2017年8月2日水曜日

祖父江真一(JAXAミッションマネージャー)・すごいぞ地球観測衛星

祖父江真一(JAXAミッションマネージャー)・すごいぞ地球観測衛星
今年は日本初の地球観測衛星が打ち上げられてから30年になります。
地球観測衛星はオゾン層の破壊、地球温暖化などの気候変動や、台風、地震、火山などの災害に対応するために、宇宙から地球を見つめて必要なデータを集める人工衛星です。
東日本大震災や熊本地震の時などに衛星から送られてきた画像をご覧なった方も多分おいでになると思います。
祖父江真一さんは52歳、平成元年に現在のJAXAに入社しました。
以来地球観測衛星の開発、運用などに携わり日本の観測衛星を熟知されている方です。
祖父江さんにご自身の社会人人生と重なる日本の地球観測衛星の開発を振り返りながら開発に挑む熱い思いを聞きました。

役割は上がった後の人工衛星を、どういうふうに色んな形で使っていくかを調整して行くかという様なことをやっています。
2011年東日本大震災の時に、沢山の衛星写真を送って、被害状況の把握、災害対応計画の立案に役立ちました。
その時の衛星は「大地」と云う衛星でした。
衛星としては定年(5年)を迎えましたが、働くことが出来ました。(その2カ月後に終了)
1987年初めての衛星を打ち上げ、海洋観測衛星1号「もも1号」
陸と海を観測する衛星両方を検討していたが、先に海洋衛星をと云うことになり、海洋衛星を打ち上げました。
JAXAは技術の進歩に合わせて高性能化する、高機能化すると云うこともやりますが、地球の環境を見ると云うことは、30年は少なくとも観測しないといけないと言われている。
30年間同じような観測装置で同じように観測した方が、変化が判りやすいと云うこともある。

私が関わるようになったのは「もも2号」からです。(1990年2月打ち上げ)
種子島で打ち上げを見た後に、埼玉県の鳩山町に地球観測センターがあり、もも2号の衛星のデータを受け取ってどういうふうにやるかと云うところから参加しました。
日本が打ち上げた観測衛星は10個で、運用中は4つです。
①「だいち」後継機の「だいち2号」 陸上の状況を見ている。 災害など。
②二酸化炭素を測る衛星「いぶき
③雨を測る衛星「しずく」 気候変動が一番出てくるのが雨の降り方、台風。
④アメリカと一緒にやっているGPM 衛星は米国、日本の観測装置を搭載。3次元で雨が判る、台風の構造がより判る。
いかに海の上の情報を多くするかで予測精度が高まる。

最も残念なのは、「みどり」(ADEOS)、「みどり2号」(ADEOS2号)です。
衛星が大きくなると大きな観測装置を載せることができるので、1つの衛星に8個の観測装置を載せて、同規模の衛星をアメリカも先にあげるはずだったが遅れて、日本は世界トップの衛星を上げることになり、最初打ちあげて動き出した時には凄い成果を出して期待されたが、10カ月の運用で止まってしまった。(太陽電池が壊れてしまった)
「みどり」の失敗の轍を踏むまいと、「みどり2号」を打ち上げたが、太陽電池パネルのところの問題が起こって約10カ月で止まってしまった。
この二つの失敗でその後冬の時代でした。
もし失敗していなかったら、完全に日本のデータがスタンダードになって、国際的な環境、気候変動の変化では日本のデータを使わないとしょうがなくなっていて、日本に対する依存度が違ったような気がします。

やっと失敗を繰り返さないとうことで、みどり、みどり2号は太陽電池が一つだったが、しずく、だいち2号は両側になり、片方が壊れても衛星は死なないという形になり安定して動けるようになりました。
ようやく気候変動の観測衛星が今年度中に打ちあげるのを予定しています。
しずく(GCONW)と今度打ち上げる衛星(GCOMC)で二つ合わせてみどり2号と同様な機能をはたしています。
みどり2号のさらに進化したものが「いぶき」になっていて、GCOMCが上がればみどり2号のあとのものが全部そろう形です。
こういった仕事を判り易く説明できるように心がけています。
2011年東日本大震災があり、タイで大規模な水害があった年で、自分たちの生活には影響がないように思われるが、日本の工場も被害に会って車の部品が入らないと云うことになりました。
アジアで被害があった時には、もろに日本の生活、経済に影響があるので、一つの国だけで何かという話ではないと云うことです。

名古屋市生まれ。
宇宙もののアニメがあり一生懸命読んだりして、小学校の頃に天体望遠鏡を買ってもらって木星、土星を見ていました。
大学の研究生の時に、コンピューターシュミレションをやる研究室に行って、宇宙に近くなってきた感じがしました。
1989年NASUDAに入社。
2003年に「みどり2号」が運用停止して、「しずく」が打ち上げられたのが2009年になります。
「いぶき」をあげようとするまでに、組織的な管理の問題があるのではないかとか、組織の改善、地球観測をこれからもやるのかとか、議論があり、先が見えなくてそのころが一番つらかったです。
環境省が一緒にやりましょうと云うことになり、京都議定書の問題もあり「いぶき」が動き出しました。

地球の問題は日本人がよければいいと云う話ではなくて、世界に利益があれば必ず日本にも戻ってくることを信じていること、仏教でいう自捨他利、自分を捨てていかに他人に利するか、と云う処の話が原点にないと、地球観測をなんでやるの、日本の為だけなら衛星をあげなくてもいいんじゃないのという話になりがちだが、将来のことを考えたら地球全
体のために貢献しないと意味がない。
或る程度部下を使う立場になった時には、一度こうだと決めたらよほどのことがない限り
変えないと云うことは信条にしています。(頑固だとは言われますが)
仕事だけが人生のすべてではないと云うのもあるので、いかに効率的に仕事をして行って、自分の時間を大切にすると云うこともあると思います。
判断をする時に、自分の狭い立場で正しいと云う風に考えるのではなくて、広い立場、人として他の人のことも考えて判断して何が正しいかを判断してもらいたい。
さらに観測することによって、地球はどう変わりつつあるのか、これから20年の観測が重要で北極の氷の融け方の傾向を見ていると、ここ何十年で北極の氷はゼロになるかも知れなと云うペースで氷が減ってきている。
今の現実がどうなっているのか、正しく把握して明日に備えることが大切だと思っています。
「いぶき」「だいち2号」の次が動き出しているが、そのあとは明確ではなくて、継続的に人工衛星を使って地球を見ていくことを日本としてやっていこうと、できるところまではやっていければと思っています。