2024年9月3日火曜日

矢川光則(ピアノ調律師)         ・平和を伝える被爆ピアノの旅

矢川光則(ピアノ調律師)         ・平和を伝える被爆ピアノの旅 

この夏も原子爆弾の被爆地広島平和公園で平和を祈る式典が行われました。 矢川さんは広島生まれの被爆二世、たまたま爆心地から3kmほどのところにあったピアノの修理を頼まれた事が被爆ピアノとの出会いでした。 2001年原爆の日、被爆ピアノの音色が大きな感動を与えたのです。 こういう平和の使い方もあるのかと、矢川さんは気付かされたと言います。 それからざっと3000回以上全国から海外にまで各地で矢川さんは原爆被爆ピアノの音色を届けてきました。 

*「月光」 ピアノ演奏

この曲は被爆ピアノにピッタリ合う曲ですね。  このピアノは昭和20年8月6日の広島の原子爆弾で被害を受けたピアノ、2001年に原爆の日に被爆ピアノが演奏会を行い、その響きが皆さんに感動を与えた。 ピアノは直してあげれば音が出て音楽で伝えてゆく事が出来る。 今は平和のピアノとして大きな役目を果たしています。 

東北には毎年よく行っています。 東北の方では一か月毎日コンサートをやります。 中でも学校公演が多いです。 子供たちから学ぶことが多いです。  私はよく奇跡的に残ったピアノだといっていますが、或る中学生は「このピアノは原爆の恐ろしさを伝えていくために、必然性をもって残されたピアノだと自分は感じた。」というんです。  子供たちはストレートに自分が感じたことを感想文に書いてこられます。  北は北海道から沖縄までいって、コンサートの回数は3000回を越えました。 海外も2010年にはアメリカ、ニューヨークのマンハッタンに呼ばれました。  

アメリカに被爆ピアノを持ってゆくことに対しては反対意見もありました。 過去は変えられないから未来を変えましょうと言う事で、9・11を選んでいきました。  私の父が26歳の時に広島消防署の本庁で被爆しています。 父は奇跡的に助かりました。 9・11で消火活動をしていたのがニューヨーク消防でした。  消火活動で343人の消防署員が亡くなっています。 父と重なり合うものを感じました。 被爆医コンサートをやっても何も問題なかったです。 平和を願う気持ちは日本もアメリカも一緒ですから。 音を通して音楽を通して、ピアノについて考えてもらう、そこに被爆ピアノのそういうところがあるのかなと思います。 被爆ピアノに触れることも出来ます。 被爆ピアノは広島の原爆資料でもあります。  大がかりな修理はしていません。 外観はそのままです。 内部もどうにもならないところは中のパーツを一部変えていますが、被爆当時の材料を使って手作業で全部直しています。 

ピアノは修理をすれば長生きします。 処分すれば環境破壊にも繋がります。 私の両親、祖父母も被爆者です。  私は原爆投下の7年後に生まれて、原爆のことには興味はありませんでした。  私にとっては被爆ピアノとの出会いでした。 2001年8月6日原爆式典の後に、被爆者と一緒に被爆ピアノで平和コンサートをやりました。 思ったよりも凄い反響がありました。 こういう平和運動なら自分も出来ると思いました。 それがライフワークになって行きました。 平和は与えられるものではなくて、一人一人が作り出してゆくものだと思います。 そのきっかけになってくれればいいと思っています。 

被爆ピアノはほかに人間の愛おしさ、そういったことも伝えてくれるピアノかなと思っています。 日本は平和ですが、心に病気を持っている人が非常に多いと思います。 でも聞いてメッセージが来るんでしょうね。  大きな役目を果たしていると思います。 或る時に8人の方に演奏してもらう事があり、60代の女性が「悲愴」を弾きました。 その方が乳がんで余命宣告をされた方でした。  後で被爆ピアノを弾いた方でガンが治ったという話を聞きました。 そんなバカなと思って聞いてみたら、再度がんの治療を挑戦されたそうです。  8年後にその方が再度ピアノを弾きました。(「悲愴」) 彼女の話を聞いて、人間最後の最後まであきらめてはいけないんだと思いました。 

私の活動は平和の種まきと言っています。 私のピアノ工房の敷地内に被爆ピアノ資料館を作りました。 子供たちにも来てもらって学びの場として利用して頂きます。 今被爆ピアノは7台あります。 被弾ピアノも展示してあります。(空襲で被害を受けたピアノ)  2005年が被爆60年にあたり、そこから全国縦断コンサートが始まりました。    最初に愛知万博に招待されました。(女子高校生からの依頼)  来年は終戦、被爆80年で、いろいろなところから問い合わせが入ってきています。  ノールウエーにも招待されました。 コンサートには世界中から集まっていて、多くのメディの取り上げていただきました。(ノーベル平和コンサート 2万人が来ていた。) 曲は「神のみぞ祈る」 会場で原爆を受けたピアノだという紹介があり、みんな驚いていました。

被爆者も高齢になり、後5,10年すればいなくなってしまうのではないかと言われています。  戦争、原爆のことを考えてもらうきっかけ作りになってもらいたいので、被爆ピアノの役割はますます大きくなっていくと思います。 被爆ピアノは映画にもなりました。  

*「祈り」 演奏:高橋昭?