこう。
わたしが死んだらあとをついでくれる若い人たちのために、この大願を書きつづけてゆこう。」
光を信じる、人と人とのつながりを信じてゆく、思いやりの心を信じてゆく、人間の真心を信じて、光は必ず射してくるんだと信じて念じて、今年も微力ながら精一杯生きていこうと思います。