スティーブン・リーパー 核廃絶2020ビジョン
1~7歳まで日本で過ごす
父は洞爺丸でおぼれる人に自らの救命具を与えた人 宣教師
日本人を友達にするために来日
1969年 兵役拒否 ベトナム戦争に対して
原爆資料館を友人に誘われて見学・・・原爆の威力を落とした側での見方しかなかった
友人から被爆の本を借りて読む
1997年生活の半分を平和活動に向けると決意
インド、パキスタン核保有 平和→核兵器廃絶
インド、パキスタンの活動家を日本に呼ぶ 又逆にインド、パキスタンに日本から行く
敵対→友人になる→平和活動へ
カシミール紛争
2001年 広島 秋葉市長に会う 2003年平和市民会議 2007年広島文化センター理事長にプレゼンテーション 将来に対する問題
2020年核兵器廃絶 活動家に伝える 今動かないといけない
抑止力としての核 米国は超大国から段々と小さい方向になりつつある
65年使われてない・・・核の無視・・・理解する様になる
150カ国参加 4544都市 平和市長会議
普通の人に意識を高める
「核兵器禁止条約」をつくろう・・・根まわしの時期
1973年 化学兵器禁止条約 1993年 生物兵器禁止条約 1997年 対人地雷禁止条約 2008年 クラスター爆弾禁止条約
核兵器 使用 持つことは悪
特別軍縮会議が開催される→この時「核兵器禁止条約」のサインを貰いたい
核兵器の捉え方をはっきりさせる
佐々木禎子 2歳で被爆、12歳で亡くなる 白血病 「想い出のサダコ」出版 大倉記代
(広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった故佐々木禎子さんと同じ病室で3カ月間過ごし、病気の回復を願ってともに千羽鶴を折った体験をもとに2005年、絵本「想い出のサダコ」を出版した)
人間像、性格が鮮明に出てくる 誰とでも友達になれる 人気の子だった
なんかしようと思ったら考えてもらいたい
「力」の文明の終わり、「愛」の文明の始まりにしなくてはいけない
核廃絶は人類が解決しなくてはいけない問題
平和文化・・・何なのか、宣伝したり、進めたりするのが使命
人類はもう破壊力の競争で対立を解決できなくなった→平和的方法でやらなければならな
核兵器は我々すべてを殺す力がある →それを止める必要がある→核廃絶
戦争文化から平和文化へ