山崎静代(漫才師) ・〔師匠を語る〕 「ボクサー」山崎静代~師匠・梅津正彦を語る
俳優としても活躍中の山崎静代さんは、かつてのボクシングコーチの梅津正彦さんの元で、猛練習を重ねオリンピック出場を目指していました。 二人三脚でボクシングのオリンピックの夢を支えた師匠の梅津正彦さんについてお話を伺いました。
ボクシングを始めたのは2007年です。 ダイエットと、「明日のジョー」にはまっていたこともあり始めました。
梅津正彦さんは1968年山形県酒田市で生まれます。 高校時代にボクシングを始めた梅津さんはソウルオリンピックを目指していましたが、怪我で現役を引退、その後は映画監督を目指し、助監督としていくつかの作品に参加します。 又「キッズ・リターン」や「アウトレイジ」などの北野武監督の作品や、テレビドラマのボクシング指導者としても活躍しました。 静ちゃんと最初に出会ったのも、2008年NHKで放送されたドラマ「乙女のパンチ」でのボクシングシーンの演技指導でした。 その後二人はオリンピック出場という大きな目標を掲げて、梅津さんは静ちゃんを世界を目指せるボクサーに育てていきます。 その梅津さんが皮膚がんの一種メラノーマと診断されたのは、そのさ中でした。 梅地さんは家族や仲間に支えられて、懸命な闘病生活を送りますが、2013年7月23日44歳の若さで帰らぬ人となりました。
初めて会った時にはニコニコしていて優しそうな印象でした。 ドラマが終わった後も楽しく教えてくれるので、練習だけは続けていました。 アマチュアボクシングのライセンスがあることを知り、テストを受けてライセンスを取りました。 2012年ロンドンオリンピックで初めて女子ボクシンブが正式種目になるというニュースが入って来ました。 スポーツ新聞が「静ちゃんロンドンオリンピックを目指す」といった記事が出ました。 マスコミ先行でした。 吃驚しましたがやりたいと思いました。 梅津さんも同じことを考えていました。 やってゆくうちに甘くないという事がどんどん判って来ました。
徐々に梅津さんの練習対応が変わってきました。 いろんなことで怒られました。 ボクシングの練習は2時間ぐらいで集中してやるんですが、5,6時間ぐらいやっていた時もありました。 梅津さんは伝わらないももどかしさ、私は判らないもどかしさが毎日続いていたような感じです。 辞めようという思いはありませんでした。 梅津さんとしてはオリンピックに連れて行くと約束した責任と、親御さんに怪我無く返すという事を言っていたので、そのためには強くするしかないので、厳しく怒っていました。 褒めてくれることはほとんどなかったです。 試合に勝った時には褒めるわけではないが、誰よりも喜んでニコニコしていました。
2012年2月に広島で全日本選手権が行われて、ミドル級で優勝しました。 3か月後にオリンピック出場を目指した選手権に出場。 1回戦は勝利するが、予選突破はならずオリンピック出場を逃す。 呆然としてしまいました。 今迄の何年間がこの一瞬で終わったという事がなかなか受け止められませんでした。 梅津さんはいつも負けた時には俺の責任だというんです。 梅津さんは誰よりも悲しそうで落ち込んでいました。
梅津さんから皮膚がんの一種メラノーマであることを聞きました。 切ったら大丈夫と言っていました。 二人でロンドンオリンピックを見に行きました。 自分たちが目指していた場所を確認したいと思いました。 中には勝てるのではないかというような選手もいました。 観ながら次を目指そうとは思っていました。 2013年4月にデビュー戦で敗れた台湾の選手とリベンジマッチをしました。(11か月ぶり) その時には梅津さんは余命3か月の宣告を受けていました。 試合は観に来てくれました。 この試合には勝ちました。 4か月後には息を引き取りました。 入院中はたびたびお見舞いに行きましたが、ずっとボクシングの話でした。 しんどい状況でしたが、立ち上がってパンチの仕方などを指導してくれました。
仕事で遅くなってしまって,行ったら「遅かったなあ。」言って待っていてくれました。 その後意識がもうろうとしてきました。 言葉で聞いたのは「遅かったなあ。」というのが最後でした。 「今迄ありがとうございました。」というと、本当のお別れみたいな感じで、言いたくなかったが、心臓が止まってしまっても、医師は耳だけは聞こえてると言ったので、「今迄ありがとうございました。」と伝えたら、梅津さんの目から涙が流れたんです。 伝わったんだなと思いました。(言葉に詰まりながら) 亡くなった翌日もずっとそこにいました。 葬儀では弔辞を読みました。
弔辞
「梅津さん大好きです。 もっともっとボクシングを教えてほしいです。・・・一生のうちでこんなにも深い絆で繋がれた出会いはもぅないと思います。・・・」 めちゃくちゃ泣いてしまいました。 現実を受けとめられない部分も当時ありました。
お墓参りに行って、結婚した事とか、仕事も頑張りますとか報告しています。 芸能人という目で見ないで、一ボクサーとして対応するとよく梅津さんから言われました。 その気持ちはずっと持とうと思っています。
梅津さんへの手紙
「梅津さんは定期的に私の前に現れます。 ・・・亡くなって11年が経った今でも、私にエールを送ってくれるんですね。 梅津さんのエネルギーは途轍もないから、今の私を支えてくれています。 ボクシングをやれたから、梅津さんと出会えたから、今の私があります。 梅津さんありがとう。 これからもよろしくお願いします。」