小野友道(熊本保健科学大学・学長) ・ハンセン病と五足の靴
74歳 昭和41年熊本大学医学部を卒業したあと、大学の皮膚科の先生となり、皮膚がんの研究をされてきました。
その当時はハンセン病の患者さんが差別に苦しんでいた時代で、小野さんは世間の誤解を正そうと必死に闘ってきました。
若い小野さんの憧れの師が皮膚科の先達として世界で活躍した太田正雄 別の名木下杢太郎、医学者であり、文学者である後世に大きな功績を残した人です。
保健医療の特化した大学、太陽光パネルが2672枚、2年前までは大学では日本一だった。
1/3~1/4はこれで賄っている。
高校卒業し、山口県から熊本県に来て、言葉に困った。
安保の時代で勉強はあまりできなかった。
内科に行こうと思っていたが、私は完全なる音痴なので、聴診器で心臓の音を聞いても音程とも違うので、駄目だと思って皮膚科に行く事になる。
父は弁護士なので、司法試験を受けると何となく思っていたが、父からお前では通らん言う事で、妙に納得した。
ハンセン病、梅毒、天然痘とかは皮膚科領域です。
ハンセン病はらい菌という細菌で、普通の人にうつることはない。
ハンセンと言う人が、らい菌を見つけて、それからこれが感染症であると言う事でかえって差別が広がったという歴史がある。
熊本は特にいろんなことが起こりました。
恵楓園 ハンセン病の療養所、エポックメーキング、差別のことがらはここでいろんなことが起こった。
恵楓園には若いころには週1回御手伝いに行っていました。
全部脱がされて、白衣、帽子で行って、帰りはコンクリートむき出しの馬が入る様な風呂があり熱い風呂に入って、着替えてくる、そんな時代だった。
ハンセン病の疑いがあるから皮膚を取るということで、器具を取りに行って戻ってきたら、患者さんを真中にして医者と看護師が全部遠巻きになっていて、吃驚した。
自分の仕事だから私が皮膚をとりましたけれど、そんな時代だった。
ハンセン病の差別はまだ解けませんね。 刷り込まれた大人はなかなか難しい。
学校から恵楓園に出かけて、恵楓園には人生の達人がいっぱいいるので、その人たちの話を聞く、そういう事が大切で、それを今熊本県の小学校、中学校が色々と行っています。
尊敬している人、太田正雄教授(皮膚科の医者)、木下杢太郎 (詩人)
絵描きになりたかったが、死んだ時には1000枚近くの絵を残している。
ドイツ文学をやりたかったが、親に絵と同様に反対された。
「太田母斑」 あざ いろんなパターンがあるが、其れを一つに纏めて、太田母斑と言う概念を作った。
フランスに留学中に、カビの研究で新しい分類を作って、フランスのレジオンブルーヌという勲章までもらった。
ハンセン病の研究をずーっとしていて、強制入院させ隔離する時代に、治すことができる病気だとずーっといい続けて、伝染病研究所でらい菌の培養を続けた人です。
外来でずーっと看続けた。
東北大学時代に赤の学生についての、指導の役割りが廻って、森鴎外の会作って、外国に眼を向けて左翼の運動だけでは無いぞといって、学生を導こうと2,3回やったら、東大に転勤することになり、その時に慰留の運動を学生がやった。(非常に人気があった)
先生は日記をずーっと書いていて、戦争批判がずーっと書いてあった。
陸軍がペニシリンの開発をやらなければいけないと言う事で、ペニシリンの開発の一員になっている。
2002年に熊本で全国皮膚学会があり、その時に何か熊本を宣伝しないといけないと思い、天草は若いころ太田正雄が歩いた事を誰も知らないだろうと展示コーナーを作り、調べれば調べるほどのめり込んだ。
「5足の靴」 若い時の旅の紀行文 明治40年
与謝野鉄幹、北原白秋 ・吉井勇 平野万里 木下杢太郎 5人が天草を歩いた。
東京二六新聞に投稿 それが「5足の靴」
北原白秋 木下杢太郎はお互いに切磋琢磨して、帰ってからキリシタン文学、南蛮文学の走りになって、大きなジャンルができた。
私は頼まれて「5足の靴」のかるたを作ることになった。
皮膚がんについて研究をしている。
日本人が長生きするようになって、皮膚がんの発生頻度が上がる。
紫外線の影響で色々な癌ができる。
メラノーマという悪性黒色腫 が増えてきて、皮膚がんをやりたいと思った。
オゾンの層が薄くなってくると太陽は余計に皮膚にとって敵になる。
皮膚がんは早期発見ができやすいが、なかなか病院に来ない。
子どもの癌もある、生まれつき紫外線に当たると人の10倍20倍も免疫を与えて4、5歳ごろから癌ができ始めることがある。
人類の一番の敵は太陽、次に酸素だと言っている、無いといけないが。
皮膚は外観を形作る。
皮膚は個体を守っている素晴らしい臓器だと思っている。
紫外線には適度に当たることが大事。
皮膚癌が一番おおいのはオーストラリアの白人、原住民は大丈夫。 色が黒い方が皮膚癌に強い。
刺青、昔は秘匿の刺青 今はファッションの刺青になっている。
考えをすこし緩やかにする必要があるのかもしれない。