2011年7月10日日曜日

森村誠一(作家)        ・「“作家”の証明」作家

森村誠一(79歳)   
<概要>
埼玉県熊谷市出身12歳にして、日本で最後(8月15日未明)の熊谷空襲を体験。
のちの「反戦平和」の原体験となる
就職不況時代であったため、本人の希望しない大阪のホテルに就職  ホテルマン時代の、「自分の
個性を徹底的に消す職場環境に耐え切れず 転職
その後 作家の道に 
最近では写真俳句に関心を持ち、旅行時や散歩時もカメラを持ち歩いている
吉川英治文学賞受賞 予期していなかった  「悪道」・・・ 巨大権力に対する反逆
1945年8月14日 空襲に出会う 翌日が終戦 嬉しかった
大震災は平穏無事な状態から一瞬にして地獄の底に落とされた様な状態、 
環境激変
戦争は毎日の出来事なので精神的には慣れていた
生家の近くに越川と言う綺麗な川が流れているが、空襲の翌日避難先から戻ってみると河底が
見えない→死体が累々と重なっていて
その死体は近所の人たちで知っている人ばっかりだった→この状況を見たときに、
この場面をいつかどんな形でかは判らないが
書きたいと云う気持ちを非常に強く思った  活字にして沢山の人に読まれたい・・・野望を持った
・・・後の作品に影響している

旧制中学→商業高校→自動車部品会社の下請けに入る 
部品の配達等の仕事→リヤカーで配達中、坂で大学生たちに助けられ突然大學に行きたくなる
(青春を楽しんでいるような様子を見て)→翌日辞表を提出した
青山学院大学 (青春の花園のような気持ち)→卒業後、大阪のホテルに入社(9年あり)
ホテルでの接客(下から目線)が人間観察の上で非常に勉強になった 
会社方針 自己顕示するなとの考えに窮屈になってゆくが、仕事をしながら
書くようになる   
お客は従業員に対して無防備 威張る →お客文化を吸収できる
梶山敏行がホテルに宿泊→編集者に渡す前に読む→並行するように自分でも書く・・・
勉強になった

サラリーマンのエッセー集のようなものを書く→後に推理小説を書くようになる
3年後角川氏が突然訪ねてくる→作家の証明になるような小説を書いてほしい→
創刊号に間に合わずにいた→
西条やそのある詩を思い出し、親子の情愛をテーマにミステリーを書いてみようとした→
「人間の証明」
現在まで380冊弱になる  本格推理小説はそうそう書けるものではない  
推理小説は論理的に突き詰めてゆく
人間性から落とすやり方で推理小説を書けないか・・・親子の愛憎・・・後味の良いものにしたかった
・・・難しかった
作家として脂ぎっているのは40代後半から50代 歳をとってくると駄目になってゆくので
(中枢神経細胞が減ってゆく)中枢司令部をいつも動かしていないと駄目
私の場合は全ての事が作品に通じてゆく 人を観察する 友人との会話 若者たちの会話
(自分たちには無い言葉を使う 自分の知らない世界が展開)