2017年7月5日水曜日

竹村公太郎(日本水フォーラム 代表理事) ・水力ダムに夢のせて

竹村公太郎(NPO法人 日本水フォーラム 代表理事) ・水力ダムに夢のせて
1945年昭和20年生まれ、神奈川県出身。
1970年東北大学工学部修士課程を修了後、建設省に入り巨大ダムの建設に携わりました。
竹村さんは巨大な水力ダム3ヵ所の建設に手がけたダムの専門家です。
現地調査から用地交渉、設計、建設と、ダム建設の着手から完成までかかわって来ました。
水に恵まれ降水量の豊かな日本は山が多く地形が急なために、川の上流に降った雨があっという間に海に流れ出てしまうと言います。
長年ダムの建設や河川の管理にかかわってきた竹村さんはダムは太陽エネルギーの貯蔵庫だと、今あるダムを見直して日本の水資源を上手く活用することを呼びかけて居ます。
水資源の活用は電力エネルギーに換算するだけでも、その効果は年間2兆円もの電力の増加が見込まれるという試算もされています。

日本水フォーラムは、世界で水で苦しんでいる方々を日本の技術と経験で、どう救っていけるかというような、水に関しての社会貢献をしようと言うことで、世界の情報を集めてきて日本の人たちに知ってもらおうと云うようなことを行っています。
寒村、過疎化の集落について、自分達で水を探し当てて自らで管理する、それには昭和30年代にやったような技術が今一番求められています。
水に関する漢字が一番多い。
食糧も大事だが、それを生み出す水が大事です。
エネルギーは色々なエネルギーが採用できるが水は代替えはない。
水が汚染されたり、人口増加で水が無くなってきたりしている。
21世紀は水の世紀だとも言われている。

太陽が海を照らし、水蒸気になって、雲になって冷やされて雨が落ちてくる。
雨が山岳地帯で降ると、沢となって流れてくるがそれはエネルギーで、日本の山は急峻で
多摩川では降った雨がその日のうちに海に行ってしまいます。
日本は雨が多いがあっという間に海に流れてしまうので、ダムで溜めて水を有効に使っていこうと云うことです。
ダムは太陽エネルギーを溜めていると云うことです。
グラハム・ベルは日本は豊かなエネルギーを保有していると、100年以上前に日本に来て言っている。(地形学者でもあった)
日本列島は水が循環している。
日本列島の70%の山々が水を集めてくれる装置なんです。
太平洋側も日本海側も均等に雨が流れるので、日本列島全体が恵みを受ける。

中学高校時代花形がダム建設でした。
さまざまなおおきなダムが建設された。
飲み水の問題、又洪水のため多くの方が亡くなってのでダムが建設され、「黒部の太陽」の映画があり、土木屋になりダムを作っていきたいと思っていました。
映画の冒頭でダムを作ることが環境破壊にもなると、主人公に言わせていることには吃驚しました。(環境問題などが叫ばれるような時代ではなかったが)
建設省に入って、川治ダム、大川ダム、宮が瀬ダムの3つのダム建設に関係しました。
当時ダムを建設するためには時には何百人と云う方に移動してもらわざるを得なかった。
保証も終わって険悪ではなかったが、当時幹部の人たちは水没者との会合から帰ってくると悪酔いして帰って来ました。
物、家は保証はできるがあの人たちの思い出は保証できないと言っていました。
公共事業の先端の難しい現場だったのがダムだったと思います。

川治ダムはアーチ式、大川ダムはロックフィル複合式、宮が瀬ダムは300戸が水没したが重力式コンクリートダムでした。
地域の要望によってダムの形式が違います。
飲み水、エネルギー、農業用水、洪水防止などにより違ってくる。
地形、地質に依ってもどれが適しているのかで、ダムの形式を選んでゆく。
人生の半分がダム造りで後半の半分が行政をやりました。
出来たダムをどう有効に使うかが、これから進めることだと思っています。
多目的ダムは目的は二つあり①治水と②利水、治水は台風などへの対応なのでダムを空にしておきたい、、利水は渇水対策で水を溜めておきたいので矛盾する内容となる。
昭和30年代は台風のことが判らないない前提で作られていたので、安全を最優先してダムの治水容量を十分に安全に取ったダムにしていた。
今は台風の1週間前から判るので、もう少し水を溜めて水力発電に使っていければ良いのではないかと思っています。

100mのダムを10mあげると面積も大きくて、新しいダムの100m分と同じ価値がある。
次の世代に対してはかさ上げして、水を溜めて日本のエネルギーを作っていってほしいと、私の遺言みたいな思いです。
100年前に作った布引ダム(日本最初の重力式コンクリートダム)は阪神淡路大震災の時にもびくともしなかった。
ダムを作るときに柔らかい土砂は全部はいでしまい、岩盤を出してそこにダムを作るので、地震があっても揺れが少ない。
ダムの中には鉄筋がない、鉄は錆びて膨らんでひび割れしたりするが、ひび割れしない。
岩と砂と石灰岩(セメント)で自然のもので作っているので、時間が経てば経つほど固まって来る。
これからのダムのエンジニアは溜まった砂をどう下流に流すか、と云うことが一番のテーマです。
ダムの底部に穴を開け必要な時に開ける方法(砂が水と一緒に流れて行く)
ダムの下の方の下流面から掘って行き、上流面にはお椀みたいなものを作っておくと水圧でピタッとする方法で現実にこの工法で行っています。

アメリカのフーバーダムを観にいたことがあり、ダムの中に観光客を入れて居たのには吃驚し、日本でもやらなければと思った。(戦前からやっていた)
宮が瀬ダムの所長になった時に、首都圏の楽しみの場所にしようと思って、将来宮が瀬ダムが出来たときに観光できるように仕掛けをしようと思ってひそかに仕掛けをしました。
一般のお客さんがダムの中に入れる様に下からエレベーターで登れたり、ダムの近くから遊覧船に乗って湖面から上流までいけるようにとか、35年前にやりました。
今はたくさんの見学者が来ています。
日本で初めての試みでした。
島 陶也と云うペンネームで本を出版しています。
私は地形と気象には強いので、その観点から日本社会を見ると、ちょっと違うなと云うことに気が付いて、見直してみようと云う思いで文章を書いてきました。

ビルとか建築と土木とは違って、ダムはみんなが作ったもので、社会を支える構造物はなかなか人の眼には見えにくいと云うことは宿命で、人々に見えないインフラを大事なものなんだと思ってもらう為の翻訳者、通訳者になるミッションがあると思っています。
友人が大学で講義をしたときに、川を汚してはいけない、大事にしようと講義をしたときに、生徒が「先生の云っている意味が判りません、川は必要ないと思います、水道があるから」と云うことでした。
社会を支えているインフラが無くなったら大変だと云うことをわかってもらうことは至難の技ですが、誰かが云っていないと大事なことを忘れてしまう。
世界の人々は本当に水で苦しんでいます。
どうにかして水の分野で彼らを支えていきたいと思って、現地の人でも開発できメンテナンス出来る昭和30年代のダム建設技術を教えてあげたいと云うのが私の考え方です。