宮川一朗太(俳優) ・元妻を自宅で看取って
来年3月に還暦を迎える宮川さんは、高校生の時に森田芳光監督松田優作主演の映画「家族ゲーム」でデビュー、NHKでも多くのドラマに出演していますが、大河ドラマは「光る君へ」が初出演となりました。 私生活では30代で離婚、男手ひとつで子供2人を育てました。 この5月には2年ほど前に末期がんの元妻を看取っていたことをテレビ番組で公表し、反響を呼びました。
「光る君へ」では藤原顕光役に出演。 40年近く俳優をやって来て、決まった時には光栄でした。 1話から48話(最終話)迄全部出ることになりました。(最後は77歳) 平安時代の作法が大変でした。 階段の乗り降りも常に左足からとか、胡坐をかくにも左足が表と言う感じです。 俳優になるきっかけは女の子にもてたかったからです。(中学2年) 高校1年の時に養成所に入って、1年後に受けたオーディションが「家族ゲーム」でした。 やる気のない状態でしたが、面接ではそれがかえって良かったようでした。 (主人公のイメージに合っていた。) でも主人公は松田優作さんでした。 部分的に取っていたものを試写室で観ましたが、なんて下手なんだろうと思いました。 落ち込んでいたら、優作さんが「それでいいんだよ。 天狗になるよりましじゃないか。」と言われて、いまだにその言葉を支えにやっています。
仕事がない時に、いかに自分に対して努力するか、という事を大事にするようになってきました。 歳を取るほど好奇心の塊になって来て、いろんなことをやってみたいです。 演劇塾「いち塾」を今やっています。 いくつになっても夢を追いかけることが出来ると言ったら、50代過ぎの方が結構入って頂きました。
23歳で結婚、娘2人が誕生しました。 30代で離婚しました。 俳優と育児は大変でした。 地方ロケの時には、元妻の両親が近くにいたのでお願いしました。 成人するまでは子供たちから離婚したことは発表しないでほしいと言われました。 (7年ぐらい) 困っていることを打ちあける番組があり、子供達に相談してそこで公表しました。 この5月には2年ほど前に末期がんの元妻を看取っていたことをテレビ番組で公表し、反響を呼びました。 ステージ4で病院での治療もしたくないし、南の島の家にも帰りたくないし、娘たちも引き取りたいという事だったが、娘の家も遠いいので、病院から一番近いのがうちでした。 3月に家に来ることになったが、8月に次女に子供が生まれることがわかっていました。(初孫) 元妻を面倒見るという事に対しては凄く葛藤がありました。 元妻がやってきた日に長女が買い物に出かけるんで、見ててくれるように言われました。 観に行ったら上半身起こしていましたが、慌てて寝かしつけました。 翌朝長女が「もうだめかもしれない。」と言ってきました。 次女にも連絡をして、間に合うかどうかわからなかった。 介護の方が「今、脳が休もうとしています。」と言いました。 呼吸が止まってしまうと思えた瞬間、大きく息を吸ったんです。 それが最後の呼吸でした。
東京で治療をするようになったのは、その半年ぐらい前でした。 何回かお見舞いに行き、会話をしていました。 そのうちに会話も出来ないような状態になりました。 旅立ってから、長女が遺品を整理していたら携帯でメッセージを送ろうとしていた未送信があるという事でした。 「見舞いに来てくれてありがとう。 とっても嬉しかった。」と有りました。
これから60と言う新しいステージに入ってゆく訳ですが、これは新しいチャンスだと思っていますし、60,70代で物凄く活躍されている先輩が大勢いますので、私もその仲間に入らせていただくという感覚です。