2024年9月20日金曜日

富山英明(日本レスリング協会会長)    ・夢は生み出すもの

富山英明(日本レスリング協会会長)    ・夢は生み出すもの 

富山さんは1957年茨城県生まれ。 1978、79年と世界選手権を連覇し、1980年のモスクワオリンピックでは金メダルは間違いなしと言われていました。 日本が不参加を表明したために幻の代表となりました。 4年後のロサンゼルスオリンピックで金m樽を獲得しています。 現役を引退した後はオリンピックのコート、監督として後進を指導し、現在は日本レスリング協会会長となります。 

現役のころは57kg級、今の体重は64kgぐらいです。 パリオリンピックに目標は金メダルが6個という高い目標でしたが、結果は8個の金メダルでした。 実力が大事ですが、オリンピックは実力だけではない何かがありますね。  悔いのない試合をしなさいと言っています。  少年少女レスリング大会がり、第40回になり1000人近く参加しました。   高校ではレスリング部は、我々の時代には320ぐらいでしたが、今は250~260ぐらいです。

「夢を喰らう」という富山英明さんの生き様を追ったドキュメンタリー映画。 勇気づけられるという反響がありました。 藤森圭太郎さんが監督。 8年間を追った。 中学2年でレスリングをやらないかと声を掛けられました。 日記に夢を書いていって、縁があって出版してその本を藤森さんがみて、お会いしたいという事で。結局映画になりました。 10月12日から東中野で上映が決まっています。(新宿ではすでに上映した。)  

子供の頃は自然のなかでいろいろ遊んでいました。 兄が柔道をやっていたので始めましたが、身体が小さいのでなかなか勝てるチャンスがありませんでした。 先生から声を掛けられて、レスリングを始めました。 試合に出て初めて優勝しました。 高校で寮に入って、練習は半端ではなかったです。 人一倍早起きをして取り組みました。 日本大学に入学、1978年(20歳)から全日本選手権を7連覇しました。 当時は全日本チャンピオンは世界チャンピオンでした。(52,57kg級)  世界選手権でも78年、79年と金メダルを獲得しました。 モスクワオリンピックが世界の頂点を目指すところでした。 におhン政府がボイコットを発表。 いっときはどうしようかと思いました。 スイッチを切り替えてロサンゼルスを目指し、金メダルを獲得しました。(26歳)   スタミナ、スピード、瞬発力、集中力というか精神的なものがあります。 

金メダルを取ったことは夢ではなかったと、一晩過ごして朝に実感しました。 自叙伝の表紙になっているのが金メダルを口にくわえて居る写真です。(その後よく見る光景となる。) 金メダルを取ったというのは瞬間だけですね。 直ぐ日常のトレーニングになります。  ロサンゼルスで金メダルを取ってやっと終わったと思いました。 アメリカに留学してコーチ学を1年間学びました。  帰国後1988年ソウルオリンピック1992年バルセロナオリンピック代表のコーチを担当、2004年アテネオリンピック2008年北京オリンピックでは監督を務めました。 道場に入るとスイッチが入って、身体に芯が出来ると言った感じです。 2:2:6の法則があると言われますが、なにも言わなくても2割はやるが、何言ってもやらないのが2割で、6割をどっちに持っていくかでその組織は動くとよく言われる。 6割をどういう風に持っていくかで勝ったり負けたりする。 

これからの指導者は心理学を勉強したり、いろいろ経験したり、いろいろあると思います。 オリンピックに12回関係していますが、観客として観たのが今回のオリンピックが初めてです。 8回も君が代を歌ったのは初めてです。 いろんな人たちと知り合いになってそれが財産になります。 母親からは「稲穂だよ。」と言われます。(頭を垂れなさい。)   「会長になってもみんなの力なんだからね。」と言われました。 謙虚で居なさいと言われます。  現役の選手には「勝っても天狗になるな。」とは言います。 勝つのは一瞬で、現役が終わった後は長いから、きちっと謙虚にやらないと人生楽しくないよ。」と言っています。 いろいろな人にお世話になって、恩を返してゆくという事を思っています。 形あるものを残したいと思います。  2028年ロスアンゼルスオリンピックで、70歳になりその後が全て終わると思います。(会長職、大学など)