2020年2月1日土曜日

竹下景子(俳優)             ・愛ある教えに支えられ

竹下景子(俳優)             ・愛ある教えに支えられ
1953年9月生まれ(66歳)愛知県名古屋市出身。
大学在学中の1873年19歳でNHK銀河TV小説「波の塔」でデビュー、映画「男はつらいよ」でマドンナ役を3度勤め、映画「学校」では第17回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しました。
俳優としてのご活躍に加えまして「クイズダービー」で16年に渡ってレギュラー回答者を務め人気を博しました。
2020年4月にはBSプレミアムで放送のドラマ「70才、初めて 産みますセブンティウイザン。」に出演されます。

「70才、初めて 産みますセブンティウイザン。」は笑いあり涙ありのドラマです。
デビューから46年になります。
最初大学生で「クイズダービー」にゲスト出演して、学校も卒業して、結婚して子供二人産んで気が付いたら40歳になっていました。
レギュラーー番組の中で産休も取らせていただきました。
大学生で最初お仕事を頂けることはありがたいと思いました。
ゲスト出演からレギュラーになり、学習院大学の篠沢秀夫先生は正解が低率でしたが、間違えた中にこそ、その人らしさが表れるという事を教わりました。
人生全部が正解正解という風に行かなくてもいいんだと知らず知らずに教わったと思いました。
失敗してしまったと思っても、どういうふうに自分の中でリカバリーするか、そこにそれぞれ私らしさが表れるのでしょう。
そのことで居合わせた方と違う信頼関係が生まれたら、ちょっとした失敗や間違いがあったおかげと思えることがあるのかなあと今は思います。

「クイズダービー」での「三択の女王」というのは大橋巨泉さんが付けました。
巨泉さんは台本には全く時間の配分などはないのに、編集ゼロであの分を収録していたというのは殆ど伝説的な話です。
話術の天才でした。
私は生まれは名古屋ですが、父の仕事の関係で幼稚園、小学校の半ばまでは東京の東村山で過ごし、帰って来た時にはカルチャーショックのようなものがありました。
東村山の時には公務員住宅だったので棟割長屋のようなところでしたが、名古屋には1963年でしたので、大きな団地の中に引っ越してきて3LDKで電話もあり、という事でカルチャーショックがありました。
転校してきた学校の地元の女の子が自分のことを「わし、わし」といっていて、又違うカルチャーショックを受けました。
直ぐになじんで遊んでいました。
下町っぽいところで名古屋は垣根が無くて、付きあいがふかくて、思春期になるころにはちょっとうっとうしい感じのところがありました。
大学は東京にという事で親から離れようと東京に出ました。

初めての舞台が『和宮様御留』というもので再演が名古屋でした。
来てくださるお客様が温かい拍手で迎えてくださって、私の故郷なんだと涙が出そうになりました。
自然災害、思わぬ出来事があり、私も環境のこととか少しずつ勉強して行く中で、いかに地域のコミュニティーが大事かという事を判ってゆくにつれ、何だ名古屋を見習えばいいんじゃないかという事に気が付くわけです。
日ごろのお付き合いが本当に大事だと思います。
子どもたちは社会に育ててもらうんだと初めて親になって知りました。
地域のつながりが自然に深まって行けば人としても地域としても、いい空気が流れていくんじゃなかなあと思うようになりました。
女優として生きてゆくのに最初のハードルが結婚だと思います。
夫は理解ある人でした。
夫は写真家の関口 照生です。
子どもが生まれて仕事が来なくなるかなあと思っていたが、有難いことに初めて大きな役を頂いたのが大河ドラマの「独眼竜正宗」で乳母でした。
乳母かと思いましたが、独眼竜正宗を育てる未婚の若い剣の腕のたつ素敵な役でした。
役柄も広がって何か違う道が見えてきたとその時思いました。
忙しかったですが、理解してくれてその間夫が良くやってくれました。

一番身近な人が違うものの見方をするという事は私にとっては目が見開かれることが多いですね。
1983年は「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」でヒロイン役、1987年「知床慕情」、1989年「寅次郎心の旅路」と「男はつらいよ」で史上初の3度のヒロイン役。
1993年の映画「学校」では第17回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しました。
みんな山田洋次監督でした。
山田洋次監督からはこれからどういうシーンを撮るかという事を最初に説明してくださいますし、「男はつらいよ」はゆったりゆったり進んで行くので、ブレークタイムがあるので私のような新参者が落ち着いてできるように配慮されてくれたと思います。
山田洋次監督からは言葉を惜しまずいろいろ教えていただきました。
渥美清さんは普段は物静かな方で、マドンナ役の女優さんには「お嬢さん」って声を掛けてくれるんです。
不思議な世界、超常現象を語ってくれる時の渥美さんの語り口の凄さ、天才ですね。
渥美さんは映画の現場をとても素敵な空気を作ってくださいます。

芸能界、俳優とかは生活が物凄く不規則になるので、計画性を持ちづらいという事はあるが、それを除けば普通の仕事と割り切っていたので、普通に働くお母さんという風に自分自身を思っていたので、特別でいなければいけないという事は一回もないです。
俳優という肩書があると旅の番組、料理の番組が出来たり、自分に興味を持てるようなものをこれはどうですかと提示されたときに、自信がないから止めておきますという事は言わないようにしてきました。
これが限界という事を決めないでおこうとしていました。
成功もあるが、失敗もあるし、俳優は全部が全部自分が引き受けるものだと思って今やっています。
俳優は勝負というか勝ち負けがないので、お陰様で自分なりの仕事のかかわりができたので、それで長くやってこれたのかなあと思います。
皆さんそれぞれ唯一無二の生きている訳ですから、そういう部分でいえばみな同じだと思っています。