2015年9月24日木曜日

海部宣男(国立天文台名誉教授) ・自然を知りたいという心とともに

海部宣男(国立天文台名誉教授) ・自然を知りたいという心とともに
1943生まれ 専門は電波天文学、赤外線天文学 長野県野辺山の電波望遠鏡、ハワイの世界最大級の望遠鏡、スバル望遠鏡の建設で中心的な役割を果たしました。
その後国立天文台台長を務め、南米チリの標高およそ5000mの高地に国際共同プロジェクトで大形の電波望遠鏡アルマ望遠鏡の建設にも携わりました。
2012年から3年間は世界の天文学者の集まりであるIAU国際天文学連合の会長として活躍され、このほどその任を終えました。

加盟国は70カ国ぐらい、個人の天文学者は1万1000人ぐらいです。
副会長は前にやっていたが、会長は荷が重いと思っていた。
最期が非常に忙しかった。(総会が行われる)
IAUの組織全体を大がかりに変更する。
IAU国際天文学連合 教育活動、普及活動に非常に熱心に取り組んできた。
世界的に広めるために開発のための天文学のオフィスを作った。
国連加盟は180いくつあり、天文学を本当に研究できる国はそれほど多くはないと言う事です。
大学教育の支援、小、中、高の学校の教育の支援、一般の方への普及活動をやろうと言う事でIAUの10年計画を立てて、丁度私のところで道半ばで軌道に乗った。
オフィスを南アフリカ(ケープタウン)に建て、非常にうまくいっている。
支部を6カ国に作っていった。

世界にはアマチュア天文学者がいっぱいいるので、研究者とアマチュアを結ぼうではないかという事で、天文学普及オフィスを作って、日本の三鷹につくり面白い活動をたくさんしています。
太陽系外惑星が何1000とあり重要な惑星に名前を付けようと、世界のネット上での投票にかけて選ぶと言う、皆で名前を付けようとしています。
日本の中学、高校が非常に熱心です。
野辺山の電波望遠鏡等を作ってきましたが、日本は孤立していると言う印象を持った。
世界の天文学と対抗しようとすると、相手は巨大なアメリカと、強固な連合を持っているヨーロッパで日本は一人で、アジア諸国の協力が必要だと思った。
韓国、中国、台湾、日本はお互いの頭を飛び越して、アメリカ、ヨーロッパと行ったり来たりしていてお互いの事はあまり知らないのでおかしいと思った。
経済、政治は違っても文化は共有しているので、近いと言う事と文化を共有していると言う事は学問の世界でも非常に大事で、だからヨーロッパは連合していて、アメリカはカナダと密接につながっている、何故アジアだけできないのかという発想があった。
1990年ぐらいから共同で中国、台湾、韓国、日本で東アジア天文学会議をずーっと続けてきました。
段々協力が育ってきて、天文学も盛んになってきた。

プラネタリュウム 日本では星の話はギリシャ、ローマ神話をやっている、北京、インドネシアでも同様にやっておりこれは変だと思った。
アジアにはアジアの沢山の星の話が有るはずだと思って、アジアのお互い同士が知り合うと言う事を是非やりたいと思っていて、世界天文年でプロジェクトを立ち上げようと思って、13カ国から集まった。
シンポジュウムを三鷹でやったら、60数名集まって話も100ぐらい集まって、それを本にする計画を立てた。
去年日本語版ができて英語版を進めているところです。
大事なことは絵を入れた、話を出した国の画家が描かないと文化は絶対に伝わらないので、絵も含めて文化を感じてほしいと言う事が狙いです。
英語版を出版すれば、それを元にして元の国の人が自分の国の言葉に翻訳して出してもらうという事です。

小学校6年~中学1年に掛けて自分で望遠鏡を作って、観測をやったが、宇宙、自然は不思議な面白いものだと思っていた。
山、谷を見ても不思議に思った。
火山でのないのになんで山があるんだろう、なんで谷があるんだろうと思っていた。
「自然界の脅威」という本を買ってもらって、自然の地形、造形がどうやってできるのかが判ってきて、自然とは何て凄いんだろうと思って、それがずーっと有ります。
背後にある物理法則、長い時間が作りだす自然の営みが、宇宙そのものにつながってゆくわけです。
宇宙も自然の一環として凄いものだと、そういったものをもっと知りたいと思った。
研究やるんだったら今まで誰も知らなかった新しい自然の驚きを見つけてやりたいと言う想いが一番の動機です。

電波天文学、赤外線天文学 星や太陽からも電波が出ていて、無線が発達して電波を受けることを覚えて、光ではなくて電波を受けて光と同じようにそれが何であるかを調べる。
電波で見ると、人間の目で見えなかった、全く違う物が見える。
電波天文学が始まって光と合わせて、宇宙とはこういうものだと言う事が理解できたと思います。
星は何からできるか、判らない、星ができる前の物質は温度が低い、電波でしか見えない。
星が烈しく爆発するときには、エネルギーが散らばっていくが光では見えなくて、電波では見える。
星がどうやって生まれるか、星が一生を終って死んでどうなるか、大きなサイクルが光と電波を合わせてようやく見えてきた。
銀河系等から来る電波は弱いので受けられない、波長の短いミリ波を受けたら新しいことが判るだろううと 赤羽賢司森本雅樹先生らによる宇宙電波グループに参加、小さいミリ波電波望遠鏡(口径6m)を作った。
アメリカのタウンズ氏(ノーベル賞を貰った人)が宇宙にも化合物の電波があるはずだと言う事で見つかり、大きな分野になるのではないかという事でそっちの方に大きく転換した。

長野県野辺山の電波望遠鏡 ミリ波観測(口径45m)を作る。
世界でも驚いた、いきなり新しい大事な分野で世界一の望遠鏡を作った。
日本の天文学の大きなステップとなった。
宇宙の暗黒の冷たい雲があるが、その雲から星ができる事は観測してだんだん判ってきて、星ができると星を回りながら暗黒の冷たい雲は細かい個体の粒を含んでいて、それがくっついて惑星ができる。
暗黒星雲がどういう材料で出来ているか徹底的に調べたら、有機物、炭素の化合物がいっぱい見つかった。
われわれの体は有機物で出来ているが、宇宙にはそれのもとになる様なものができていると言う事が非常に面白かった。
これは科学として研究できるかもしれないと思ったのが非常に大きな収穫だった。

スバル望遠鏡(光)の製作にかかわる。
惑星ができる所を観測できる可能性のある望遠鏡。
INLTでは親しまれないからと提案して スバルという名前を付ける。
清少納言が星はすばるだと言ったぐらいなので、イメージが鮮やか。
日本が世界に追い付くためには一足飛びが必要だった。
ミリ波電波望遠鏡(口径6m)から口径45mへと冒険はあったが自信はあった。
日本にあった光の望遠鏡はイギリスから買った岡山にある1.9mの望遠鏡だったが、自前で8.2mの望遠鏡を作るが、日本の技術力も進んでいて着実にやれたと思います。

「初心忘るべからず」という事を常に思っている。
最初の想いは非常に大事で、新鮮、純粋。
大型計画が十分理解されていない部分があるので、是非やらなければいけないことを分野全体の支持でやってゆく、そういう考え方が必要なのでもっと組織的にやっていこうと言う事でマスタープランが出来るようになり、そこにかかわっていきます。
日本は科学雑誌が少ない、アメリカからは2桁少ない。
日本の科学者の幅の狭さがある、もっと社会に広く科学の関心が広まっていかないと危ないと思います。
出来るだけ科学を、科学の精神を広めていきたいと思います。