2024年10月17日木曜日

久田恵(作家)              ・〔わたし終いの極意〕 終の住みかは自分で決める

久田恵(作家)           ・〔わたし終いの極意〕 終の住みかは自分で決める 

久田さんは北海道室蘭市生まれの76歳。 大学を中退して様々な仕事を経て、女性誌のライターになりました。 1990年に『フィリピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。 執筆活動を続けながらシングルマザーとして子育てをして、およそ20年に渡って両親の介護もしました。 70歳の時に栃木県那須高原のサービス付き高齢者向け住宅に移住しましたが、この2月に東京の実家に戻り独り暮らしをしています。 

那須に引っ越す時には、終の棲家を自分のなかで決めて暮らすんだと思っていましたが、歳を取って来ると、高原が美しい、空が綺麗とかそういう事だけで幸せには暮らせないですね。  自分が介護が必要になった時に、どういう風にそれを乗り越えたらいいのか、サポートしてくれるのかとかいろいろあって、歳をとると車も運転できなくなるし、終の棲家として疑問が湧いてきました。  6年間過ごして今年の2月に実家に戻って来ました。  改めて思うと何て便利なんだと思いました。  以前は父と一緒に母の介護していました。 母は78歳で亡くなりました。 父も自立型の介護施設に入りましたが、その後介護型の施設に入りました。  

父の男親は曹洞宗の僧侶でした。 その影響もあり道元の本などを読みました。 父は富士製鐵(現・日本製鉄室蘭製鉄所技術者でした。 父は「料理というものは科学実験と同じだな。 科学実験だったら僕の専門だから。」と言って、しっかりと数値を計算したりしてやっていました。 父は92歳で亡くなりました。 母は脳梗塞で失語症にもなってしまって、失語症に対しての理解をしようと思って努力しました。 父は最後には身体が動かなくなって、人が生きて弱ってきて、亡くなってゆくプロセスを間に当たりにしたという感じはあります。 父からは「最後まで自分と一緒に暮らしてくれたことを、僕は凄く感謝している。」と言われました。  その時には余りピントは来なかったです。 自分が歳を取って来ると一緒に暮らしてくれることが、重要だなと理解できる。 一人ぼっちで死なないですんだという事ですね。 私は一人ぼっちで死んでいくという事を、別に悲しとは思わないと言う様な気持ちではいます。 

自身の介護を息子にという思いは無いですね。 その手立てを考えて準備して最後を迎えないとだえんだ杏と思います。 介護施設は歩いて数分のところにあります。 同じ介護施設でも、運営している人達の介護観は違うので、どこでも同じというわけではありません。  昔は入れられちゃったという事が多かったです。 自分に合うようなところを捜して、決めることが重要な時代になってきています。 

色々な仕事をしてきましたが、その時その時で考え方が違っていました。 思い立ったらすぐ行動で、それが失敗かなと思ったら速やかに辞めればいいんです。 母が急に倒れたり、息子が不登校になったり、何があるのか判らない。 息子の稲泉連2005年に第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、初の親子受賞を果たしました。 

自分でもどうにもできない性癖があって、相変わらず落ち着かない日を送るのではないかと思います。  歳を取って来ると段々めんどくさく成ったり、身体も動かなくなってくるので、潔く諦める事もあります。 出来れば施設に入らないで自分の家で過ごしたいという人の考えも段々わかってきて、地域の中にシニア食堂みたいなものがあって、そこで交流するというものがあってもいいと思います。 家が2世帯住宅なので一階がそのような場所に使えればいいかなと思っています。 〔わたし終いの極意〕とは高齢になったら、ちょっと寂しいぐらいで生きているのがいいかなと思います。