2011年7月1日金曜日

小濱正博 (メッシュサポート理事長)   ・沖縄・救急ヘリの支援

 小濱正博 (メッシュサポート理事長)  沖縄・救急ヘリの支援  
ドクターヘリの試行事業として取り組んでいた  
資金面の問題があり 運休せざるを得なくなる その間240回の出動がある 地域住民からは頼りにされていた NPO立ちあげて、継続の道を探る 13万人 沖縄は広域の為公共のヘリだけでは賄えない 15分以内でフォローする必要がある 心臓停止 2~3分 呼吸停止 5~10分 大量出血 30分以内 の対応が要求される 
生命に係わる時間
メッシュが今回被災地に送られた
 
最初知り合いの大学教授から依頼された 
千葉の放射線医学研究所のひとを福島・第一原発にピストン輸送してほしい →危険区域の為一旦停止
岩手の方から依頼 対策本部医療班が現場に行ったことがない 
TVの報道で指示出している 対策本部は把握してない  
道路が開通したという事で行って見ると、3~4時間掛ってしまい問題
花巻空港に20機ヘリがある→簡単には頼めない →行政の問題点  民間はトップが掛け声かければ動ける
医療チームの指揮官も、決定し、動けるまで時間が掛ってしまうのを知っており、頼もうとしなくなってしまっている→救える人も救えない  

沖縄からヘリ輸送して医療活動するようにした  →医療及び情報収集、医療物資
これから先、中~長期医療支援が必要であるが、後方支援の病院の数、医療機関のスタッフの不足で十分支援できない状況にある
限られた医療資源(人、物)でスタッフを疲弊させないようにしなくてはいけないが、往復に時間がかかってしまうのが現状
臨機応変な輸送体制を整えることがこれからの課題
スタッフの送りこみも限度がる スタッフを疲弊させないためにはヘリは有意義だと思う  
車で4~5時間に対しヘリは15~30分で対応
沖縄へのフォローは不足してしまったが理解してもらう  
ここで手を差し出さないと日本人ではないと思った

メッシュは沖縄だけのものではない 
反対があるようならばこの組織は止めようと思った
民間の組織で最も重要なことは自由度が高いという事  
迅速な支援を作り上げるのが大切(行政は煩雑な手続きが必要 動きが鈍い) 資金の必要性、 1億2000万円 必要  運行費用は火の車 公的支援欲しい  
会員 1万7000名 →3500~4000万円  9000万円は個人、企業からの寄付で賄う  
会員数増やしたいがこれから数年掛る
日本国内では他にはない(ヘリでのサポート支援)
どういうものがあった時に救えるのか→ヘリからホバリングして患者をリフトアップするシステムを持ったヘリの数で救える人数も決まってくる  

道路が遮断されている様な災害があった時、いくら救急車があっても患者は救えない
他府県と協力して有事の際は対応することが大事  
日本のなかで航空機を使った医療というものが貧しい(欧米に比べて)
災害発生時、報道のヘリはいち早く現場に来て、情報を流すが、人を救ったり、物資を降ろすヘリが飛んでいないという姿だけは見たくない
出来ない時代ならば諦めもつくが、出来るだけの資金、技術、物もある国が出来ないというのが問題である
出来るのにやらないというのが一番悪い
過去を踏襲するのではなく、失敗を恐れず、新しいシシテムをどんどん作り上げてゆく事が大事 ヘリを使い、固定翼、ジェットを使いあらゆる通信網を、手段を使って、迅速に救える体制を構築してゆかないといけない時代が来ている

2011年6月28日火曜日

村上和雄(筑波大学名誉教授)    ・遺伝子の謎に挑んで

村上和雄             遺伝子の謎に挑んで
<概要>
筑波大学名誉教授  遺伝子研究を始めて50年以上  DNAの働きが判っているのは2~3% 
残りの98%程度は働きが判っていない
遺伝子はONとOFFを繰り返しているが、そのON、OFFに関係しているのではないかと考えている
いい環境とかポジティブな考えがONにする  
ONにすることにより素晴らしい可能性の花が開くかも知れない  
ネガティブなストレスは癌や病気のもとにもなる
笑いはいいストレス 健康によい   
心の持ち方によって遺伝子がON,OFFにすることが出来るようになるのではないか

1953年遺伝子の本体が判る DNA→その後ものすごい発展を遂げる  
一人の遺伝子暗号を解明するのに1000億円をかけた
10年後には10万円で解明出来るだろうと云われている(加速度的に進歩している)
一人一人の遺伝子を解明できるようになると、病院ではオーダーメイドの医療法(一人一人の)が出来るようになる可能性あり、レニンという酵素を研究していたが、限界に達する→遺伝子工学という学問を開始 人のホルモン、タンパク質を大腸菌で作れるということで30年近く前の酵素の研究から遺伝子の研究にシフトする

(*レニン:アンジオテンシノーゲンのペプチド結合を分解してアンジオテンシンIを合成するタンパク質分解酵素の一種)

この酵素は間接的に血圧を調節する。またレニン酵素タンパク質の遺伝子の活性が強いと
高血圧になりやすくなる
高血圧の遺伝子の解明で大きな業績を上げることが出来た
遺伝子は親から受け継ぐ  遺伝子はダイナミックに働く事が最近解ってきた  
遺伝子はONとOFFを繰り返している
DNAの働きが判っているのはせいぜい2から3% あとの98%程度はどんな働きをしているのか
さっぱり分からない(ONとOFFに関係しているのではないかと考える)

良い遺伝子を起こして、悪い遺伝子を眠らしてしまえば、いろいろな効果が考えられる
石川遼の父親と対談したが、石川家にはすぐれたスポーツをする人はいないという  
誰でも素晴らしい可能性を秘めている 環境が非常に大事である
石川遼は環境がそうさせた可能性が十分考えられる  
人間はオオカミに育てられるとオオカミ少年、少女になる  遺伝子は変わってはいない
環境が人間の能力とか才能とか、性格にいかに大きな影響を及ぼすか頷る
今 豊臣秀吉のクローンを作っても 絶対太閤秀吉には成れない 顔はその様になるが環境によって作用される

運動はいいというのは解っている 何十万年も人間は動いてきたが、最近は動かない  
認知症の人も動いた方がいい
動かすと筋肉が付く→筋肉に蛋白質が付く   
どんなタンパク質を作れというのは遺伝子に書いてある
運動によって遺伝子がスイッチONになる  
32億文字の遺伝子を人間は細胞に持っている 
1ページ 1000文字の 1000ページの本を3200冊相当が一つの細胞の核に中にそれが含まれている 
人間の細胞は60兆個といわれる  
成人一人1kg当たり 1兆個といわれる(数えたことはない)
60兆×32億文字が人間の体の中にある  皆自分の花を咲かせる可能性がある  
私達は皆、人と比較する
38億年の遺伝子を連綿と受け継いで人間は今まで生きてきた  生きていることがありがたい  
私達は生きていることが当たり前と思っている
どれだけの奇跡かというと ジャンボ宝くじ1億円を 100万回当るような確率
大震災は国難に当たるけれど、私達はこれを大きな学びの場にしないと亡くなった人に対して申し訳がないと思っている
これは天からのメッセージであり人間は傲慢になっている (何でも科学が出来ると云うような) 
自然をわかっていない 謙虚に生きる必要がある
日本人全体に対するメッセージのような気がする  有りがたい 感謝の気持ち 
運動とか食べ物で遺伝子がONになるとおもわれる 環境の中に心がある 
心の持ち方によって遺伝子がON,OFFにすることが出来るようになるのではないか
笑うと癌が治る 遺伝子のON、OFFもかえられるんじゃないかと思った
 
仕事も好きな仕事をやるとあまり疲れない 嫌な仕事をやれば直ぐ疲れる 
環境という中に心がある  
心はどこにあるのか
2つに分けた  陽気な心(楽しい、嬉しい、感動する、喜ぶ 深い祈り、ポジティブな心)はポジティブな遺伝子のスイッチをONにする
ネガティブ(不安、恐怖、いらいら) ポジティブなストレス、ネガティブなストレスがある  
今はストレスの時代である
多くの病気はストレスが原因になっている  
癌、高血圧、糖尿病、 特に精神的な病気はストレス (うつ病しかり)実験でも証明されている

ネズミを虐めると胃潰瘍になる ネズミを虐めるのは優しいが喜ばすのは難しい 
ネガティブなストレスは血糖値が上がる
ポジティブなストレス→笑いで血糖値を下げることが出来る  笑い療法が出来る可能性はある
どの遺伝子が笑いでON という事が判り始めた  
笑いと遺伝子で博士号をとった人が日本で世界で初めて楽しい心が遺伝子をスイッチONにする一つの証拠ではないかと思う

天才的音楽家、画家等の回りが決してそのような人がいない  
環境、本人の努力というものが非常に大きい
イチローは大リーグという環境に行ったことにより、大リーグの記録を塗り替える事が出来た
(日本にいれば日本のイチローで終わった)
(世界のひのき舞台 メジャーに行ったという事が遺伝子のスイッチをONにした)
アメリカは科学技術に関しては超一流(ノーベル賞受賞300人) 立派な人に会うと刺激を受ける
私の研究のきっかけを作ってくれた人はノーベル賞を貰ったスタンリー・コーエンという人 
この人との出会いがきっかけとなっている
出合わなければ、高血圧の研究はなかったと思う

他の例  利根川進氏 免疫をやれというサジェション有  免疫の常識をひっくり返すよな事をしたその教授のもとには5名のノーベル賞を貰った人達がいる
石川遼、野村監督(上手に人を育てている) サジェッションが有効に作用  先生、親は子供に遺伝子のスイッチをONにするようにする必要がある
良いことはほめる 自信を持たす こういう分野がこれからは面白い 
親が才能を見出してやる・・・教育(夢と志)
日本をどうしたいか 夢、志が最近の若者にはない 
明治維新は20代の人が日本を変えようとした

大震災は国難であるが、ここで日本人がどういう生き方をすれば人間は幸せになれるか
 どんな国にするのか 考え直すチャンスに出来れば国難は生きる
不自由で嘆いているだけでは多くの犠牲者に対して申し訳ない 
21世紀は日本の世紀がやってくる・・・ダライラマとの会見で彼がいう
日本は壊滅的な敗戦から見事に立ち直った  そして科学技術も身に付けた  
仏教、神道がある 自然を敬い神仏を尊ぶ、共生してゆくものがある
「いただきます」・・・動植物の生命をいただくということ
太陽がないと動植物は生きられない 
水、空気、地球 こういうものが生き物を育ててその生命に対して「いただきます」

「お陰様」「もったいない」も英語に訳せない
物を作るのにおおくの人、時間、エネルギーを使うのでそれに対する感謝があるのだと思う
もったいない事をすると天罰が当たる  天は日本の独特な考え方 人間を超える大きなもの 
自然を敬うような自然の中に神様を感じるような伝統を持ちながら科学技術が発達し経済発展は 日本しかないと彼は云っている
目先の事、物質的なこと、経済とか、に趣を置いてきた  
そういうことだけではないという事を今回の大震災で教えてもらった
生きていることはどれぐらいありがたいことか 日本が出番が世界に来るためのチャンスにしないと申し訳ないと思いました

2000年ぐらい考えてきた言葉というのは文化である、考え方を表している  
日本は世界から尊敬される国になる
世界から日本は注目され、見直されているということは国難がポジティブな面を持ってる
大震災に会うような こういう局面にならないとなかなか自覚できない 
21世紀の最大の問題(解決する為に)は環境問題である
解決するためには、遺伝子の暗号は全生物共有  カビ、鳥、植物・・・全部同じ因子暗号を使っている 
そして繋がっている 生物は全部繋がっている
全部繋がっているということを考えないと環境問題は解決しない  地球は人間様だけではない 
今、地球に優しいというが、それは傲慢である
地球生命体が優しいのである  
人間のわがままを今まで許してくれたが、そろそろ限界にきている
それが環境問題、温暖化です  学問を、何十年と地震学をやってきたが判らない 
それを判ると思ってきた 
生命科学も50年間やってきた  
しかし生き物というのは如何に凄いかということ生命については殆ど解らない
今の科学が駄目なのではなく 生きていることが細胞一個が如何に凄いか 
まして60兆の細胞が助け合いながら生きているというのはただ事ではない

「偉大なる何もの」Some thing great それが神仏かもしれないし 大自然かもしれない 
科学的にはsome thingでなにも解らない
偉大な存在がないと生き物が偶然出鱈目に生まれてくるわけがない
生命の親みたいなものが、存在する、働きがあると思っている  
それを人類は神仏という事で日本人はお天道様ということでずっと考えてきた
それを最近忘れかけている  
科学を50年間やって来て、遺伝子にとりついて暗号解読をやってきたが、人間、生きていることの素晴らしさ有り難さ、を少し知ってもらおうと思って、  本を書いたり、講演をしている

2011年6月25日土曜日

畑裕子(作家)          ・激動の時代をしたたかに生きた女たち

畑裕子(作家)     激動の時代をしたたかに生きた女たち  
①茶々 鶴丸を出産 3歳で病死する  二年後秀頼を出産 自分の母乳で育てる
浅井長政21回忌の時に菩提寺 養源院を建立する(秀吉に懇願)
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建
元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興
秀吉が無くなった後、家康から難儀なことを再三しかけられるが、秀頼を助ける
②初  しっかりした女性だった
関ヶ原の戦いで京極高次は 西軍 大津城に籠城する 
慶長14年高次がなくなり、初は出家して浄高院初と名乗る
豊臣と徳川の関係が険悪になると、淀殿が心配になり、大阪城にたびたび出かけるようになる
大阪冬の陣の時にも城内におり、和議の使者となる
佐治 一成は、戦国時代の武将。佐治信方の嫡男。母は織田信長の妹・犬。
織田信秀の外孫で、信長の甥
不利な和議を飲まざるを得なかった
翌年3月 豊臣が京都を放火するという噂が流れ家康に噂について否定するために奔走する
家康が初を呼び出し、二条城にて会見 最後通牒ともいわれる書状を渡される
大阪城に書状を持って帰ると、秀頼から激怒される 戦の事は女に指図されるものではない 
めげずに淀殿を補助
大阪城が落城する直前まで淀殿の元に一緒にいる  淀殿を解きふくす事が出来ず大阪城脱出
その後江戸、京極屋敷に住むようになる 秀忠に和睦する
亡くなる一カ月前に遺言書をしたため、 浅井喜八郎(関ヶ原、大阪の陣で豊臣方に味方)藩主京極忠高に知行を与えてやってほしい 500石を与え、京極家家臣とする
③江 最初の結婚は佐治一成、直ぐ離婚 

2011年6月24日金曜日

南野忠晴(高校家庭科教員)     ・生活の感性を磨く 2

南野忠晴(高校家庭科教員)   生活の感性を磨く 2
家庭科を通じて考えてほしい事は、自分はどう生きてゆくか、自分はこの世の中でどのように生活してゆくのか、を自覚的に生きてゆく姿勢を身につけてほしい
家族、人間関係に多く興味をひかれる  
家庭というものを、もう一度広く見つめ直した方がいいのではないかと思う
瞬間的に見ると、父、母、子供であるが 長い目で見ると入れ替わってゆくもの、変化のあるものである
うまくいかない時もあり、その時次に一歩どのように踏み出すのか、前を見ながらポジティブに考えてゆく 

柔軟な姿勢を持っていれば、頭の切り替えが出来る、発想を変えられる  
いろんな選択肢があるという事を知っているという事が大事  
生徒たちにいろんな意見を出させて、話し合いをさせるのが主眼になっている →纏めない
結婚相手に対して求める条件 生徒は100ドルとして性格の良い人にいくら 収入の多い人にいくら と 入れさせて結果を発表する
いろいろな条件が存在することを知ってもらう  
生徒は劣等感の塊みたいなところがあって、駄目なところに目が行って仕舞う
自分というものがしっかりしていれば、劣等感を気にせず自分なりの生き方をして、その方がいいのではないか  

中、高年代の男性は 男子厨房に入らず 家庭の事にあまり口出ししないという様な時代背景の中で生きてきた
定年を迎えて、家のことについてうまくいかないとか、辛い思いをしているとかの話を結構聞く 初心者と思い、温かい目で夫を見守ってほしい  
夫もめげないで頑張ってほしい
 
税理士の妻が病気になって、家事、洗濯をやるようになって、大変さが判った、と同時に天気の事を考える自分に気付く(洗濯びよりか)
妻のパンツの畳み方を妻の思っているように畳めない 
やってもらっていることに対して、素直に「ありがとう」で良いだろう  
無理矢理やらせようとすることで、いろいろ軋轢が起こる
人間関係の結び方、あまり一体感を求め過ぎてはいけない  
相手を尊重すればDVはあり得ない

授業は一回完結型で進めてきた 
一回一回の授業のなかで、「私の考え」を書きなさいと書かせてきたが、時間が経過するなかで段々と、物事を深く考えるようになった生徒が多くみられるようになった  ペットは家族か 今年の生徒は全員がそうであると答えた  
受験に欠かせない科目 主要な数科とほかでは 受験に直結しないものは時間が減らされる方向にある
家庭科は増やしてほしい 特に3年生  
3年生は今後が見えてくる年齢 労働の事、結婚のこと、家の事、等々

2011年6月23日木曜日

南野忠晴(高校家庭科教員)     ・生活の感性を磨く

南野忠晴(高校家庭科教員) 生活の感性を磨く  
大阪府立高校初めての家庭科男性教師
「正しいパンツの畳み方」出版
家庭科は女子の必修科目 (中、高)  男子は体操、工作等
20年前から男女必修となる ・・・家庭科の教員になる
3年生の女子が、1年生が男女一緒になって調理実習をやっているのを見て言った、
「いいなあ この子たちは男女が一緒になって調理をするのが、当たり前だと思って、これから大人になって行くけれども、私の同世代は料理は女がするものだと思って、そのまま社会に出てゆくから 自分が結婚する相手は、自分に家事を押しつけそうだけど、この子たちは、一緒にやって行けそうでいいなあ」  
 
今の中年世代は役割分担がはっきりしていて 家事は女性がやるものだと思っている
教師になって最初13年間英語を教えていた 
その中で6年後に家庭科の通信教育を受けるようになり、興味を持つようになった 英語より家庭科の方が、生徒と接している中で、大事なのではないかと、漠然と思うようになった 
人間って知識が入ると伝えたくなる 
英語の時間に雑談でしゃべっていた事柄を、家庭科として教えたら、1時間教えられると思ったら、これもいいかなと思うようになる  
英語と比べ生徒たちとの距離が圧倒的に近い 悩みも救いやすい  
家庭科を教え始めて17年になる 
家庭、食物、被服、住居、保育、家庭経済、・・・・分野が幅広い  総合生活学
高校生・・・大人扱い、子供扱い 両面ある
自分で食べる弁当、自分で作る・・・自立を獲得する為の期間が青年期

2011年6月22日水曜日

中野しずよ(ワーカーズわくわく理事長) ・地域の絆をつなぎ直す

中野しずよ(ワーカーズわくわく理事長63歳) 地域の絆をつなぎ直す  生きているだけでも見ず知らずの方から恩を受けている  
当事者に恩を返す必要がない場合、その方に恩を返すのではなく、社会に恩を送ってゆく事で、送られて恩が又社会の中で恩の輪が出来てゆく「恩送り」
見えない人とでも絆がつながってゆく
恩を返したいと思ったのは子供を育てようとしたときに 実家に頼れない事があり、近所の人に良くして頂いた
黙っておむつをほしてくれたり、いろいろ面倒を見てくれた・・・生協の家庭班の人達 人助けで社会貢献したいなと思い始めた 
生協を辞めてグループを立ち上げた
 
高齢化社会がやってくるのではないかということで学んでおきたいと 生涯教育学級 このテーマで参加する
3年間学習 一人ではできない事も仲間が出来ると 仲間と一緒ならいろいろなことが出来るという可能性に気付かされた
一人はみんなの為に、皆は一人の為に、この気持ちで繋がってゆくと 身近な事の解決に自分一人ではどうにもならなくても、皆がいると相談したり 智慧を出し合ったり 助け合ったりすることで 乗り越えていくことが出来るなあと生きてゆく見通しがついたなと思ったのが、この生涯教育でした
 
グループわくわく  元気がわく 勇気がわく 友情がわく ほほえみがわく アイディアがわく・・・楽しさのプラス スパイラル
ワーカーズらくらく→有償でやってゆくことに決める 厳しい指摘があったが進めてゆく
必要なサービスは必要なだけ出して それに対価が発生する 
対価は誰がどう負担するかは 社会的議論が必要かもしれないが、労働力に対しての対価は必要なのは当たり前  
福祉はスキルが高ければ良いというのではなく マインドが必要 敬愛の気持ち 
コミュニケーションが発生 自分の存在価値が発生 自分が生きる勇気発生  生きる力を引き出し、支え続ける ここが支援の側のミッションだと思う  
ワーカーズ らくらくを立ち上げてから20年になる
 
気を付ける事 当事者の気持ちを尊重すること 押し付けない 
やってあげるという言葉も心も慎んで (心にあると態度に出てしまう 上から目線) 7人でスタート 現在81人 組織運営は難しい  
情報の共有が必要 ミーティング
  
小沢理論
①その人の苦しみを知る(苦しみ:希望と現実とのギャップ)  
②その人の支えを知る(この方は何によって支えられているのか 人間関係、時間、自己選択))
③その支えあいを知ることによって どういう私達であったらその人の支えをもっと強くする事が できるか  
④この私達が結構疲弊する 全力で 亡くなろうとしてる人を支えようとする時って 相当エネルギーを消耗する・・・この私達のささえは何か
  (仲間だったり、家族だったり、良い景色だったり)
グループディスカッション を通じて人を支え続けるエネルギーを築いてゆく 
ホームヘルプ→デーサービス→ケアマネージャー→泊りが出来る家
若い人が興味を持ってきている ・・・自分の幸せ 立つ位置を探している 
思い通り生きていない人一杯いる  
見ようと思うと見えちゃう →その時に知らないふりをするのか、共に生きようとするのか そこで次の動きが変わってくる  
有り難いことに共に生きているという実感がある 知らず知らず絆が生まれていた

2011年6月20日月曜日

秋枝簫子(しょうこ91歳)     ・女性の潜在能力を生かせ

秋枝簫子(しょうこ91歳) 女性の潜在能力を生かせ
<概要>
1920年生まれ 女性史が専門  平成9年男女共同参画社会作り内閣官房長賞受賞
女性史を学ぶことによって女性の啓蒙、地位向上等に尽力する
戦前・・・昔の女性の方が一生懸命生きてきた 社会的活動は難しかった 一日働きずめ
戦後・・・両分極化している(一生懸命やる人はやっているが楽をして生きている人もいる)
家事から解放されている 楽指向が増えている
戦争で都市という都市は全て焼け野原となっていた 終戦になってほっとした
父は新聞記者だったので戦争関係の情報は知っていた 秋に疎開先での米の刈り入れも手伝う 
 昭和20年11月に大學が再開する

東北帝大 2次募集の時だけ旧制高校以外でも可とする 女子が大学に入ることに対して一流新聞
は好意的であったが、
文部省事務次官をはじめ 、対応は厳しかった  鳩山春子 (女子独立学校を建てた人)は大賛成だった
東京女子大を卒業後東北帝大に進む
家では戦前でも 父は女も平等に育ててくれた (男女の差が厳しい時代) 一歩外へ出れば差別
だらけであった
女性は能力があっても全部無能力者の枠に入れられていた
不当だと思っていたので、将来女性解放とか、女性の位置を高める仕事をしていった
そのためには 先進国の女性についての勉強をし、それからそういった運動をしようと思った

東京女子大の英文科に入る 外国に行く為に英語をものにしようと思った
外国に行ける時代ではなかったので、東京女子大の講師から東北帝大は女子を受け入れるので
そこに行きなさいと言われ受ける
西洋史にはいる  先進国の女性史やりたいといったら 教授からそんなものを勉強する人はいない
勝手にやりたまえといわれる
仕方がないので図書館に行ったら女性史に関する本は一冊もなかった
何のためにこの大学に入ったのか判らなくなる 随分と悩んだ  大學というところは自分で開拓して
勉強するところだと気付いた
東京女子大のルートを使って手紙を出して外国の資料を送って貰う
アメリカ文化センターが出来て(東京日比谷公園)図書部があり いろいろ本が来ていた 
女性史、女性教育史等の本が一杯あった

卒論を書く時には東京に移って日参して調べた  
全部手書きでやらなくては行けなった
女性教育に関する本が一杯あった  
卒論は「アメリカ女子教育の成立の社会的基盤について」
明治2年の時 アメリカ・ボストン大学は大学院まで女性が行けるように開放されてた
進んではいたがアメリカでも18世紀~19世紀は男女の差別はあった
戦後10年ごろは女子学生は社会に還元するんだという意欲は十分にあった  
100%就職し、70%は教員になった
段々時が経つと 段々と職種が増えてきたが、楽して専業主婦の道を歩みたいと考える人が
多くなる
今、両極分化している お稽古ごとは本を読める様であればあとでも出来る  
今 独学出来ないことを学んでおきなさい(母の言)

そういう意味ではとっても両親に感謝している 
人類の半分は女性 日本は半分の男性の能力しか還元されてない 
女性の能力は全然使われてない
 これはもったい
女性の能力をいい意味で社会還元する   
男性を教育するときはその男性一人の能力を開発する
女性を教育したらその家族全部を教育する事になる
(特に子供に対して影響大)  ある意味で男性以上に重要だともいえる
戦後日本は女性に対する教育が普及してきたのに、なぜ日本では高等教育を受けた女性は
家の中に入ってしまっていて、社会に還元しないのだろう
(国際学会で外国の人たちが可成りそういう)  
それは日本の家庭の主人が外へ出したがらない
(ある日本人代表の答え)

男性も啓蒙しないと駄目
家庭のレベルは夫と妻のうち低い方で定まると言える
子供と話す時には子供のレベルまで下げないと対話は成り立たない 
夫と妻と対話をするには低い方に会わせないと対話は成り立たない
その話を聞いた男性が驚いて今度は父親学級で話して下さいという
戦時中の日本人の平均寿命 男性は23.4歳 女性は37歳 吃驚した 
外地で死んだ人300万人 内地では60~70万人  もったいないことをしている
戦争体験を風化させない 絶望の中の餓死者が7割

前身は老人問題研究会・・・メンバーは医者が多い 新しい医療 がん治療 認知症の話だったが
女性が段々入会するようになった
男性は忙しく結局解散する→もったいないので新たに学びを楽しむ会が発足  
月/1回 (夜) 50~60歳
福岡女子大教授 30年勤務 
GHQが戦後5大改革を掲げる その一つが婦人参政権を入れる  
その前終戦10日後市川房枝さん、赤松末子さんらが戦後対策婦人委員会を立ち上げる
GHQ、政府に提案している  戦後男性は虚脱状態で元気がなかった 
女性はいろいろな面で元気だった

選挙権行使は1946年4月  昭和25から新生大学  男女共学 
女性学という学問はなかった  
アメリカで1970年代から出てくる(黒人だけでなく女性も差別される)
ハーバード大学に一年間学ぶ 交換教授の様な待遇で学ぶ  
研究費は何に使ってもいい(ベビーシッターもOK)

1975年 国際婦人年 各国が実現に向けて努力する約束をする→最初署名をするなと政府の指示
、その後OKとなる
生まれたら父親の籍に入れることの問題・・・法務省 家庭科の問題・・・文部省  
差別賃金等の問題・・・労働省 3省が反対だった
法務省が最初に変更 次に労働省  文部省が最後まで抵抗した
(家庭は最後まで女性が守ってほしい 思惑)
婦人問題懇話会を福岡に設立 教育と女性の社会参加部門の部会長をする
はじめは課長級が対応 憮然とした態度→1年後顔色が変わって男女のなれ?をしなくては駄目と
考え変わる

森有礼(ありのり)-フォレスマンの比較研究・・・卒論
マサチューセッツ工科大学の初代教育長
 (弁護士だった 貧しい人に対して味方するような人 州議会の議員になる) 
米国、女子師範学校を作る(19世紀中ごろ) 女工・・・教育のある人の方が能率高い事が実証される
・・・女子教育の重要性を説く
奴隷解放運動に参加 オベリン大學設立 初代大學の学長として招かれるがその時の条件→
①寮生に男女平等に門戸を開く 
②人種差別しない
③教師陣に女性教師を入れる

森有礼は幕末青年期に 海軍の技術を学ばせる為に、イギリスに密かに薩摩藩から行った人  
むこうに行ったら教養の高い女性を知る
藩から学資が届かなくなり、米、宣教師から米国への渡航を望まれ米国にいき、働きながら勉強する
やはり教養の高い女性を知る(大學を知る)
黒田清隆 北海道開拓長官が来たときに女性の教育の必要性を説く→最初の官立女学校を作った
明治5年 学制が出る 教育の根本は女子教育にあり 母親を教育することはその子供たち全部を
教育することになる
明治18年 内閣制度が出来 伊藤博文に乞われて初代文部大臣になる 
女子教育の重要性をいつも説いて回る 
女性は日本の文明を推し進める重要な役割を持っている  等々絶えず言っていた
フォレスマンは亡くなったが、奥さんがインテリで奥さんと親しくしていた 
森有礼の英語の論文がありフォレスマンの事が書いてあり、アメリカで最も優れて教育者であり、
最も優れた賢人だと言って最高級の賛辞で紹介している
出版祝いと生前葬を行う(84歳の時)  どんなんに良い法律が出来ても権利があっても 
その上に眠りこけていたら何にもならない(市川房枝談)
時間短縮 ワークシェアリング 男性の家事分担・・・今後必要であろう