五木寛之(作家) ・〔五木寛之のラジオ千夜一話〕 対談は面白い (5)
作詞家、作曲家特集。
星野哲郎さんは大先輩であり兄貴分みたいな感じのお付き合いでした。 五木さんの詩はサビを生かすような手法ではなく、5秒なら5秒緊張していていい言葉がパッと並んでいるからメリハリがちょっとつかない、と言われたことがあります。 星野さんは昭和歌謡の大作詞家です。何でもやれるという人でした。 新人の童謡の作詞をしている吉岡治さんがいました。 サトウハチロウさんのお弟子さんでした。 美空ひばりの「真っ赤な太陽」とか「真夜中のギター」とか大人の曲を書いてそれが好評で、当時の大流行作詞家になりました。 中山大三郎さんは器用な人でした。 「人生いろいろ」作詞。 1941年の生まれで僕より若いです。 作詞家と言うのはどちらかと言うと縁の下の力持ち的な要素があるんです。 大先輩ですと米山正夫さんですね。 本当に才能のある人でした。 抒情的な歌も書くし、明るい行進曲風の「山小屋の灯」とか、オールマイティーなプロの作曲家、作詞家でした。 「リンゴ追分」「津軽のふるさと」などもそうです。 僕は「津軽のふるさと」が一番好きです。 美空ひばりさんは万能の歌い手さんだとつくづく思います。
船村徹さんの凄い作曲家です。 「別れの一本杉」 「矢切の渡し」 「兄弟船」・・・ 星野哲郎さんと船村徹さんと組んで作ったのが「みだれ髪」です。 今の人にはなかなかわからない歌詞です。 下地を作ったのが大正から昭和にかけての詩人たちでした。 北原白秋とか、西条八十とか、純文学的な詩人として活躍するような人が、世間から見ればちょっと堕落したという感じで流行歌の作詞を始めるわけです。 芸術的なセンスが流行歌の中に取り入れられて、日本の昭和歌謡の質を高めて行くわけです。 レコードのA面がヒットするとB面を担当する作詞家も収入を得るわけで、裏待ち詩人と言われました。
「歌いながら歩いて来た」 五木寛之作詞作品集 CD
*「鳩のいない村」 ベトナム戦争の時に書いた歌です。 歌:藤野ひろ子
鳩のいない 小さな村
一人ぼっちの 寂しい村
誰もいない 小さな村
たたかいが通り過ぎていった村
鳩はなぜ逃げていったの
人はなぜ村を焼いたの
鳩のいない青空だけが
悲しいほど 悲しいほど
青くひろがる 青くひろがる
鳩のいない 小さな村
一人ぼっちの 寂しい村
誰もいない 小さな村
たたかいが通り過ぎていった村
鳩はなぜ死んでしまったの
人はなぜ花を散らすの
鳩のいない広場のすみに
名前のない 名前のない
墓をつくろう 墓をつくろう
いつになったら平和な村に
いつになったら鳩は帰るの
帰ってくるの
その時代に人の喜び、悲しみ、とかを体現している作品が中心になっていると思います。 個人が書いているけれども、時代に書かされたというか、そういうものが時代を越えて残るんじゃないかと思います。 小説を書くのは苦痛ですが、詩を書くのはちょっといい気持ちです。