2020年4月9日木曜日

竹下資子(NPO法人代表理事 元スクリプター)・「日本映画のこころを残したい」

竹下資子(NPO法人代表理事 元スクリプター)・「日本映画のこころを残したい」
竹下さんは東映や日活など日本映画を作る現場で、スクリプター(記録係)として働いていました。
久松静児監督や山本薩夫監督など数々の名監督と仕事をともにした経験から古き良き日本映画の心を伝えたいと様々な活動を行っています。
その一つが「監名会」(監督と名画を観る会)です。
過去の名作を監督や俳優など関係者に話を聞きながら観るというもので、1981年から開催し143回を数えます。
竹下さんが伝えたい日本映画の心とはどんなものなのでしょうか。

スクリプター(記録係)というのは、撮影現場の流れをすべて記録して、そこにいない編集部さんに伝えてそれを観て編集部さんが編集してゆく、と言うのが本来の目的だったらしいです。
映画は殆どバラバラに撮ってゆくものですから、共有して覚えて居られないので、それにこたえるように細かい場面の状況などをいってあげるようにしています。
凄いエキスパートの俳優さんには「いちいち注意に来なくても大丈夫だよ」、と言ってくれる人もいます。

高校卒業後、在京キー局で経理の仕事をしていました。
麹町にある中学校に通っていた時に日本TVの社屋を建て始めました。
私の行っていた学校で入社試験が行われて、そろばんができたので経理なら入ってほしいという事でした。
高校時代まで演劇部で演出などをやっていたので興味はあったが、経理の方に行くことになりました。
監督を目指すにはやっぱり大学を出た方がいいと思って、お金をためて明治大学の演劇に入りました。
紹介してもらって東映の下請けに行きました。
女性として助監督の道が無くてスクリプターがいいのではないかという事になりました。
常に監督の横にいて監督の分身みたいな感じでした。
たまたまいい監督に恵まれました。
スクリプターを辞めてしまおうかなあと言う時期がありました。
怒鳴られる、あざけられるという事がままありました。

日活に移籍して、最初ついたのが吉村公三郎さんとか久松静児さんとかでした。
私を指名してくださるようになりました。
山本薩夫監督の「金環食」(九頭竜川ダム汚職事件をモデルに、保守政党の総裁選挙に端を発した汚職事件を描いたという映画)についた時には200人を超えるスタッフ、キャストを率いて、その時にいろいろ池田勇人さんとか田中角栄さんとか色んな政治家たちの役を振られた人たちが服装から煙草ののみかたから研究してきていました。
山本薩夫監督と宇野重吉さんとは戦友だったそうですが、お互いに譲れないところがあるようで、そういう現場を思い出すたびに、監督も命を懸けていたしスタッフも監督の目指す方向を観て従って行ってそれは凄く印象に残っています。
スクリプターを10年間やって辞めることにしました。
数年後「監名会」(監督と名画を観る会)を主宰しました。
映画を観る時には出る俳優さんで映画を観に行ったと思うんですが、監督あってこそだと分かったんで、こんなすごい監督が映画を作っているんだという事を伝えたいと思いました。
1981年から始めて間もなく40年になります。
143回続いています。
監督がお亡くなりになっている場合はその関係者にお願いしています。
古い映画を掛ければかけるほど、「新しいですね」と言われます。
今風の内容なんです。
演技も小気味のいい演技で今通用する映画という感じです。

2002年から「子どもシネマスクール」を始めています。
映画・映像制作体験事業では、子どもたちがプロと一緒に映画の制作を体験するシネマスクールを開催しています。
「監名会」では段々年配者が多くて半減していったので、つなげなければいけないと思って、昔の傑作映画を観ることが一番の勉強になるので、観るだけではなくて、照明とか色んな助手に付いたりして13話まで続けてきて、14話は講座だけにして映画の作り方などを教えました。
15話はシネマスクールのプロたちも歳を取ってきてしまいましたが、今準備しています。
実際に、映像の世界に進み、毎年シネマスクールを手伝ってくれている卒業生もいます。
好きなことを努力というよりは無我夢中でやってきました。
子どもたちにつなげていきたい。
日本の最高の監督が、命がけで撮った過去の名作映画を子どもたちにもみてもらって学んでもらいたいですね