2012年10月25日木曜日

荒木浩(国際日本文化研究センター教授) ・世界に誇る日本の古典を見直す

荒木浩(国際日本文化研究センター教授)・世界に誇る日本の古典を見直す
古事記が完成してから1300年 方丈記が執筆されてから、800年という節目の年 
日本の古典文学に対する関心が高っています
4年前の2008年11月1日は源氏物語が世に出てちょうど1000年になり、日本の古典を見直すため
この日を古典の日しようと京都を中心に進められてきました
ことしの8月に「古典の日」を11月1日にするという事が正式に決定した
源氏物語の作者の紫式部の書いた紫式部日記があるが、1008年11月1日に源氏物語について
の文献上の初筆であると、言われている
2008年に源氏物語の千年紀が企画されて、11月1日を「古典の日」と命名した
当初8名が千玄室(裏千家)  秋山虔(けん 国文学者) 瀬戸内寂聴(作家) 
芳賀 徹(比較文学研究者) 冷泉貴実子  梅原猛(哲学者) ドナルド・キーン
村井康彦(日本史)  らが呼びかけ人  推進委員会を立ち上げる
今年の11月1日が第一回目になる  古典の日絵巻などのイベントを行う
12月4日に文化人が集まって古典の日のイベントを東京でも行う

古事記 1300年  方丈記800年  古典への関心が高まっている
平城京の復元 方丈記がこんなに注目されるのが意外  方丈記は無理じゃないかと思われて
いたが、大震災を経て、注目される様になった
法然が亡くなって800年   「沙石集」著者 没後700年
古事記の魅力 面白い古典  日本書紀に比べると記述が少ないが、神話の世界  
神様が生れてくる世界  固有名詞がおおい  音読したらどうか
中間から天皇の時代になるが、垂仁天皇をめぐる悲しい話がある  
兄への愛情と天皇に対する想い
何故古事記は推古天皇で終わっているのか、聖徳太子は名前だけ出ているとか 
いろいろ面白い事がある

夢と文化の研究をやっているが、古事記を読んでいると、夢と言う文字が初めて出てくるのは、
人間の世界の事になって初めて出てくる
神の時代(上)には、要らないが 天皇の時代になると(中) 出てくる  
崇神天皇の時に出てくる   ストーリーとしては良く出来ていると思う 
方丈記は滅びの美学  坂口安吾が第二次世界大戦が終わって 「堕落論」を書いているが、
滅びの世界
心敬が書いた  「ひとりり言」 応仁の乱  が方丈記の様だと   
啄同機」(さいたくどうき) 禅の言葉  親鳥が卵を温めていて、そろそろ生れるなと言う時に雛が内側から
突っつく、これが「」で 親鳥が外から突っつくのが「啄」
其れが大体同じような時にやると無事に雛が孵る タイミングと言う事をめぐる事  「啄同機
「シンクロニシティー」  ユングが作った なんか知らないが、不思議に同時に起こること   
啄同機」 「シンクロニシティー」は 方丈記の今年を象徴しているようだ   
必然性を持って現代に蘇らせている

五大災厄の記載がある  京都の1/3が焼けた  旋風 家を巻き上げる  福原遷都(平清盛) 
飢饉(何万人)  大地震
方丈記は平家物語の時代  だが鴨長明が選んだこと(平家物語に書かれているようなことは
一切書かれていない) 
方丈記は基本的にはカタカナで書かれている  川、水のみは漢字で書かれている
方丈記は仏教の説教のように言われるが、そうではない  
説教はしつこく言うが、方丈記は二度は言わない 「無常」は一回しか出てこない
伊勢物語は雅の世界だが雅と言う言葉は最初の頃に一回しか使わない
音楽家であり、和歌をたしなみ、仏教の本を持っていた(漢文で書かれていた)文章を書くための
要素は全部長明には備わっていて、それを吐き出す才能を持っていた
留学生で古典をやりたいと言う人が多くなっている  

 翻訳しているので、日本文学を良く知っている
アメリカはコロンビア大学(ドナルド・キーン氏出身)を中心に盛んに日本文学を研究している  
方丈記と草枕(夏目漱石)が似ていると思った 
 陰溢的な状況 グレン・グールドは死ぬまで草枕を読んでいた
枕草子で之に完全に魅了された  その後源氏物語を読んで、之は凄いと思った  
古典の真髄みたいなものを感じた
「悠々と急げ 」  急ぐだけだと判らない ゆっくりと急ぐことによって段々と解ってくる  
急いではいけない、悠々と急ぐ  沢山読みたい 
一回読んでも判らないことが二回読むことによって驚くほど判ることがある  
二回読む手間さえ惜しまなければ、じっくり味わいながら、読む
兎に角沢山読んで、いろんなことに関心を持って言うと、ある時ふっと面白い発想にとらわれる 
来年世阿弥が生れて、650年になる

世阿弥と方丈記は全然関係ないように思われるが、世阿弥が作った養老という能の中に
「行く川の流れは・・・」としてひいてあったりして、
世阿弥の書いた、能の学問書に「節付け次第」という書があるが、そこに弾いてあったり、
どこで人々が教養を体験して、その自分の作品に持ってくるか判らないので
まさにストライクゾーンを広くいろんなものを見たり、考えたりして、頭に蓄積して古典を読んでいくと
、文化の網の目のように古典にはある様に思える
のめり込み出すと、面白いことばっかりで、あれを読んでも、之に気付き、之を読んでもあれに
気付きと言う事で、それこそ寝られない夜が続くと言う感じです