2024年9月5日木曜日

ケイ・グラント(タレント・DJ)    ・死に際で見つけた最高の生き方

ケイ・グラント(タレント・DJ・ナレーター・シンガー)・死に際で見つけた最高の生き方 

ケイ・グラントさんは1959年生まれ、東京都出身。 1979年プロの水泳コーチを目指してアメリカへ留学したケイ・グラントさんは1981年に帰国した後、水泳コーチやボディービルのトレーナーとして活動してきました。 1988年にディスクジョッキーとしてデビュー、その後ラジオDJのほかテレビ番組やCMのナレーションなどを担当、2000年からは格闘技イベントのリングアナとしても活躍しています。

生まれは東京都練馬区でグラントハイツが遊び場でした。  日本陸軍の成増飛行場があって、GHQに接収されて居住区になりました。 広大な芝生があり野球などをやるのには抜群でした。(基本的には進入禁止でした。 MPが見まわりに来る。)  或る人から声がいいという事で新しくラジオ局が始まるのでしゃべってみてはと言われました。(当時ボディービルのトレーナーをしていた。) それがきっかけでDJを始めました。 DJはやりながら学んでいきました。  形になってきたのは半年してからぐらいです。 FENを聞いてはいたので雰囲気は有りました。 1979年プロの水泳コーチを目指してアメリカへ留学しました。  

帰国後は自分のクラブのスイミングコーチになりました。  駆け落ち結婚という事で家を捨てることになり、先輩のスイミングクラブにお世話になりました。 駆け落ち結婚も1年ちょっとで破局を迎えました。 2年後位ぐらいに開局しました。 当時ジムでは144時間働いて9万円で残業代を含めると11万円した。 DJでいくらもらえるのかと思ったら、君は駆け出しだから5万円だと言われました。 居酒屋へも飲みに行けるような生活になりました。 2000年グランプリを東京ドームでやることになり、リングアナを引き受けることになりました。  ラスベガスのトーマスマックセンターでやった時に、「ここに来て光栄です。」と言った時に凄い賞賛があり感動、感涙しました。 翌年2回目の時にはガラッと対応が変っていました。

1993年に結婚しました。 DJをやっていましたが、寝る時間がなかなか取れませんでした。 結婚の1週間後に心筋梗塞になりました。(34歳 煙草も結構吸っていました。)   復帰に2か月かかりました。  その後タバコを止めたり生活にも気を使ってきましたが、38歳ごろに又煙草を吸うようになりました。 2000年(41歳)にプールで泳いでいたら2回目の心筋梗塞になりました。  救急車を至急呼びました。 その時の状態はまだ元気なので救急隊も信じてくれませんでした。 一回経験しているので、私はまずいと言う事を予感しました。 集中治療室に着いた時に心臓が止まってしまいました。 AEDでやってもらって生き返って来ました。  その時にはステントという血管の中に入れられるメッシュがあったので、2週間で退院しました。  

2008年の時に3回目、急性心不全ですが、徐々に腹水が溜まって来ました。 年内に手術をしないと死亡の確率が98%と言われてしまいました。 手術をして無事終了しました。 2009年1月にテレビを観ていたら、急に意識不明になりました。  救急車で運ばれて,VT(VT(心室頻拍)とは、心室期期外収縮(VPC)が連続して発生し、心拍数が100~250回/分になる頻脈のこと)といって特殊だから、街のAEDでは対応が出来ないので、身体のなかにICD常に心臓の脈を監視し、命に関わる不整脈の発作が出た場合にすみやかに反応して、電気ショックを発生させてその不整脈を退治し、発作による突然死を防いでくれる装置)という、内蔵型のAEDを埋めた方がいいと言われて、そうする事にしました。 2016年に台風10号が来た時には一日35回ぐらい作動しました。 気圧と心臓のバランスが崩れてしまったようです。  入院することにして、手術で心臓の動きを半分程度止めたところで、8月から12月まで入院生活でした。  今生きている状態を感謝しながら楽しんでいます。 

バチスタオペレーション(心臓の筋肉細胞が変化して膨張し、収縮力が落ちる拡張型心筋症に対する手術)をした後に、白血球値が1000を越えていて、骨髄検査をしたら慢性骨髄性白血病になっていました。  1か月入院して適合する薬があり、飲み薬で養生していたら2008年以降完快しています。(白血病は解決。)  薬代が高くて生活を脅かすぐらいの額でしたが、治ったので薬は飲んではいません。  その後も糖尿病、腎機能障害とかいろいろ出てきましたが、病気達と仲良くやっています。  

塩分には気を付けています。 理想は一日6gですね。 喜怒哀楽はマイクを通して伝わってしまうので、マイクに対しては誠実でないといけないと思っています。 2016年以降この考え方を大事にしてます。(それまでは病院に通っていましたから。) 歌も歌っていますが、これもいい声をしているので歌わないかと言われました。  こういった仕事のきっかけも、回転寿司のようなもので、自分の前にラッキーが流れてきた時に、それを見極める心理眼みたいなもので理解できる能力を常に研ぎ澄ましておけば、楽しい人生が続くという感じです。 身体については常に気を付けています。 身体に信号が出た時には早めに行くことにしています。 今夜とか明日行こうというのではなく,今行く。 Eテレを生きているうちに何かしてみたいと思っています。  深夜便への出演は夢でした。