2016年3月4日金曜日

和合亮一(詩人)         ・震災5年 痛み、怒りの先に

和合亮一(詩人)            ・震災5年 痛み、怒りの先に
47歳福島県の県立高校の国語教諭で詩人としては中原中也賞など、数々の賞を受賞されています。
5年前の大震災の時に、和合さんは夜福島市の自宅からインターネットのツイッターで詩を発信し続けました。
これほど福島の地名が恐怖に響くとは、鹿の泣き声、地震と津波に加え、原子力発電所の事故による放射線の恐怖と闘いながら毎晩詩を作り、発信しました。
その詩は不安の中にいた多くの人々の共感を呼び、和合さんの詩を読む人の数は1か月の間に1万人にもなりました。
あれから5年、福島県では今も10万人近い住民が避難生活を余儀なくされています。
原発事故による風評に苦しめられながらも、懸命に生活を取り戻そうとしている人々、和合さんはそんな人々の生きた声を詩にしたいと活動を続けています。

5年があっという間だった様な気もするし、いろんな涙も流したし、いろいろな人との出会いつながりができたし、自分の人生がギュッと凝縮した5年間だったと感じています。
知人友人もたくさん亡くなりました。
15万人から10万人にしたまわりましたが、避難を続けているという現実、本当に普通ではないです。
福島だけでなく日本人に問いかけるものを持っていて、今も問い続けていると思います。
私の詩は自分の想い浮かんだ心のイメージを言葉にしてゆく事をずーっとやってきました。
震災を経験してからは寄り伝わり易い言葉を探すようになりました。
言葉にも芯があるんだなと気付くようになって今の福島を伝えるのには、響く言葉が一杯あって、うつむきつぶやく言葉にお互い涙したり、福島の皆さんの言葉を記録したいと、ずーっと続けています。
インタビューを通じて、語りたいんだなあ、聞いてもらいたいんだなあということが判りました。
避難先から3月16日に自宅に戻ってから携帯電話で詩を発信し続けました。
妻と息子が山形に避難して、一人になり孤独の本質を知った、放射線のニュースがどんどん入ってきて、グーンと揺れた時に何かを書こうと思った。
停電には成らなかったのでパソコン、携帯電話で詩を作りました。

「放射能が降っています。 静かな夜です。」 3月16日の詩
「詩の礫(つぶて)」と呼んで書きはじめて5年になります。つぶては瓦礫の礫
その一行で自分の様々なタブーが壊れていった瞬間でした。
「貴方にとって故郷とはどのようなものですか。 私は故郷を捨てません。 
故郷は私の全てです。」
全国に講演に行くようになった時に、ツイッターで読んですごくショックだったと何人もの人からいわれました。
原発事故で、家が壊れていないのに故郷を追われてしまうもどかしい思いをしている中で、故郷と言う言葉自体が重みのあるものに変わってきました。
避難をしている人たちが孤独を感じている。
いろんな道を選んだことは認め合わないといけないと思う、福島から離れて暮らしている方々とつながろうと言う動きがでてくるべきだと思います。

以前は4~5人だったフォロアーが3月16日には一晩で600人になり1カ月後には1万人にもなりました。
今、2万6000人を越えています。
キチンと読んで感想をいただきます。
自分の思った反応とは違うことがあります。(良いと思ったら不評だったり、駄目と思ったのがいいと受け入れられたりしました)
震災直後の方が、厳しい批判がありました。
読んで辛くなることを書かないでくれとか他人の不幸を売り物にしているとか、原発が無くて日本がやっていけるのかとか、いろいろバッシングがありました。
今、バッシングが無くて、反対に溝を感じます。
震災に対してのマスコミの注目度が無くなってきて、完全に復興に向かっているんだと言う風に思ってしまう、こういうことが5年の間に変わった事として有る様に思います。

風化と風評、我々の中に棘が残っていて、明るく前に向かって行こうという動きが起きていて、くるしみ哀しみを抱えている人が減る、もう一方で明るさを見つけて自分たちで積極的に動き出している人達がある、この事を知ってほしい、見てほしい。
「昨日ヨリモ優シクナリタイ」の詩集の中から
「ささやき」 
「風が吹いてきてあなたの事を探しています。  
心の風向きを変えたくてはるかかなたの街から吹いてくる。 
風が吹いてきてあなたの事を見つけています。 
本当の心を知りたくてはるかかなたの丘から吹いてくる。  
風が吹いてきてあなたの事を知っています。 
孤独を少しでも判りたくてはるかかなたの空から語りかけてくる。  
風が吹いてきたあなたの事を探しています。  
本当の風では無いのです。 はるかかなたの雲へのささやき」
心は風の様なものを持っていて、ちょっとした人との出会い言葉等で風向きは変わる。
風向きを変えて、違う見方をするという事をもっといろんな場面で作りだしていきたいと思っています。

子供達の詩を読む機会があり、子供達の言葉に泣かされることが多い。
「ありがとう」 震災から1年目の気仙沼の仮設住宅で暮らす5年生が始めて書いた詩
「焼そば作ってくれてありがとう  扇風機送ってくれてありがとう  参考書ありがとう ・・・・
(ありがとうがずーっと続いて最後に)おじいちゃん見つけてくれてありがとう」
お婆ちゃんが仮設住宅で毎晩毎晩女川の事を思い出して泣くので小学校1年生の孫が励まそうと書いた。(多分ひらがな)
「お婆ちゃん 元気だして いつか必ず魔法の津波が又やってきて 女川が元の街にもどるから」
海とか津波を言わない様にしていた雰囲気があったが、魔法の津波という言葉でお婆ちゃんを励ました。
5年間暮らしてきて何を吐き出したかったのか、吐き出すことによって、又新しいものがインプットされる、入り込んでくる、空っぽにならなければ踏み出せないことってあるんだと思います。
様々な声がわたし自身で会って聞くと思うので、言葉に出会って人に出会って、町と出会ってその中でいろんなものが自分の中に灯りを投げかけてくれる、扉を開いてくれる、その瞬間を言葉にして行きたい。

「5年」 昨日ヨリモ優シクナリタイ」という詩集より
「はるか遠くの浜辺の津波で残った、たった一本の松が私やあなたの庭に街に通りに立っている。
私もあなたもあの波にさらされた木の影に立たされている。  
朝の太陽にしがみつき、真昼の時報にしがみつき、夜の食卓にしがみつき、生きている」