2017年9月30日土曜日

風吹ジュン(女優)           ・いま故郷を想う

風吹ジュン(女優)        ・いま故郷を想う
1952年富山県富山市生まれ、高岡市から京都にうつり、その後東京でモデルとしてスカウトされ、TVドラマで女優でビュー、TV、映画、舞台、CM等に幅広く活躍しています。
又来年4月からスタートする連続TV小説「半分、青い」では出演のほか、ナレーションを担当するなど活躍の場を広げています。

学校からの帰りが楽しみで、友達の家に寄ってから良く帰りました。
色々な職人の町なので仕事を見ているだけで楽しかったです。
はいはいして隣の家に行ったりしていたと言われました。
両親の離婚で兄が全部アルバムを川にすててしまって、私は手元に写真はなかったんです。
60歳のときに同窓会に呼んでもらったときに、写真を添えて頂きました。
縦割り教室(年上のお兄さん、お姉さんが遊んでくれる)で塗り絵、着せ替え人形などをしましたが皆手作りでした。
社会科の先生が戦争の話ばっかりしていました。(平和教育に繋がっているのではないかと思います)
小学校の時は、みんなとはちょっと外れていて、のんびりしていて積極的ではなかった。

中学は志貴野中学、高陵中学、3年からは京都に行きました。
自分のクラスに落ち着いていませんでした。
授業の終わりに毎日10問位のペーパーテストをやる時期があり、〇、線ひいて「失礼します」と出てゆきましたが、付いたあだ名が「ゼロ戦」でした」。
学校の帰りは高岡の大仏に潜って、地獄絵がありキャーといいながら楽しかったです。
54歳のときに柴田理恵さんと富山でのドラマに出て、「帰ろうよ」と言って下さって、富山に戻って来ました。
生まれたところの八尾に50年ぶりに行きました。
真っ暗な中におわら風の盆の先頭にいきなり立たされて、稽古をしていないのに立たされて踊りました。(50年前の話)
両親の離婚もあり、反抗する相手がないので反抗期のない時期を過ごしました。
京都に移ってからは一人で頑張らなくてはいけないと思いました。
富山の海の色、川の色が夢の中に蘇りました。

父の写真も頂いて、3人で立山に昇っている写真の事を思い出して、立山にいってみたいと思っていました。
少人数の同級生で立山に登りました。
心の山を登ったと言うか、人生での目標でもあったので、登れたことがうれしかったです。
立山に登る人は中高年の人が多いですね。
海外にも旅行によくいきまして、チベットのラサへいって、水牛に乗れることもできました。
Wi-Fiが繋がるので海外、スペインでも友達と車で旅をしたりしています。
2月に長女が長女を産んで、長男が去年産んで、孫が2人出来て、可愛いです。
母親としては子を守らなければと言うことで、口うるさくなってきます。
女性ホルモンの問題でそうなって行くようです。
私は自分の子供で鍛えられたと思います、たくましくもなります。
孫はただ可愛いです。

丈夫でいるためには疲れない身体にしてます。
疲れないための休み方、ちゃんと寝る、ちゃんと食べる。
肉などタンパク質をちゃんと取って下さい。
酵素も大事で酵素は生のものが多いので、キュウリに味噌を載せるだけでもいいですね。
人に色々出会いますが、虫が好かない人がときどきいます、苦手のタイプもいます。
「有難う」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」の4つがあります。
人間は争ってここまで繋がってきています。
戦争もありますが、何処かで人を恨んだり、人に傷付けられたり、痛い思いをされたりして、そのDNAがあり、それがあるから好きになれない人が出てきてもしょうがないと言う話で、心のなかで4つの事を唱えなさいと、そうすると口角が緩む様な笑顔に気持ちが成るのではないですか。
自分をおさえるためにも、4つの言葉を心の中でとなえることで、笑顔になれると思います。