土師幸士(浅草神社 宮司) ・浅草の街に世代を越えて開かれた神社を!
東京浅草の街は1年でも最も活気づく三社祭を間近に控え、熱気が高まっています。 その三社祭を執り行う浅草神社第63代宮司の土師幸士さんは、浅草にも神道にもえんがありませんでしたが、思いがけず神職の道を歩むことになりました。 就任以来新規に開かれた神社を目指し、日本の伝統文化の継承や世代間の交流を図るなど、浅草に根差した神社の存在感を高めています。 間近に迫った三社祭を含めてお話を伺いました。
今年は三社祭は5月16日、17日、18日におこなわれます。 3日間で約180万人と言われています。 浅草神社に祭られている神様は、主祭神として三柱の神様がいらっしゃいまして、土師真中知命、檜前浜成命、檜前竹成命の三柱の神様を祭っている神社という事で、三社と言う言葉が使われています。 628年(約1400年前)推古天皇の時代に漁師の兄弟が住んでいました。 628年3月18日に漁師の兄弟が海に出て、網を投げて魚を獲ろうとしたところ、その日に限って魚が一匹も獲れない。 一体の人型の像がとれます。 持ち帰って知識人の土師真中知(はじのあたいなかとも)さんに見せてみると、聖観世音菩薩の仏像であるという事が判りました。 明日は是非大漁をお願いしますとお願いして、あくる日には船に一杯の魚が獲れたという事です。 土師真中知さんは聖観世音菩薩の仏像を自宅にお祭りして、自らも出家して僧侶となって仏像を守ってゆくことにしました。 それが浅草寺の始まりです。 多くの方がお参りに来られるようになって、村から街へ都市へと発展してゆきました。 兄弟も出家して土師真中知さんと共に、観音様をお祭りしてゆく事になります。
今から900年から1000年前にその子孫たちの枕元に観音様が現れます。 夢のお告げをされます。 観音堂の傍らに神として親たちを鎮守すべし、名付けて三社権現と称し祭れば子孫、土地と共に長らく繫栄する、という事で創建されたのが三社権現社と言う神社になります。 明治元年神仏分離政策が行われて、浅草寺と三社権現社を切り離さなければならない。 権現と言う言葉は仏教との繋がりが強い言葉なので使えなくなり、三社明神社と名前が変ります。 明治6年には浅草神社と言う名前に変りました。 お祭りも三社祭りと言う名前に変っていきました。
私の生まれは山口県です。 高校は愛知県の自動車会社の社員を養成する高校に入りました。 私の母が浅草神社の先代の宮司といとこ同士という事でした。 先代の宮司に子供が一人もおりませんでした。 養子縁組と言う形で土師家に入ることになりました。 まずは浅草の町に溶け込もうと思いました。 神職の資格は一番下の資格(直階)であれば、一か月間座学を受けると資格が取れます。 次に 権正階(ごんせいかい)で一か月間座学プラス一か月間の修行でとれます。 これで浅草神社の宮司になる資格は取れます。 自分でももっと学びたい、周りからも知識教養を深めて欲しいという要望もあり、浅草神社で働きながら国学院大学の夜間部に入りました。 4年間は大変でした。 明階という上から2番目の資格を取りました。 浅草の街の方たちとも交流を深めていきました。
今でも観光で来る方の97%程度は浅草神社の存在を知らずに帰っているのではないかと思います。 認知度が低い。 まず取り組んだのが浅草神社での結婚式です。 それまでは年間1件ぐらいでした。 1年目が8件、2年目が16件、3年目が30数件となりました。 240件ぐらいまで増えました。 お宮参り、七五三も年々増えています。 教化活動も行っています。 青少年への教化育成事業(浅草神社体験学習など)、日本伝統文化の継承(社子屋の立ち上げ)の二つを柱に活動をしています。 書道教室その他いろいろな教室も行っています。 7月1日に初詣の夏バージョンとして夏詣を考えて、平成26年から取り組んでいます。 今では日本全国で550を越える神社で新しい日本の風習として、参画して頂いています。
三社祭、浅草が一番活気づく時です。 金曜日は「お練り」という大行列がおこなわれます。
都の民族無形文化財のびんざさら舞(五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などを祈って氏子の人々が行う。) が奉納されます。 『びんざさら』は『編木』『拍板』などと書きます。竹、あるいは木の薄片数枚から百枚前後の上部を紐で束ねた楽器で民俗芸能の中でも田楽系統の踊りに用いられています。 街神輿への御霊入れの儀がおこなわれます。 氏子町会は44あります。 各町に大人神輿、中神輿、子供神輿があります。 100基を越える神輿に御霊を入れる為の御霊入れの儀が浅草神社の社殿でおこなわれます。
二日目は午前10時に例大祭式典がおこなわれます。 一番大事な祭典。 浅草寺本堂の裏広場に100基の街神輿が集まります。 各町に繰り出す町内神輿連合渡御が行われます。 子供宮神輿連合渡御も去年から始めました。
三日目は浅草神社の宮神輿三基の出御?となります。 三社祭の宮神輿は三基の宮神輿があります。 神社から「宮だし」がおこなわれます。 多い時には担ぎ手が1万7000人ぐらい集まります。 浅草の東部、西部、南部にそれぞれ一の宮、二の宮、三の宮が各方面に行きます。 又街神輿も担がれます。 夜の7時、8時になると神輿が帰って来ます。 「宮いり」格納されてお祭りは終了となります。 2028年が観音様が浅草の町に現れて1400年になります。 「船渡御」と言うのを2028年3月18日に隅田川で行おうとしています。