2025年10月7日火曜日

柴崎春通(画家)            ・絵を描くことは人生の喜び

 柴崎春通(画家)            ・絵を描くことは人生の喜び

 柴崎春通さんは1947年千葉県生まれ。(78歳)  絵画講師歴はおよそ50年になります。今年4月Eテレで放送した番組3か月でマスターするシリーズでは講師として出演しました。 70歳からはYouTubeで絵の描き方などを動画配信し、現在島崎さんのYouTubeチャンネルを登録している人は国内外で200万人を超え、人気YouTuberとしても活躍しています。 大人にこそ絵を描いて欲しい、絵を描くことは自分と向き合う事になると語る柴崎さんのこれまでの歩みや活動を続ける思いについて伺いました。

モチーフは世界中歩き回って、ひとりでに集まってきたようなものです。  70歳からはYouTubeを始めました。  個展には若い人が多いですね。  50代のころから銀座で個展をやっていましたが、違う切り口でやってみたいと思っていました。 息子が「YouTubeでやってみない。」と言ってんです。 それで始めました。 ある時アメリカのCNNテレビに取り上げられました。 日本でも話題になって、フォロワーが段々と増えていきました。 

戦前は貧しい農家でした。 農地解放でようやく生活がそこそこできるようになって、私が生まれた時には自分のところでお米を作っていました。  昭和30年ごろになると日本は景気が上向いてきました。  一人で何かをしているのが好きな子でした。  ものを作ったり絵を描くことが好きでした。  本も好きで図書室で片っ端から読んでいました。  画集を観て驚きました。  農業は親を楽にさせるためにずっと高校までやっていました。  県庁を受けて受かったが、何んとなく嫌で行きませんでした。  友人が東京の専門学校に行くと言うので、自分も行きたいと思って絵を勉強に行くということを口実にしました。  親も賛成してくれました。  阿佐ヶ谷美術学園(現・阿佐ヶ谷美術専門学校)に行ってみたら,みんな絵が上手くて、ガックリしました。  上手い人の絵を描くのをひたすら見るようにしました。 アルバイトはビル掃除をしていました。 

東京藝術大学を受験する。1次試験のデッサンに合格し、2次試験の油絵まで進んだ。 納得のいく課題提出に至らなかった。そのため合格発表日に確認しに行くことなく進学を断念した。 和光大学に開設間もない人文学部芸術学科があることを知り、1967年に入学しました。 就職のことは何も考えて居なくて、荻太郎先生にに呼ばれ、絵画通信教育講座である講談社フェーマススクールズを紹介されました。  アシスタントとして就職、そのうちにほかの先生と同じ仕事をやってみないかと言われ講師に昇格しました。  仕事もどんどん増えていきました。契約状態も良くなってきて、遣り甲斐を持てるようになりました。(40代)  

でもこのまんまでは面白くないと思て、2001年に文化庁派遣芸術家在外研究員としてアメリカに渡りました。  東南アジアに行って道端で絵を描くことなどを繰り返していました。  絵を描いていると危険なところでも、危険な目に遭う事は無いです。  相手も警戒しない。  

親が農業をやっている間は、農繁期には会社で仕事をしていても、土日は農業の手伝いをしていましたが、親が歳をとって農業をできなくなってからは、時間も出来て個展をするようになりました。(50代前後)  頑張りすぎて心臓の病気になってしまいました。 入院して何回か手術をしました。(入退院を繰り返す。)  人間は死ぬんだなと思いました。  改めて自分を見直すきっかけになりました。  絵を描いていると、今の自分に正直になれる。 絵を描くという事は人間の五感を使ってする作業の、自分を一番正しく表に出せる原点だと思います。  皆さんたちの生活の中にも浸透できるようにして行ったらいいんじゃないかと思います。  

モットーにしている言葉は「我は一人」、生まれた時から死ぬまで、よくよく見ると自分一人なので、だからこそ自分に正直に生きる。 だからあまり色々なものはいらないという事ですね。  固執しないで、どんどん捨ててゆく。 捨てることによって新しいものがキャッチできるような気がします。  人並みに、とつい乗っかりたくなるが、「我は一人」なんですよ。  判断するにも、何をするにも、ここが大事かと思います。  一人一人だからこそ、認め合えるんです。  大人だからからこそ、絵を始めた方がいいと思います。 達成感を味わってみる。