2016年3月20日日曜日

大谷茂義(そろばん塾経営)   ・そろばんで生き抜いた戦中・戦後(1)

大谷茂義(元 満蒙開拓青少年義勇軍・そろばん塾経営) ・そろばんで生き抜いた戦中・戦後(1)
昭和3年大阪生まれ 88歳 小さいころからお兄さんにそろばんを教えられ、商業学校に進む夢を持って居ましたが、しかし戦争の悪化に伴い、お国の役に立ちたいと当時、拓務省が募集した満蒙開拓青少年義勇軍に高等小学校の卒業を待たずに、14歳で入隊し満州に渡りました。
この組織は軍隊ではなく、開拓農民を育てるものですが、同時にソ満国境の警備の任務も与えられており、終戦までに8万8000人の青少年が送り込まれました。
昭和20年8月9日、ソ満国境をソ連軍が侵攻、大谷さんは1カ月に渡り大陸の山中を逃げ回りました。
終戦後は帰国の機会を逃し、中国の農家や、炭坑、大学、銀行など様々な職場で働きましたが、身に付いたそろばんの能力で中国の人たちと親交を深めることが出来たと話しています。
昭和33年に帰国、中国に16年残留した大谷さんは30歳、結婚もしていました。
帰国後夫婦で始めたそろばん塾は今年57年になります。

当時この辺は田んぼでバラックで教室を住まいより先に作りました。
最近子供が忙しくて習い物が増えていて、ばらばらに来るので読み上げ算とかできない様になってきています。
9歳の時に兄からそろばんを教えられました。
商業学校に兄は行っていましたが、先生と意見が合わず学校を辞めてそろばん塾を始めてそれで教わりました。
14歳まで密度濃くそろばんを教わりました。
昭和19年10月兄はインパール作戦で戦死しました。
昭和11年広田内閣の時に、20ケ年で100万戸を移民するという計画ができて、それに基づいて募集が始まりました。
その時から5年後に満蒙開拓青少年義勇軍に参加しました。(昭和17年)
軍人ではなく開拓農民で辺境の地を守ると言うことだが準軍隊の様な訓練とかもありました。
昭和17年6月に満州に渡り、3年間国境の近くで訓練を受けてました。
満州に渡ると満州開拓青少年義勇隊と名前が替りました。

夏は農業、農閑期は軍事訓練、農業の授業をやりました。
2年目の4月、現役の将校下士官が来て実践的な訓練をしました。
射撃訓練、真夜中での訓練(昼間目隠しをして訓練する)、一人一丁の銃が与えられました。
行った年の冬、防寒設備が無くて、部屋の中でもマイナス20度になり、食糧費をさいて薪の購入に予算を回したので、1日2食、(大豆などのご飯)悲惨だった。
中には凍死する人もいました。
2年目からは農業で食べものがある程度出来た。
行くきっかけは、戦争が厳しくなって食料の配給などがあり、窮屈になり、少年の心を刺激する様なスローガンが聞こえてきて行ってやろうと言う燃えるような気持がありました。
良い話ばっかりなので応募してしまった。
昭和17年3月4日入隊する事になる。
戦況が悪くなり軍人が不足するため、満州開拓青少年義勇隊から殆ど取られるようになって、空の満州開拓青少年義勇隊がいっぱいできた。

昭和20年8月9日、ソ満国境をソ連軍が侵攻。
駐在所から婦女子と共に西に逃げるように指示がありました。
そちらに行くと山脈があり、しばらく行くと火の海になっていてどちらに向かっていいのか判らなくなってしまった。
30人位のグループの行動だった。
馬車に積み込んで行ったが道が悪いし雨でぬかるみ、1日で馬車が使い物にならなくなってしまった。
山の中を選んで進んだので、ソ連軍との遭遇は無かった。
畑もあったのでなんとか飢えをしのいで、1月以上歩きました。
幹線鉄道を越えなくてはいけないので、そこを越えるのに子供が泣いたら見つかるとやられると言うので、子供を全部始末してしまって、鉄道、川を渡って、疲れて野に横たわっていたら、一人の日本人がやってきた。
その人から日本はとっくに戦争が終わっていると言われ、武器を捨てて収容されなさいと言われた。(餓死を救う為、その様な軍人による組織が出来、収容するような行動があった様だ)
収容されることになる。
村に治安維持会があり、会長が周さんと言う大地主で、働くところはないかと言ったら、私のところに来なさいと言われた。

周さんは日本人びいきの人だった。
そこで1年間、農業の技術を持っていたので一生懸命働き、賃金を要求し渡してくれました。
その後中国の新政府のもとで炭坑で働く様になる。(住居、労働の環境は劣悪だった)
落盤事故にあって、下敷きになり、ほんのわずかの差で命が助かり、足の骨折になりました。
労働保険制度があり、保険の適用を受けることになり、3カ月間の賃金と1年間経って直らなければその60%を一生もらえることになる。
そろばんが出来るものは居ないかとの連絡があり、足が悪くても出来る会計課に入ることが出来た。
そろばんで月給をもらえる初めての仕事だった。
給料日の2,3日前は徹夜する様な状況だったが、やり方がまずいので提案して、旨く行き周りは吃驚した。
出来高払いの問題等も改良した。
その場その場の適応力、そろばん力があるためにいろんな力が発揮できるのではないかと思う。
計算するだけでなく、想像力、創造力が備わってくる。
それの元は暗算力。
その後大学の会計課に転勤することになる。
後の妻とも、大陸で出会うことになる。