2015年9月23日水曜日

南 慧昭(勝光寺)        ・仏心を歌で届ける

南 慧昭(勝光寺)          ・仏心を歌で届ける
1942年昭和17年、800年の歴史のある勝光寺の長男として誕生しましたが、寺を継ぐ道を選びませんでした。
鹿児島大学を卒業し、東京の大手食品会社に勤め企業戦士として働きました。
52歳の時、勝光寺を守っていた次男で副住職の光洋さんが病気で亡くなり、南さんは再び人生の選択を迫られました。
悩んだ末60歳まで会社に勤め、2年間の修業を積み勝光寺の住職として迎えられました。
その時に生まれたのが仏の教えを歌で届ける歌説法です。
小さい時から歌が大好きな南さん、大学時代はグリークラブで、社会人になってからは地域の合唱の指導者として、活躍しました。
その実績を修行した寺の長老が知るところとなり、音楽の経験を布教に生かしたらどうか、と勧められ歌説法が誕生しました。
今は自ら作曲した曲を寺や公民館、福祉施設、会社の研修会などで歌い、仏の心、教えをつたえています。
南こうせつさんは南さんの弟さんです。

勝光寺の住職を10年務めています。
修行したのは周りは平均年齢23歳で、私は60歳なので健康面を含め不安は感じました。
10年間色々あったなあと思いだしました、あっという間でした。
お寺の環境を是非解放したい、遊んでくださいと思っています。
40,50年前はお釈迦様の誕生日には甘茶を頭から掛けてあげて皆にふるまってくれる、檀家とかに関係なく頂きに来ていました。
以前よりもお寺に接する機会が少なくなりました。
甘茶の会を気候の良い5月上旬に行っています、お経をあげて、甘茶を振る舞って、本堂で音楽会をやります。
集まった方が全員参加してもらって、皆で歌ってもらいます。
楽しんでもらって、お寺、お坊さん とっつきにくいそいうものから、接していただければと思っています。
本堂にピアノがありますが、こうせつから貰いました。

子供の頃は本堂が役所、病院などが近くにあったりして会議の集会場等になっていて夜になると、宴会場になって酔っぱらった人から歌を歌えと言われて、歌って喜ばれたのを覚えています。
今考えると、毎回やるので、自己紹介したり、お話をしたり歌う事に慣れてしまったようです。
出前歌説法、出掛けて歌で説法する、心の健康について歌うんだよという事です。
きっかけは、修行して何とか卒業する事が出来て、長老から音楽を初めいろいろ経験してきたのだから、是非新しい布教のスタイルでお説法を作り上げてみたらどうかと言われた。
バブルの崩壊の時期で、世の中が一変してどうしようもなく、世の中でとんでもない事件が起きてきて、皆さんが精神的に不安定になり、是非心の健康をテーマにして明るい世の中にしてゆくように、新しい布教のスタイルを作ってみたらどうかと言われました。
特に童謡を入れてみたらどうか、一方通行ではなく皆で歌ってもらたらどうかと思った。
今日は楽しかったと思ってもらえればいいんだと言う事を、先ず実験をして、良い反響があって広がっていった。
童謡は不思議なもので皆覚えている。

地域の公民館活動で、老人会、等で来てくれないかとの話もあり、企業の方からも話がありました。
友人とともにオリジナルの歌も作詩、作曲したりしました。
「我が家が一番」
「親子三代住みなれて家族のきずな太くなる。 春の雨音叩いても、大きな掌受けとめる。
ひとの心のぬくもりを貴方は教えてくれました。 見守りがわらの頼もしさ。」
作詩 梅小路孝史さん(友人) 作曲は私です。
皆さん、手拍子をして、歌詩カードを皆が見て判るわけです。
歌はただ話だけでなくして、手拍子をしたりしていると、みな生き生きして最後には笑顔になってきます、それが一番説法していて楽しみです。
人と人の繋がり、繋がっていけば笑顔ができてきて、結果的には心の健康に繋がり、歌の役割は非常に大きいのではないかと思います。
大きな大きな人の輪 お布施の歌
「有難うございますと、心をこめて素直に言えますか。 どれほど親しい中であれ、人に施しを受けたなら感謝の気持ちを表しましょう。」
最後に歌ったあとは皆さん笑顔になる。
笑顔が出ると言う事はそれが一番素晴らしい、音楽の力は素晴らしいと思います。

周りからはお寺の跡を継ぐんですねとしょっちゅう言われて、子供の頃はお寺が好きではなかった、派手で楽しい方がよかった。
母親からは、世の中に出て思いっきり自分が暴れなさいと言ってくれた、凄いと思った。
しかし最後に、うちは1196年に大友能直候が作ったお寺であり、子供が4人いて誰も継がないのは世間の笑い物になると言ったのが重い言葉だったが、子供の意志で自分の道を選んで行くとギブアップしないが親から言われるとかならず人のせいにすると思う。
兄も飛び出し、私は東京、弟も都会に出たが都会と合わず戻ってきて副住職になる。
私は企業戦士で目の前を走っているだけだった。
52歳で神田の社長になった時に、バブル崩壊となった。
大変だという事で勉強会があったが、豊かにはなったが心はちっとも豊かにならないと皆が言う。
弟も亡くなり、別世界に行く事になる。
健康で有れば60歳からの人生は絶対楽しい、大事にして下さいと皆さんに言っています。

心の健康
人間には煩悩があり、煩悩があるがゆえに、色々邪魔をする、或いは人生を楽しくすることもある、どちらにも働く。
戻らぬ過去にとらわれず、まだ見ぬ未来に夢追い過ぎず、何とかなるさの気楽さで今を楽しく過ごしましょう。
過ぎ去った事はどうしようもない、夢は持つ事は素晴らしいが、追い過ぎてしまってはいけない。
苦しい事は色々あるが一歩踏み出せば、次の動きが出てくる。
坐禅 
姿勢を正し、ゆっくりと腹式呼吸、目線1m先、半眼 手を組んでゆっくり落ち着く。
雑念が起こるが放りだす、何度もやるうちに少なくなってくる。
神経をゆっくり休める時間、結果的に自分の心を見つめ直すことになる。