直川礼緒(民族音楽・民族楽器研究家) ・世界の“民族楽器・口琴”に魅せられて
口琴、世界に広がる民族楽器です。 アイヌの皆さんはムックリと呼んでいます。 直川礼緒さんは金沢生まれの65歳、民族音楽としての活動はおよそ40年になります。 現在は東京音楽大学付属民族音楽研究所の共同研究員を務めています。 直川さんは早稲田大学在学中に北海道でアイヌの皆さんが演奏するこの口琴に出会い、更に数年後インドネシア、バリ島でヤシで出来た口琴に魅せられ、世界の口琴を訪ね歩く様になりました。 直川さんは1990年に日本口琴協会を設立し、数年に一度開催される国際口琴大会に1991年の第二回から参加してきました。 今年10月24日から26日まで東アジアではじめて阿寒湖アイヌコタンで開催される国際口琴実行委員の一人として準備を進めています。 大会には世界30の国と地域から研究者や演奏者が参加します。 直川さんに民族楽器の魅力など、民族楽器ともに歩んできた自らの人生について話を伺います。
これは15cmの竹のへら状のもので、真ん中に振動弁が切り出されている。 紐が付いていて、ひもを引っ張ると音がでます。 これを口にあてて鳴らします。 人間の口は口の形、口腔の容積、舌の運動、咽喉や鼻腔の開閉、息遣いなどを変化させることによって様々な音色を変化させられる。
ジャズ研に入っていて、1983年に北海道に行った時にムックリと出会いました。 その後インドネシアに行く機会があり、バリ島での芸術祭に出演することになり、私もにわかメンバーになって参加しました。 そこでもたまたま口琴に出会いました。 ムックリとよく似ていて、材料はヤシの木の枝で出来ていました。 ムックリは自然の音と言った感じですが、バリの場合は一人ではやらない。 二人一組で楽器に男女があり、大き目で音の低いのが女性、小さめで音が高いのが男性です。 二つのリズムを組み合わせて一つのリズムを作る。 そこから口琴にはまりました。
平安時代は本州にもありました。 鉄で出来ていました。 平安時代のものが4本発掘されています。 (大宮の氷川神社の遺跡から2本、同じ埼玉県の羽生の遺跡から1本、千葉県からも1本) 江戸時代も口琴が大流行して、幕府が禁止したという事もありました。 元々はアジアの楽器です。 一番古いものは紀元前20世紀の中国の陝西省で骨製のムックリとよく似たものが発掘されました。 ウラジオストックでも紀元5世紀ごろの鉄の口琴が出ています。 12,3世紀にヨーロッパに伝わったようです。 ヨーロッパ全域で使われるようになった。 大航海時代にアメリカ、太平洋の島々に行って、広がって行った。 サハ共和国では鉄の口琴が国民楽器になっていて盛んです。 普遍的でありながら、同時に民族の個性が出る、そういったところにも魅力があります。 振動源と枠のたった二つの部品しかないが、いい音を出そうと思うと凄い技が必要です。
1990年に日本口琴協会を作りました。 情報を集めると同時に発信しようと思いました。 口琴ジャーナルという雑誌を作りました。 100人ぐらいいました。(会員制ではない。) 1984年にアメリカ、フレデリック・クレインと言う研究者の発案で世界口琴大会がおこなわれました。 1991年にサハ共和国(土壌は全て永久凍土で、面積の40%は北極圏に含まれる。)で第二回世界口琴大会を開催。 アイヌの方と3人と私も参加しました。 今年北海道の阿寒湖で第10回世界口琴大会を開催することになりました。 入場料はありません。 演奏者、製作者、研究者も来ます。 大会はヨーロッパがそれまでは多かった。今回はアジアの参加者も多いです。
口琴は自然の音(風、しずくの音、動物の鳴き声などいろいろ)だけではなく、おしゃべりもできる。 メロディーも演奏できる。 心、感情に強く働きかける楽器だと思います。