2011年5月1日日曜日

坂本博之(40歳)        ・平成のKOキング

坂本博之(40歳)    
18歳でプロボクシングの道に入る  4回世界チャンピオンに挑戦したが、叶わず  「平成のKOキング」  
47戦 39勝 29KO゙
物ごころつく前に両親が離婚し 年子の弟とクラテ乳児院に預けられる(0~3歳の乳児院) 
一年半こちらで過ごす
3歳になると青磁学園と言う養護施設に入る→博多に引っ越す(母が仕事が安定してきた)
→小学校に入学する→母仕事をするが夜食事を与えられるような状況ではない
ある知人宅に預けられることになる→与えられる食事が学校の給食だけ、土、日は近くの川
に行って魚を釣っている人から魚を貰って火で焼いて食っていた
釣り人いがいない時には自分たちでザリガニ、ドジョウを捕まえて喰っていた→
飯ばくれと大人たちに言うが暴力を振るわれる→石を集めてこいと言って石を集める
持って帰った石の上に正座を1~2時間させられる(血がでようが感知せず)→警察から厳重注意
→又暴力をふるわれる→拒食症になってしまった→
一食すら胃に受け付けられなくなる→教室内でもどしてしまう→先生が気付き和白児童養護施設
に入る→初めて三食、布団で寝られる、当たり前の環境に笑顔を取り戻す
(バスタオル一枚で玄関先に寝ていた)→ボクシングをTVで見る(夢を感じる)

母が引き取りに来た→母の再婚を機におのおの生活しようと云う事になる 
高校を卒業し、東京のボクシングクラブの門をたたく
1991年プロデビュー戦(門をたたいてから2年後) 4回戦 1RKO勝ち  
練習しないと不安   
朝起きてロードワーク、10km 夕方のサンドバック スパーリング、20ラウンド、30ラウンドと
心臓を強くしてゆく
(生活費はアルバイトをし稼ぐ)
ブラウン管を見た自分がブラウン管の中にいる  
絶対負けないぞと心に誓う

新人王、日本チャンピオン、東洋チャンピオンと無敗で19連勝する 20戦目で初めて負ける 
ノンタイトル戦であるがアルゼンチンの選手(世界チャンピオン)に判定で負ける
新人王を取った時に和白児童養護施設に裏門から入る→皆が集まる 10カ月後に日本チャンピオンに
なる →正門から入り先生に挨拶→
今までは自分でチャンピオンを取ってきた今度はお前たちの力も必要、一緒になって戦ってくれ→
文通のやり取りで一敗の励ましに対して練習重ねる
東洋、太平洋チャンピオンになる→2007年に引退を決意 椎間板ヘルニアで手術、40戦以上戦って来た
ので身体のいろいろなところに支障が出てくる

36歳、良い練習が出来なくなる 2007年1月 最後の試合ドローとなる(初めてのドロー)  
大歓声が起きる(大きな財産を得た 愛情)
全国の養護施設を回る ボクシングセッション 心と心の和を広げる(ボクシング指導ではなくて)
養護施設の入所者の60%以上は虐待を受けて入所
施設の子に言う  今までの一番楽しかったこと 苦しかった事を思い浮かべる 
怒りをこのミットに向かって打ってごらん
大人たちは君たちを傷つけたかもしれない しかしこうやって受け止めてやっているのも大人たち
なんだよ・・・ボクシングセッションで伝えたい
世の中は少子化で子供は少なくなっている  
しかし養護施設は増えている・・・今この現状を大人たちは知ってゆくべきです

結婚して子供が生まれたが(2002年) 最初の子は死産(6ケ月) 2年後二度目の妊娠 子宮破裂
(8カ月) 仮死状態で生まれるが不整脈 遂に息を引き取る
自分の力の無さに無念さを感じる トランクスに2人の子供の名前を縫い付けて最終戦を戦う  
最終戦はドローだった
ようやく子供が授かる 今というこの瞬間を頑張る そうすると必ず明るい日がやってくる 
辛いこと悲しいこと忘れてはいけないそれを受け入れてゆくこと
忘れたら、忘れないが為に自分がされて、嫌だったことをしない大人になれる 
悲しい事は判る 同じことをしないようにどうすればいいのかと言うそういう生き方ができる
施設を回る時にいう 人には光と影(自分の幼少時代、子供時代)がある  100円玉 の表 
ボクシングで表を感じた 光を感じた 幼少時代の出来事

そして娘、息子この子供の事 影があります  そう言った光あるいは影の部分を表にして
生きてゆくのかは自分自身のこの生き様にある 自分自身の胸の中にある
頑張りです 足を踏ん張って生きることだと思うんです 
575の養護施設で約3万人が生活している