2012年10月6日土曜日

中西進(万葉学者)       ・大和言葉の心

中西進     大和言葉の心
日本の古典文学研究者、比較文学研究者、万葉学者、奈良県立万葉文化館館長、
池坊短期大学学長、国際日本文化研究センター名誉教授
『万葉集の比較文学的研究』 『万葉史の研究』 『源氏物語と白楽天』
国文学者、万葉集研究の第一人者  中国から入ってきた漢語等の外来語に対して元々日本で、
使われてきた言葉を大和言葉と言います
文字の無かった日本に漢字が入ってきて、大和言葉にも、同じ意味、或は似た意味の漢字が
あてられました
漢字から離れてひらがなで読めば、本来の日本語、大和言葉の心が見えてくると考えています
大和言葉→3世紀頃までに日本列島に共通して使われる様になった、基本的な言葉を 仮に
大和言葉と考えると凄く便利になる
弥生時代、縄文時代 それからずーっと言葉が選択されたり、それまで言葉が修正されたりして、
言葉が変わってきた
其れが3世紀頃に一つの体系になった  漢字が入ってきて、文字を音読した  
そういうものが入りこんでくる 
木簡(木とか竹) 文字を書く  紙が入ってくるがこれが「簡」(かん)が「かみ」になる
文化を表す言葉、階級をあらわ明日言葉、認識を表す言葉、この3種類が中国の文字を通して
日本語になった物

一番基本は人間の身体  目 人間と植物を比較する   
芽が出る 生命の活動  目 花が咲く 中心の処 鼻  実がなる  二つあるから耳
植物と人間との対応の中から自然に生まれてきたもの 
日本語の大和言葉の中心のもの   
骨  優れた根っ子  手足を昔は枝と言った 
真ん中は幹 幹はいながらの「から」   だから「からだ」    
手足の事を古事記で枝と言っている
「歯」 は咀嚼する  植物は葉っぱが無いと栄養が取れない 「は」   植物と対応させている
文字が入ってきて、文字を書くと言った    「書く」は「ひっかく」んですね  
へらで土器に模様を付けていた ひっかくを文字を「書く」にした

「欠く」 これも「ひっかく」(取り去ることから)「かく」→欠くになる   中国では全部区別している  
本質的な動作に対して名付けようというのが日本語じゃないかと思います
「血」  おとうさん は「ちち」という   不思議なものを 「ち」という   いかずち  おろち   
ミルクの「ちち」もそうなんです 
極めて大事なもの 霊的なもの  人間の「血」が身体を養っている  
子供を養うのが「おちち」  或る基本的な働きの中で分類している訳です 日本人は
漢字をあてがうとぜんぶ違ってくる、 お父さんもミルクもブラッドも全部違って来る  
「たらちね」  おっぱいが充満している お母さんの基本的なものは子供を養う不思議な力なんですよ  
「ちち」なんです

話す 語る ・・・皆違うが    語るは騙すことですから  
話すは口から言葉をポンポン出している  無責任なんですよ    
一番厳粛な言語行為は 祝詞(のりと) なごり    気軽なのは、話す 口から離れてゆく  
はなれる  はなす つきはなす 見事な本質の理解だと思います
日本人は本質的に同じ役割をしているのを同じ日本語にした  本質を捕まえる事が大事
あきらめる・・・ギブアップした   明らかにする事を「あきらめる」という  
古い言葉でいうと「あきらむ」  「あきら」が中心
明らかにすると言うのが 「あきらめる」  放棄する前に一生懸命物事を考える 

実態を、今この仕事はどうか、できるか、できないか、いつまでにしなければいけないか
明らかにズーッと見てですね、その大変なエネルギーの結果もう全部見てしまった 
もうこれ以上見られない、だから判らないでギブアッップと言う事になるんですよ
最初から放棄するわけではない  
努力してあらゆる手立てをして、どうしようもなくなって、初めて  「あきらめる」
うつす  映像を映す  ものを移す  鏡に映す  写真を写す  基は「うつす」  
漢字で書くと違うが本質的なものは同じ
柳田國男 一番現代人の病気は 「どんな字病」だと言っている  
「それはどんな字を書くの?」と聞く 
   
漢字を取っ払って元のひらがなに戻すと意味が判ってくる     
万葉集  大和言葉  8世紀の中ごろに出来た  漢詩、漢文を排斥した  
すべての表現が大和言葉によってできている  4500首ある
そのうちで外来語は16語位しかない  主に仏教語  通行手形の「たそ」があるがそれだけ  
あとは大和言葉です
生活になじんできた大和言葉で編纂されている  大伴家持  日本文化を守ろうとした  
新興貴族が藤原氏  外来の教養や価値観で政治を行うわけです
これに物凄い反発がある  その最たるものが古来の名門である大伴氏 なんです  
これではいけない 天皇を中心として美しい伝統を守ってきた政治を実践することだと考えたわけです 
ハイカラな外国の買いものの様な政治は止めようということです 美しき伝統の中心という
意味なんです

古今集ができた時もそうなんです 伝統の政治を願って古今集ができる  
300年経つと新古今集ができる
高級貴族は外国語はペラペラ 最高の知識人だった    
万葉集 は読むものではなくて歌うものだと言う風に言われる  歌う は訴えるもの  
人間の感情に訴える  「うたう」
文字に書いてしまうと無機質になる  感情に訴えるもの  
「全訳万葉集」  声を出して読まなくてはいけない  リズミカルなんです 
 漢字をあてたがいろいろバリエーションがある
日本人 話し言葉の民族  諺の文化だった  家庭では文字を使わなかった  
文字でのやり取り(メール)は人間性の欠損、崩壊ですね

木簡は大事だったが、当時一番大事だったのは言葉(話し言葉)が大事だった
(奈良国立文化財の人の言)
手紙 使者に持たせる  内容は使者が話して伝えると書いてあった (奈良時代の終わり)  
話す言葉がいかに大事か
日本語の特長は話し言葉  人間性を持っていて一番大事なのは対面性なんです  
文字は対面していないものに対する言語
文字を持ったと言うのは孤独を知ったと言う事なんですね  話し言葉の復活が大事だと思います
ギャグが無ければ言語は殆どの機能を失う  洒落が楽しい 
言葉という者の限られた要求 伝えるものが言葉だと思っている 

 法律なんかそうですが、事実だけを伝えると言う中で生活をしていたら、息が詰まる
言葉の中で内容が有るものと内容が無いものとは、家庭では半分でいいと思っている  
半分は感動の言葉とか 驚き、許可を求めるとかでいいと思う
サイエンス的な言葉が多くなっており  情緒的な言葉は皆軽蔑されている  
万葉集は例えが多い  ギャグと似ている   長い歴史を保存している言語は少ない  
英語、ドイツ語とかあるが、日本人は遥かに永い生活環境をずーっと
続けているので、1000年ぐらい、は昨日の様で 2000年前の(弥生時代)言葉が残っている
縄文時代の言葉はあると思っている  「ね」  「は」  兄さんが「あに」で姉さんが「あね」で  
「に」、と、「ね」の違い  母音が違うだけ
母音 子音の分岐   縄文時代の言葉ではないかと思っている

「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」  
全体の生命が躍動している
枕詞 枕詞として名付けた江戸時代の人がいけない  
頭にのっけているものではなくて、本質なんです
次の言葉と一つになって形成されている
「ぬばたまの よる」  「よる」だけでは判らない からすおおぎの まっくらな(具体的) 
よる(抽象的)
5 7 7という 呼吸法で話す  風土に合った呼吸法    命のリズムとイコールなんです 
「あいのかぜ  いたくふくらし なごのあまの  つりするおぶね  こぎかくるみゆ」 
東の風が ひどく吹いてくるらしい 富山県の釣りをしている漁師が ゆらゆら波に隠れたり 
見えたりしている 

いたくふくらし  痛いように吹く   いたく(肉体的苦痛を持っている)
言語の持っている身体性、肉体感覚を踏まえながら、言葉を使いたい  
そうすると雑な言葉なんか使えない
言葉の味わいを豊かに感じること その表現者になることが大事  
情報言語への依存 余りにもはなはだしい それを気を付けないといけない 
情報言語=科学言語  その反対が 詩の言語 自己表現の言語   
相手に対しての何もないけどせざるを得ない 言語者としての必然性ですね

素晴らしい言語を産むんじゃないんですかね  
真っ赤なトマトを見て  「トマトのほっぺが焼けどしている」 情報ではない  生活を豊かにする
近代 自推的なものに価値が移っている   もの どのくらいなものが生産したか 
日本語の分類の仕方と違う
現在は訴訟社会  書いたものが大事   話すことの大切さの認識が必要 
 豊かな言葉で話すことで楽しく暮らしてゆく