畠山 信(牡蠣漁師) ・震災後の海とともに生きる(2)
朝は早い時は4時から起きて仕事をする。
兄弟3人とも牡蠣の仕事をしている。
森里海研究所が2014年に竣工した。 震災後の陸から海までの調査研究を複数の大学の先生方と行っている。
専門学校時代は、ニコル先生は学校の中での授業は少なくて、野外調査が多くて、昆虫の分類にすごく興味を持っていて虫ばっかり追っていたが、その後人に興味を持つ様になった。
屋久島で環境教育をやる施設があり、そこに就職した。
教育プログラムの企画立案実施みたいなものをずーっとやらして頂いていた。
森は海の恋人 父が理事長 活動自体は平成元年からに任意団体で始めて、NPO法人としては2009年から行う。 人材育成の場でもある。
東京農業大学、京都大学、北里大学、東北大学、岩手大学、東京大学など15ぐらいが参加。
湿地に生えているぬるぬるは微生物の塊なので微生物の研究、海底の泥、海水の分析、昆虫、両生類などさまざま。
大震災で海にありとあらゆるものが流れ込み、異様な色になり、この海で漁業ができるのか疑問だった。
ボランティアで大学の先生方が来ていて、声を掛けて海を調べたいと話したら、協力しましょうと言う事になり研究チームができた。
大学では派閥がある様で、できるだけ組織の枠組みにとらわれない先生方が集まっている。
ほぼ毎週来て調査されている。
海の回復力はすさまじいと思う。 震災直後は死の海になった、魚はいない、海老、蟹もいない。
2011年夏ぐらいから急激に稚魚が大量に発生していた。
生物に関しては京都大学の先生方がメインで活動、土木系、水に流れ、 土砂の流れなどは土木工学専門の首都大学東京の先生がやられている。 幅広くおこなわれている。
魚類に関しては急激に数が増えてきた。
漁業者は本来、山に木を植える生業のはずなんです。 昔は船は木造船しかなかった。
もう一度復活させようと言う意味合いをこめて、漁師が山に木を植えようと言う活動を始めたが、科学的根拠は実は後付けで、感覚では漁師は何となく持っていた。
雪解け水を 雪白水というが、春先には牡蠣は一番実が肥えている。
夏場は牡蠣が産卵期になり、生で食べた時にはどろっとする。(クリーミー)
雪白水が流れてくると海の色がガラッと変わる。 今日から春だと判る、深緑色から、白っぽくなる。
海の中では生物が活性化する、プランクトンも増えると子魚、二枚貝が増えて生き物が増えるきっかけになる。
栄養分は山から来る。 森林の腐葉土、湿地みたいなところから高濃度の栄養分が来る。
大震災後、物理的に無理だと思ったが、支援者が今年もやりましょうと声を掛けてくれて、震災の年も何とか植樹祭を開催をした。
平成元年から毎年欠かさずやってこられた。
諦めないと言う事を持っていれば大体何とかなるんですね。
船に乗っていたら今の私はいなかったと思う。
植樹祭には全国からいらっしゃって下さった。
2014年には1400人ぐらいの方が来て、苗木を植えてくださった。
牡蠣殻は石灰みたいな形で利用できる。
牡蠣殻を粉砕して畑にすきこむ。 鳥とかブタとかの飼料にするところもある。
海の近くに住んでいながら子供達は海で遊ぶのをしない子が多くなって、親しめるようなことをしている。
私は子供の頃は生き物が好きで、祖父母に連れらて松茸を取りに行ったり、海では釣りをしたりして遊んだ。
母は生き物がとても好きな人で、釣った魚を持ってゆくと母が一番喜んでくれた。
スペインに1カ月 目的のない旅を父がする時に兄と共に行ったが、リアス式海岸の本場にいった。
リアス式海岸はぎざぎざした地形、その地形はほとんど川が削った谷底で、いい漁場であって牡蠣の養殖が盛んで、豊かな海だった。 個体数が多い。
ピ-スネーチャーラボ代表理事 震災後に立ちあげた法人 地域作りをやって行く上で経済効果は切っても切り離せないので、殻が付いた生きた状態で家庭にとどいてそれを剥(む)ける家庭かどうかわからないので、加工食品が重要と思うので、牡蠣の熏製ってうまいよね、というところからはじまって、牡蠣の熏製のオリーブオイル漬けを商品化、販売も始める。
海辺に人が集まれる場所がほしいと言う事で新らしくカフェを始めた。(自然からかけ離れている人を対象に) 肩書きだけだと20近くある。
環境省生物多様性保全推進アドバイザー、地域作りの生物調査等のアドバイザーもさせてもらっている。