2020年4月21日火曜日

武井勇二(諏訪交響楽団会長)       ・「地域の音楽活動を支えて」

武井勇二(諏訪交響楽団会長)       ・「地域の音楽活動を支えて」
1938年長野県下諏訪市出身、近くに社会人楽団の諏訪交響楽団の稽古場があったため子どものころから諏訪響の演奏を見て育ちました。
1956年地元の県立高校を卒業後、時計メーカーに就職、20歳の時にヴァイオリンを習い始め3年後諏訪響に入団しました。
演奏活動を続ける一方事務教員として裏方の仕事も担当しました。
武井さんは世界的指揮者の小澤征爾さんとの縁も大事にしました。
1980年代小澤さんは師の斎藤秀雄の門下生たちと斎藤記念オーケストラを結成しましたが、海外公演のスポンサーを探していると聞いた武井さんは、勤務先の社長に就任していた元上司と掛け合い、財政支援が実現しました。
指揮者の渡邉暁雄さんは1975年から15年間諏訪響を指導しました。
その意志を伝承しようと武井さんたちは1999年から毎年北欧音楽祭諏訪を開催しています。

去年11月文部科学大臣から地域文化功労者として表彰されました。
当時の諏訪響の人たちは毎週木曜日に近くの民家の倉庫を借りて練習していました。
小学校5,6年のころから見に行っていました。
音楽はいいものだなあと思って、いつか参加してみたいと思っていました。
1956年地元の県立高校を卒業後、時計メーカーに就職、技術課に入りました。
課長が中村恒也さん(15歳差)と言って後々社長になる人で、その出会いが大きかったです。
20歳の時にヴァイオリンを習い始め、23歳の時に諏訪響に入りました。
練習は木曜日の夜7時から2時間やって、演奏会は年に2回やりました。
当時は医者、教員、会社員、自営業など50人ぐらいでした。
第一回定期演奏会は1926年4月でした。
諏訪の音楽好きのメンバーが集まってやっていたようです。
1938年から1946年戦中戦後にかけて空白の8年間があります。
練習は絶やさずやっていたようです。
1948年諏訪交響楽団に名称変更。

1961年4月に私は入団しました。
第91回定期演奏会で悲願の第九初演。(1980年12月)
第100回定期演奏会は1985年10月、新たな演奏会にしようということで、ピアノ演奏が宮沢明子さんでした。
ラフマニノフを取り上げてやりました。
気に入っていただいてその後宮沢さんは何回かきてくれました。
私は雑用も結構やっていて25歳の時に、諏訪響の理事にしていただきました。
1964年1月に小澤さんが諏訪響を振ってくれました。
今井信雄さんが小澤さんの恩師で今井さんから声がかかったようです。
小澤さんがまさか来てくれるとは思わなかったが、これを機に交流をしていきました。
1987年に斎藤記念オーケストラを結成して、ヨーロッパに連れて行って鍛えたいということで、120名程度で行くと1億5000万円から2億円ぐらいかかるわけです。
小澤さんのためなら思って1988年10月に小澤さんから受けた話を上司の中村さんに文化にお金をかけるのも大事だと言ったら、1989年から91年までのオーケストラの海外ツアーの面倒をみましょうということになりました。
91年にはニューヨークのカーネギーホールまで行きました。

小澤さん松本でフェスティバルをやることになり、その資金面でも協賛を立ち上げて、斎藤記念オーケストラが松本でやってきて、今は「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」ということになっていて、今年で29年目になります。
中村恒也さんは会社では斎藤記念オーケストラを応援するが、諏訪響は会社では応援できないので、僕が個人的に応援するということで中村さんは個人的に毎年100万円支援すると言ってくれてびっくりしました。
この人との出会いも私の大きな要因になっています。
腕時計はスイスを凌駕するほどになり、1064年の東京オリンピック時の掲示に水晶時計を用いて小型化して腕時計にしました。
北欧音楽祭諏訪の企画をした渡邉暁雄さんは世界的な指揮者ですが、1975年に諏訪響が50周年の時に渡邉暁雄さんの父親が諏訪出身だったもので頼みに行きました。
快く引く受けていただきました。
亡くなるまでお付き合いさせていただきました。

総合国際文化交流、21世紀の青少年の育成など教育面も生まれています。
最近の諏訪響の活動としては演奏家との付き合いが多く、ピアノの横山幸雄先生が諏訪響を大事にしてくれています。
ほかのアマチュア楽団との交流もやっています。
1999年にウイーンへ諏訪響のメンバー115人を連れて行って、有名なウィーン・コンツェルトハウスで演奏したことがあります。
資金面では中村さんから23年間支援していただきましたが、これからは大変だと思いますが、音楽だけは大事にしてゆきたいと思います。
若いメンバーを仲間に入れてやっていこうとしていますが、時間は掛かると思います。
諏訪でやってきたので東京の皆さんにいつかお見せしたいと思っています。
音楽は人間の行動だと思っています。
音楽は人間の感動を呼び起こす一つのきっかけを作ってくれるものだと思います。