2012年10月21日日曜日

佐藤昭人(日本藍染文化協会会長) ・ジャパンブルーを守る

佐藤昭人(日本藍染文化協会会長)      ジャパンブルーを守る  
1939年生れ  徳島県特産の藍染め原料作りの伝統を守り続けている藍師の19代目で、江戸時代から続くという伝統の製法で藍染めの原料を作っています
其の技術は阿波藍製造技術として、保存会が国の無形文化財の指定を受け、佐藤さんはその代表を務めています
又現代の名工にも指定されています  
藍染は古くから日本人の生活に親しまれてきましたが、西洋藍の流入で日本の藍の生産は激減阿波藍も昭和に入って、生産農家は佐藤家だけと言う時期もありました  
そんな時期、佐藤さんは伝統の技術を守りながら藍染めの原料を作り続けてきました  
天然の藍を取り巻く環境は厳しいものがあります  
生活の洋風化や経済ショックによる着物離れの進行、安価な化学染料等の利用などです
日本の色を藍を守り続けている佐藤さん   
藍の葉を発酵させてつくる染料「すくも」 ジャパンブルー

ジャパンブルー 明治の時にイギリス人が言いだした   
藍染めは国民の中に浸み込んでいた  
各藩にお城が有って 多くの人がいて、藍染めは体臭を外に出さない
皮膚病には絶対ならない  戦争の時に野宿しても藍染めは蛇も毒物も絶対寄ってこない  
火の粉が飛んできても燃えにくい
火消し、消防団のはっぴは全部藍だったんですね
自然の草が原料でないと薬効が無い 殆どが化学染料  1%位しかない  
何百年経っても変色しない  箪笥に入れていても虫は付かない  
江戸時代のものが色あせずに残っている   
洗っても色は落ちない(最初の1回目は落ちるがその後は落ちない)

最初に一緒に白いワイシャツとか洗濯しても水は青くなるが、ワイシャツは青くはならない(青くなったら化学染料)
今徳島には藍師は専業が3人、勤めていてやっているのが2人 で合計5人です
たで科の草  明治36年までは1万3000~5000ヘクタールあった 
徳島県の農地の半分ぐらい有った 
現在は20ヘクタール位  1/1000位になってしまった    先進国で残っているのは珍しい  
草の葉は本土のみ たで科の1年草  春に種をまく 草を作って乾燥させて 12月に仕上げる  1年工程 で作る   
外国は数週間で出来る  (藍の製造は)  手間がかかって大変   すくも 1年掛る

3月に種をまく 4月に定植する 6月の末 7月、8月  摂氏30度の頃に収穫する  
一回かったら芽が出てきて 2回ちょっと収穫できる  
大安の時に種をまく  
発酵させてゆく 摂氏60度~70度で100日間一定に温度を保って、5日に一回地下水を掛けて混ぜてやる
10月10日までは気温があまり下がらない  10月20日過ぎて急に下がる 
藁で編んだ筵を掛ける  (10月20日前後)  イチョウの葉の色が紅葉が始まる 
そうするとむしろを掛ける  藍の原料を作るのには大切な時期 神経戦  油断ができない
寒さ対策 2枚に3枚にと、かぶせてゆく
  
裸足で自分の足に当って其の温度を叩き込まれる(65℃)  やけどもある  
5時半ごろに起きてきて、臭い、温度、自分で把握しておく  夕方に3時終わる  
秋の夕日は違うので日の光で調整する
温度が下がってしまったりする時があるが、直ぐに重ねる  
日本酒を吹く 5升位吹く
瓶に仕込む時にも日本酒を使う  自然の様子を気にしながら、(目安にしながら)作業をする
ツバメが飛んできたら、次の代半?」に種をまけとか  立ち葵の一番下が咲いたら、梅雨に入るとか  鴨が来たら、いちょうが黄色くなったら、何をするとか 叩き込まれた  
長男は家を継ぐのが当たり前だったので  藍が一番効いたのは蒸気機関車が無くなると(昭和30年代の後半)作業者は藍の詰襟の服だったので、一人も無くなった 
   
第二次世界大戦のときに禁止植物になった    
藍は1年草なので当時冷凍ができなくて祖父が、山奥で隠れて栽培して、繰り返して種を保存した (17代目の人)  
戦争に負けて21年に復活した  藍の種を守る  
私は出来ると言う時に失敗する   
昭和40年ごろから売るものが無くなって 、酪農で生活を支えて 藍の技術を絶やしたらいけないと続けた

今は日本人は藍を忘れているけれども、本物が無いから忘れていると後押ししてくれる人がいた
一人ぐらい本物を作る人が居てもいいんじゃないかと言われて、
(1億人の中で1人位馬鹿がいて良いんじゃないかと言われた)
今は数人は藍師がいる  国の無形文化財になる  昭和53年  (私が37歳の時)  
当時80歳代の人が何人かのみ  
日本の藍ぐらい良いものは無い(東南アジアを見学したが)  
外国は技術が残っているなあという程度  外国は木の葉が原料
葵の紋の着物 300年経っているが染めたばかりの様な綺麗な色  防虫剤も要らない 
他のもので染めたものはボロボロに成っている
本物の藍を残さないといけないという想いがある 
 
本物の藍は高すぎるようになった(以前は庶民の染め物ではあったが)
農業をやる人がいなくなったので、藍の原料が作りづらくなった
最近の若い人は頭でおぼえようとするが、身体では覚えない  
汗かいて人の物を見るものなので、藍の製造する人もいなくなるし、  
(生活をしていかなくてはいけないので)  
世の中はまがい物が多すぎて、どれが本物か判らない  違いが判る事は難しい  
化学染料は洗うほど醒めてくる(ジーパン等) それがおしゃれだと思う    今は難しい
化粧品、薬等で研究されているが、まだ、御祖父さんの域に達したいと思っているが、解ってくると難しさを感じる   
伝統産業は難しい処はある  
藍は暑いほど良い、冬は寒いほど良い  今年の原料は順調に進んでいる
カマス 袋は通気性が無いといけない ビニール袋だと死んでしまう