鈴木万里(絵本作家かこさとし長女) ・〔人生のみちしるべ〕 父・かこさとしの思いを受け継いで
鈴木万里さんは昭和32年かこさとしさんの長女として神奈川県に生まれます。(68歳) 大学卒業後は母校の中学、高校の英語の教師として11年間勤務し、2003年からは絵本作家として多忙な父かこさとしさんの仕事を支えてきました。 かこさとしさんが92歳で亡くなったのが2018年。 それから7年の間に鈴木万里さんはかこさんが残した原稿や絵から絵本や動画集名などを復刊を含めて、新たに30冊余りを出版してきました。 その中にはかこさんが体験した戦争についての絵本が2冊あります。 2021年出版の「秋」と言う絵本と今年戦後80年の年に出版された「くらげのパポちゃん」です。
かこ総合研究所はかこさとしの分身みたいなものです。 作品に込められた思いを私たちなりにお伝えしたり、意見を交換したりしています。 深い意味が分からないものがあるんですが、お届けしたいと思っています。 戦争についての絵本を2冊出版しましたが、何故争いが起きたのか、なぜそれが今になっても続いているのか、それを分析してそこから戦争のない時代、平和を作るにはどうしたらいいのか、そういうものを多分描きたかったんだと思います。 1980年代に戦争に関する個人的な経験などを元に作品を作りましたが、没にされてしまっていました。
「秋」には悲しみ、嘆き、戦争への怒りが静かではあるけれども強く感じられる。 「くらげのパポちゃん」では1950年から55年までの文章のみ見つかり、絵は有りませんでした。 悲しさ、理不尽さを伝える一つではないかと思いました。 絵については 中島 加名(かこさとしの孫)が担当しました。
私は子供の頃は何でもやるのに時間のかかる子でした。 父は昭和電工に入社、研究所勤務を続けるかたわら、川崎市などでセツルメント活動や、児童向け人形劇、紙芝居などの活動を行っていました。 定時には帰ってきて一緒に夕食を食べました。 父は自分の時間の管理はしっかりしていたと思います。 33歳で絵本作家としてデビューして、会社を辞めたのが47歳(昭和48年)でした。 講演、海外へ行ったりテレビのコメンテーターをしたり精力的にこなしていました。
私が英語の教師になったのは、小さい頃英語の絵本が一冊あって、それが発端になりました。 11年間英語教師をしました。 英語を教えるにあたっては、かこの絵本の作り方が参考になりました。 子供たちが興味を持つところから入ってゆく。
父が77歳の時にお手伝いをするようになりました。 取材を受けりするときに一緒にいて、セツルメント活動、子供の反応、絵本つくりに込めた思いなどを聞いているうちに、いろいろなことが分かってきて、講演会などで話すのもそういったことから話をしています。
それぞれの絵本にかこが託した強い思いとか願いとか思想みたいなものが、時代によって移り変わるものがありますが、変ってはいけないもの、変わらずに人間として持っていてもらいたいもの、かこが願っていたもの、が入っていると思います。 それが伝わってゆく、受け取ってもらえる、と言うようなことが続いたらなあと思います。 大人たちは世の中を整備したり、社会を整えたり、そういう事をしなさいと言っているのかしらと、自分流に解釈しています。 父が残した沢山の作品が私の道しるべにもなるし、課題にもなるのかなと思います。