2020年4月29日水曜日

山中麻須美(英国キュー王立植物園公認植物画家)・「植物のいのちと響きあう(1)」

山中麻須美(英国キュー王立植物園公認植物画家)・「植物のいのちと響きあう(1)」
ユネスコ世界遺産に登録されているイギリスのキュー王立植物園、通称キューガーデンといいますが、5人の公認植物画家がいます。
山中麻須美さんはその中のおひとりでキューガーデン初めての日本人の公認植物画家です。
山中さんはイギリス在住31年、日本人初のキュー王立植物園公認植物画家として2011年には英国国立園芸協会のボタニカルアートショーで金賞を受賞されました。
2016年に日本の植物だけの日本の植物画家によるボタニカルアート展を企画立案して、キュー植物園でその展覧会を開催し 大変好評だったということです。
その展覧会を日本でも開催したいと奔走して2017年に実現し、24万人がその展覧会を訪れました。
展覧会の開催に合わせて来日された山中さんに植物画家になった経緯、植物園に公認植物画家がいるという、どういうことなのか伺いました。

5人の公認植物画家がいますが、植物学者の方に直接頼まれて、文献などに使う科学的な植物画を描いています。
5人のうち2人はもともと植物学者です、たまたま絵がうまかったので植物画家になった方たちで、残りの二人はご主人がキューガーデンの植物学者で奥様が絵を描いています。
私だけが違っています。
200年、300年前に大陸から持ち帰った新しい植物を、あるいは新大陸へ連れて行って植物だけではなく動物、魚、昆虫、民族などをカメラ代わりに正確に記載するために学術的に描いたのが博物画で、その中の植物を描いたのが植物画のスタートだと思います。
写真が発明された後も、続きました。
花びら、雄しべ雌しべなどいろんな部分を分解して入れていました。
時間経過的な変化のことも意図的に入れています。
カメラだけではできない内容を描き入れています。
花なども実物大で描きます。

基本は科学的に正しいこと、実物大で描かれていること。
植物学者と二人三脚で描いているアーティストは非常に少なくなってしました。
水彩で描いたり、ペンで描く場合があります。
顕微鏡を使って描くときもありますが、それはボタニカルアートではなく、サイエンティフィックイラストレーションといわれています。
サイエンティフィックイラストレーションは動物の分解図、昆虫の分解図もサイエンティフィックイラストレーションであり必ず植物というわけではありません。
発見された新しい植物を通常描きます。
5人のうち私だけは比較的自由に描いています。
文献用も頼まれて描きますが、キューガーデンを最初に作ったジョージ三世のお母さんだったオーガスター皇太子妃が植えた木が6本残っています。
他を含めて重要な木が13本指定されています。


ヒマラヤが原産のインドトチノキがあり、そのインドトチノキを一年を通して描いたシリーズでGoldメダルを受賞しました。
そのインドトチノキの木が13本の中の一本だということに気が付きました。
そうして13本を描くことにして、全部描けたら展示会をしてほしいと言われました。
めったに来ない台風で13本の中の一本が大きく折れて姿を変えてしまいました。
もう一本も折れてしまって、冗談で13本の木に頼まれて描いていたといっていましたが、折れる前の姿を描けていて、ほんとうになってしまいました。
キューガーデンの歴史としての木をそのままの形で描き残すことも大事だと思って、みなさんとは違った形で描いています。
いろんなタイプの人がそれぞれ描いています。
イギリスのファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが標本を元にして描いた絵を見て、テキスタイルを作らせてほしいと言ってきました。
ドレスを作ってファッションショーにデビューしたんです。
私の場合には木を描くときには原寸ではなく縮尺サイズで描いています。
花、葉っぱ、実などはボタニカルアートとして正確に科学的に描いています。
2015年に個展を開きました。

私はもともと食器のデザイナーをしていました。
マークス&スペンサーと知り合いになり、イギリスに来ないかと誘われました。
30歳ちょっと前ぐらいのときで、イギリスに行きました。
一か月の予定だったが、だんだん伸びていってそれが5年になり永住権が取れて、一旦フリーランスになり食器デザイナーとして仕事をしていましたが、44歳の時に乳がんを患いました。
手術後、抗がん剤治療、放射線治療をあわせて7か月行いました。
仕事もできない状態でいて、リハビリとして右手を動かすために送られてきた花を描こうと思って植物画を始めました。
放射線治療をするときに毎日塗ってくださいと言われたのが、アロエ100%のクリームでした。
アロエのパワーの凄さに気がつきまして、病院で治療を受けている間に植物について考えさせられました。
気が付かなかったが、空気も全部植物が作ってくれているわけです。

植物を描いていると元気になり、ボタニカルアートについての知識をいろいろ本から学びました。
正しい植物画を習いたいと思って、退院後キューガーデンのアーティスト、パンドラ•セラーズさんにボタニカルアートの指導を受けました。
医師の先生からは再発の可能性は50%といわれました。
2年後に転移があり子宮と卵巣の全摘手術を受けました。
もしかすると自分の人生が短くなるかもしれないと思って、家も売って、キューガーデンに毎週通い始めました。
自分が地球からいなくなってしまうのではないかと考えたときに、地球と対話をするようになりました。
残された時間を自分のやりたいことをやってみようと、地球のために、自然とのかかわりに少しでも貢献できることができるのではないのだろうかという風に思って、できるだけ科学的な絵を描きたいと思いました。

キューガーデンには20万枚以上の植物があります。
図書館に通って勉強していましたが、図書館が新しくなり絵を入れている箱の移し替え作業がありその作業の仕事をしているうちにいろんな作業を任されるようになりました。
絵を描いているうちに植物学者の人がこの植物を描いてみてくれないかと言ってくるようになりました。
たまたまキューガーデンのアーティストに空席ができまして、植物学者からの仕事も引き受けるようになりました。
キューガーデンにいって10年ちょっとになりますが、最初の3年間ぐらいは不法滞在者だったと思います。
2007年に後任になりました。
常設展示場があり企画展があり、日本人ばっかりの展示がしたいと思っていましたが、日本の植物が多くイギリス、ヨーロッパには入ってきていましたので、日本の植物の美しさを知ってもらいたいと思いました。
小石川植物園の加藤竹斎の絵、高知の牧野植物園の牧野富太郎博士の原画、練馬の牧野記念館から服部雪斎の絵だとか江戸から明治にかけての歴史的な日本の植物画を展示させていたいただき、併せて現代作家の植物画を展示して対比が面白いと言われて高い評価を得ました。