2012年10月7日日曜日

渡辺隆次(画家73歳)      ・生命曼荼羅を描く

渡辺隆次(画家73歳)           生命曼荼羅を描く  
1939年 八王子の生れ  武蔵野美術大学 西洋画科卒業 エッセーストとしても活躍 
1977年から八ヶ岳山麓にアトリエを構え自然の中での製作を精力的に進めています  

八ヶ岳山麓にアトリエを構えてもう35年を超える  
来た理由、都落ち バブルの前  東京で広い場所で絵を描く場所が無かった
最初は海に居を構えたかった  水泳は好き  
自然の力を頼りにしたいと言う気持ちが有った
頭で製作するには限界があるので、自然の力を借りたいと思った    
卒業後10年ぐらいは油絵で製作していた
八ヶ岳の空の大きさと明るさが魅力  
ぐるりと大きな山岳が見える 縄文人が多く住んでいた場所でもある

せんぶり(薬草)等が庭に群生していた 
自然のままの状態に庭はしているので、草は刈らないようにしている
あぜ道、棚田、自然のままの状態で残っていて、最初は写真で撮っていたが、念入り写生をしていた モチーフがいつの間にか、草花に成っていた
大学当時は先生を含めて印象派であったが、戦争で疎開している時に、自然と触れ合う機会があり、それに浸りきったのが、原点にあるように思う
「おおむらさき」が庭に来る(7月下旬)  こならやくぬぎがあり、樹液を吸いに昆虫が来る   
2000年、武田神社(山梨県甲府市)菱和殿に山梨の草木禽獣などを描いた  
オオムラサキも描く
きのこ 庭に梅雨のころから見たこともないようなキノコが次次に出てくる 
色、形が違うキノコが出てきて これは何だろうと図鑑を購入して、のめり込んだ 

最初に「きつねたけ」を発見した  まず食べれるかどうか 調べる   
10年単位で植物が変わってくる(人間の手を加えなければ)  
季節がぐるぐる回ってくる  そして命が表れては、消え 表れては、消え 消えっぱなしということは無く、そういうもののなかに、自分の魂も混じっていると、自分も全く同じ生き物だと、同じ小さな一つの命だと実感する
キノコを見付けるまでは、植物と、自分を含めて動物とこの二つで世界はあると思っていたが、この植物と動物の架け橋をするのが菌類だと言う事を知って、動物は全て、消費する、植物あるいは動物を消費する   
これが絶えないのは菌類が 仲介してこの無機物から有機物を生み出す循環を担ってくれている、それを教えられました
  
植物 動物 菌類と この三つで成り立っている    
35年間も、こういった自然の中にずーっといると、人間であることが恥ずかしい様な気がする 
何で恥ずかしいんだろうと思ったりして (誰も見る人がいないのに)   
それはおそらくつつましい植物の生き方、とかたたずまい、こう言うのに比べて、何で自分は煩悩が多いんだろうと、この悩みを如何して引きずっているんだろうと、この恥ずかしさなんだろうと思いますね  
歳をとれば少しは減るだろうと、思ったが人間と言う生き物は変わりませんね  
益々恥ずかしい
作風は多いに変わってきている  
自然の中にすっぽりはまっているので、どうしても人間は花が咲いている時、実がなっているのが自然と感じていると思うが、日本の四季は良く出来ていて、それらが枯れて行くんですね
 
枯れる姿というのが何とも風情がある  そればっかり書き始めた  
絵巻物仕立てで、墨と筆一本で書いたのですが、そこに 美しい世界が有るなと思った
ガーデニングには興味はわかない(色、形 枯れたら棄てられる)   
枯れるのは醜いのか  死はいけないのか  咲いてるときだけ褒めるべきなのか
枯れてゆく姿も立派な美であると 感じた