2015年9月4日金曜日

山中千尋(ジャズ・ピアニスト)    ・私にはピアノしかない

山中千尋(ジャズ・ピアニスト)    ・私にはピアノしかない
メジャーデビュー10周年を迎え7月に新しいCDを発表しました。
山中さんは群馬県桐生市の出身、6歳の時からピアノを始め、桐朋学園大学音楽学部を経て、アメリカのバークリー音楽大学に留学し、技術に磨きをかけました。
山中さんのリリースしたCDはあらゆるジャズチャートで1位を獲得しています。
第23回日本ゴールドディスク大賞、スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞、日本ジャズ誌賞など様々な賞を受け多くのジャズファンに支持されています。
現在はニューヨークにお住まいの山中さんに伺いました。

10周年まで、あっという間でした。
世界各地に演奏するために出かけています。
「シンコペーションハザード」という新しいCDを発表。  ハザード=冒険という意味もある。
ジャズのルーツに戻って来ようと思い、「シンコペーションハザード」というアルバムを出しました。
シンコペーションというリズムで出来て、リズムが色々絡んでくる、ジャズの心臓というか、大元になったリズムなんで、シンコペーションで冒険してみようと思って、「シンコペーションハザード」としました。
でき上った曲は収録から2日前だったので、ドキドキ厳しかった。
コンサートで八木節をアレンジしたものを最後に行っています。

子供時代はおてんばで野性児でした。
母の勧めでピアノを習い始めたのは6歳でした。
自分の曲と合わないと編曲してしまったりして、先生から貴方が直しては駄目だと言われた。
そんなに変えたいのなら、ジャズとかという風に先生が言ったのがあり、ジャズを知りました。
父はフルート、母はハープをやり妹はバイオリンをやってます。
ピアノを職業にするという事は思っていなかった。
その後東京に行きたくて、東京の高校に通う様になりました。(桐朋学園の高等部)
音楽学校では厳しかったが、音楽家の卵たちと一緒に過ごせたのは財産だと思います。
演劇部と、ガムラン音楽(インドネシアの民族音楽) 響きが素敵で大学生のサークルに入れてもらっていました。
高校で出会った友人でバイオリンをやっている人がいて、自分を音楽に捧げるようにしている生活をしていて、自分は唯いわれることをやっているのではないかと思う様になった。

人の音でしか自分を表現できないと言うのが、ジャズをやるきっかけですが、直にピアノと自分の間に第三者がいなくて、何か音楽で表現できないか、探していました。
ジャズは自分の解釈で、編曲するが、100人が100通りの演奏をするアレンジだったり、アドリブだったりするので、そこに自分らしさを出すので自由がある。
ピアノの基礎もやりたかったので、桐朋学園大学音楽学部に入る。
クラシックを勉強しながらジャズ研のサークルにいったりするが、自分ではそのような音が出せなくて、一人でやってみるがなかなか判らなかった。
バークリーの大学に応募して、評価されて入学が許可されて、奨学金も貰えることになって、そのあとにもう一回試験がありました。
一番いいクラスに入る事が出来て、上手な人と一緒にやると色々少しずつ判るようになってきました。
いろんなコンサート、ライブに毎日のように出なくてはいけなくて、凄く経験を積ませてもらったのが、良かったと思います。

卒業してIAJA(全米ジャズ教育者協会)でのコンペティションがあり、そこで優勝して、ワールドツアーを組んでツアーをしていた時に、ビックバンドに誘われて、ツアーをした。
シスターズ・イン・ジャズ国際コンクール 優勝(主催:国際ジャズ教育者協会、2000年)*
2005年にメジャーデビューをしてアルバムを出しました。
ピアノは私にとって第六の器官の様な感じがします。
ピアノがある事によって、自分の生きる道しるべを得ているのだなあと感じます。
ピアノを弾いていると心も体も安定します。
練習時間は決まっていないが、気が付くと10時間でも練習できますが、時間が無いんですが16時間ぐらいは練習したいと思っています。