2017年7月12日水曜日

浜口真弓(浜口庫之助夫人)     ・夫からの贈り物

浜口真弓(浜口庫之助夫人)     ・夫からの贈り物
浜口庫之助さんは大正6年、神戸市生まれ、生誕100年にあたります。
昭和34年黄色いサクランボで作曲家デビュー、作詞にもさいのうを発揮し、「僕は泣いちっち」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「夜霧よ今夜も有難う」など数多くのヒット曲を手掛け、ソングライターとして活躍しました。
浜口真弓さんは渚まゆみの芸名で活動していた29歳の時、浜口庫之助さんと結婚しました。
長女にも恵まれ仲睦まじい日々を送りましたが、平成2年浜口庫之助さんは73歳で亡くなってしまいます。
自宅には未発表の作品が数多く見つかりました。
残された楽譜や草稿を大切な贈り物として浜口庫之助さんの音楽世界を少しでも多くの人に知って貰いたいと活動しています。

生誕100年で主人の残した作品をみなさんに忘れてほしくないので、頑張っています。
7月22日が誕生日です。 73歳で亡くなる。
私は16歳で大映のニューフェイスで受かって、主役で『夕やけ小やけの赤とんぼ』デビュー、「渚まゆみ」は作曲家の山田耕作さんが命名しました。
紹介してもらって、歌わせてもらえず発声練習など受けました。
そのうち演歌っぽい歌を練習して、歌ったら、肩を触ってごらんと言われて、泣くような感じで震えていて、こういうふうに歌わなければね、といわれました。
でもその時はどんなことかわからなかった。(感情で歌いなさい、と云うことでしょうか)
浜口庫之助さんはリズムが凄いですね。
歌のことで怒られたことはないです、人間的な面での基本は厳しいです。

地方へ行った時に電話をやり取りしていましたが、必ず「愛してる?」って聞くんです電話の度にそうでした、そうすると私は「愛してるわよ」と云っていました。
会話の内容が「空に太陽がある限り」と云う歌に成ってでたんです。
見合いの話があったが、結婚するんだったら先生みたいな人が良いと言ったら、その後先生のほうから結婚を云われました。(主人が妻を亡くして10年後)
結婚生活では1年後に娘(あんず)が生まれましたが、私に対する生活態度には厳しかったです。
今思うとありがたいと思いました。
育児についての歌もいろいろな歌を作りました。
娘が15歳の時に主人は亡くなりました。
私は娘を留学をさせたいと思っていましたが、主人はミュージカルなどを書くために英語を勉強するというようならば賛成するが、英語をしゃべりさせたいだけで行くのであれば賛成しないと言われました、それよりも日本の事をしっかり勉強させなさいと云っていました。

娘は結局留学しませんでした。
その後、ロンドンに行って博士を取ったんで、主人も喜んでいると思います。
娘も母親になりました。
孫アナベルちゃんが英語で歌う「バラが咲いた」浜口庫之助さんが歌う「バラが咲いた」のディユエットCD作成。(2年前 6歳)
実感したことをだいたい歌にしていました。 「主婦とロマン」
喧嘩したことなども歌にしていますが、そうすると仲良くなってしまいます。
点滴していてもリズムをとったりしていました。
「バラが咲いた」薔薇が散っても心の中に薔薇が咲いていると云うのが凄いと思っています。
結婚期間は17年間で、主人は7年間は元気で10年間は病気でした。
亡くなる時も「君が明るくて助かった、有難う」だけでしたが、今思うとよく主人はわかってくれたなあと思います。
主人であり、先生であり、父親のような存在でした。
厳しいことをいろいろ云われましたが、今思うと何もかも有難たいと思います。