森村誠一(作家79歳) 「“作家”の証明」作家 2
46年間執筆 合計1億5000万部ぐらい 375冊
作家は書けなくなったらもう作家とは云えない
人間の抜け殻 年間長編小説を?冊は出したい
小説を書かないと置き去りにされた様な気がする
私にとって小説を書くと云うのは生きていることであり、楽しい、好きですね
一日の執筆時間は6時間ぐらい、最盛期には12時間ぐらいであった
規則正しい生活をする 岩盤に突き当たった時はトンネルの反対側から、掘ってゆくようなイメージで対決する
現在スランぷかもしれないが今までの経験から何とかなる 兎に角書き続ける事
作家は基本的に人間が好き シャイになり自分の中にとじこもる人もいる
作家は基本的に人間が好き シャイになり自分の中にとじこもる人もいる
人間が好き、人生が好きでないと 書いても暗いものになってしまう
人を上から見ると頭しか見えない 下半身が見えない 弱点と言うものが見えてこない
人を上から見ると頭しか見えない 下半身が見えない 弱点と言うものが見えてこない
取材は3つある
①文献の渉猟
②直接その人に会ってインタビュー
③現地の現場検証
写真俳句 最初は写文俳句と言っていた
芭蕉が俳聖と言われるようになったのは、奥の細道と言う文章が付いているから
蕪村は絵を付けた
芭蕉の文章と蕪村の絵を合体させたら、すごく優れて表現になるんじゃないかと思った
私は絵が描けないから蕪村の絵の代わりにカメラを持ってきた
芭蕉は今日の文明の利器を持っていない
これを使えば芭蕉に対する句はできないが、対応句は出来るのではないかと思った 芭蕉より優れた利器 一つはスピード もう一つは通信機械 つまり高速交通機関とカメラ これを使えば芭蕉が見られなかった景色がみられるのではないか
芭蕉が取材できなかったものが取材できる
カメラはテープレコーダーに比べてはるかに情報量が多い
写真俳句と小説は全然違う
小説と言うものはちいさなものを拡大する性質がある
ほんの小さなラストシーンから膨大なものを書く
それに対して俳句は膨大なものを凝縮する
「夏草や つわものどもが 夢のあと」 これを小説にすると1000~2000枚の作品が書ける だから凝縮と拡大の違い 作家はこの凝縮には慣れていない
作家が凝縮と言うものをものにしたら、強力な武器になるのではないかと思う
「高原に 夏雲湧くや 遠き過去」 ・・・句が先に出来て写真をあとで撮った 「寒月や 屋台の酒に うつる歌」・・・写真が先
「満天の 星こうりても 生きており」・・・大震災の時、部屋に本が散乱し、窓からひょっと星が見えた 写真は付いていない 時期ではない
写真俳句は季語に余りこだわらない 写真が季語、季節を語ってくれる
携帯電話を持っている事は、カメラを持っている→今後写真俳句人口は拡大してゆくと思う 老年になってからの生き方についていろいろ提言する様な本を書いているようになる 人生50時代には人間余生がない
第1期=仕込み 第2期=社会人現役 最近は第3期=余生 というものがある(約20年) この生き方が大変重要になって来ると思う 2~3年なら余生
余った時間だが、20年ともなると人生そのもの 実りある人生にしないといけない 今まで 一期、二期の心構えはあるが、第三期の心構えはない
余生の覚悟 第三期を人生の総決算期として、 最も実りのある時期にする事が出来るか と言う事がテーマとなる
最大のポイントは余る生ではなくて 誉れある生 にしたい
そのためには生産的人生 卵を産めなくなっても卵を産むと云う
老いと言うものに負けないこと 老いと向かい合ってゆく
老いは三段階に分かれる
①60歳代は年少組
②70歳代は年中組
③80歳越えると年長組 重要な時期は60代、70代だと思う
80代になると気力、体力の衰えを認めざるを得なくなる ・・・覚悟が必要である
平穏無事の時は精神が弛んでいる (自分ではしっかりしているつもりであるが) 覚悟とは 弛んでいる精神を凝縮すること
凝縮すると放漫であった生き方が、かなり人生の総決算期となると、凝縮してくるから 俳句のように無駄がなくなる
生き方に無駄がなくなってくる
贅肉をどんどん切り落としてゆく ・・・最も実りある時期になるのではないかという、提言 今後テーマにしてゆきたい問題 目先のテーマに集中していると、先が見えなくなる事が良くある 作家は有り難いことに強制的な定年がない
常に人生 旅の途上である・・・私の覚悟
どんなに年をとっても今日が一番若い(未来に照準を合わせた場合には)
未来に対して今日と言う日が一日目
青春とは無限の可能性に満ちている事 そういう考え方をすると同じになっちゃう 今日と言う日を一日目にすれば、可能性は無限にある
無限にある可能性に対する永遠の狩人でありたいというのが、私の心構え 歳を重ねれば重ねるほど、人生欲張りになってゆくんじゃないのかなと思う いつ自分の寿命が尽きるのか判らないけど 青年、壮年時代とは違った一種の予感めいたものがある
人生を欲張って生きたいと云う 貪欲さが出てくるような気がする
貪欲でないと作家は維持できないような気がする
吉川賞をいただいて、食い逃げは出来ない 後50冊書くと公言した