2015年10月13日火曜日

久米小百合(音楽伝道者)      ・ニューミュージック歌手から音楽伝道者へ

久米小百合(音楽伝道者)      ・ニューミュージック歌手から音楽伝道者へ
東京 国立生まれ 4歳のころからピアノを習い、中学高校時代は当時人気のあったフォークソング歌手たちのコピーをしたり、自作の曲を書きとめたりしていました。
1979年久保田早紀の名前で短大在学中に作詞作曲した「異邦人」でレコードデビューしました。
「異邦人」は民放の歌番組で3週間連続で1位の座を獲得するなど大ヒットし、久米さん当時の久保田早紀は一躍話題のニューミュージック歌手になりました。
その後も得意のオリエンタルな雰囲気の曲や曲調をがらりと変えた曲を発表しましたが、デビュー時のインパクトを越えることはありませんでした。
久米さんは1981年に東京都内のキリスト教会で洗礼を受けて、1984年の結婚を機にニューミュージック歌手としての活動を中止しました。
その後はクリスチャンの音楽伝道者として活動を続けています。
各地の教会等で伝道コンサートを開いたり被災地の支援を行っています。

東日本大震災の被災地の応援活動、先月下旬にも尋ねる。 石巻の教会でのコンサート
讃美歌、昔のニューミュージック等を歌う。
大震災の津波で親を亡くした子供達の面倒を見ている人に出会って、何かできるころがあるのではないかと思い立ち上げました。
音楽の種まき 楽器を届けるとか、教えるとか、音楽の種をまく活動もやっています。
復興と言うにはまだ一歩一歩歩んでいかないと、なかなか復興にはたどり着けないとの思いはあります。

4歳のころからピアノを習い始めた。 
母がピアノを習う様にとの思いがあり、母はピアノを職業とすることを希望していたが、小学校時代は嫌いでも続けていたが、中学校には歌謡曲フォークソング等を弾く様になり、フォークソングを主に弾く様になりました。
男子中学生と一緒にバンドを結成する。(ガロをまねる)
私が高校時代、父は通訳の出身で、イランのテヘランに単身赴任をしていました。
イランのヒット歌手のカセットをお土産に買ってきてくれ、不思議な旋律で聞いていました。
1979年10月 「異邦人」(作詩、作曲、歌 久保田早紀)
「白い朝」というタイトルだったが、八王子から学校に通う中央線の電車の中でできた曲でした。
短大の2年間はソニーに通って作った曲を持って行っていましたが、その中の一曲でしたが、気にいってくださる人がいまして、もしかしたらコマーシャルに使えるかもしれないと言う事で、大手電機メーカーのTVコマーシャルとして採用してもらったが、映像がアフガニスタンの国境ぐらいまで行って撮ってきたもので、エキゾチックな詩に手直ししようと言う事になり、いくつかタイトル候補があり、その中の一つが異邦人でした。
サブタイトルがシルクロードのテーマ

歌手デビューのイメージは苦節10年という様な思いがあったので、自分にスポットライトが当たるとは思わなかった。
自分がプロとしての意識等なかった。
心配、不安はいつもあったと思います。
ほとんどのニューミュージックの大御所はバックボーンがしっかりした音楽家が多かったが、自分の音楽のルーツ、ポリシーはふわふわしていて、キャリアもないし情けないなあといつも思っていました。
異邦人の後につくるもの、本来の自分らしい世界を聞いてほしいという思いが強かったが、シルクロードとか、中近東等をイメージする物を作ってほしいという要望があり、そんな中で試行錯誤していた。
芸能界引退は1984年 5年間ぐらいでした。
その前にクリスチャンになったことが大きな出来事だった。
1981年に洗礼を受ける。(現役時代)
リスボンでレコーディングをして帰って来てから、もう一度教会に行きたいなあと思って、自分の音楽のルーツを知りたいと思って、教会にもどりたいとおもった。
子供のころは教会に行って、讃美歌、等が好きだったのでルーツは教会にあるのかなあとふっと思いました。
その時点では洗礼を受けるとか、宗教心を持って生きようとはさらさら思わなかった。

或る時に大平透さんの番組にまねかれて、大平さんから行きたいところとかやりたいことはあると問われて、私キリスト教の教会に行きたいと思いますとふっと言ってしまった。
それでは僕の親父のところへ行ったらいいと言われて、地図まで書いてもらった。
母と一緒に夜に行ったが迷ってしまって、別のプロテスタントの教会に灯りがついていて、音楽が聞こえてきて、ずーと最後まで聞いていた。
中に入って聞いてもいいですよと言われたが、信者ではないと行ってその時は帰って、最終的にはその教会で洗礼を受けました。
オハイオシンガーズという神学生の人たちのコーラス隊だったようで、3年、4年に一回来る人達で、たまたま私が訪ねた晩にコンサートをやっていたようです、不思議な縁でした。

音楽としての伝道
讃美歌、聖歌は別のラブソングだと思っている。 
神様へのラブソングだと思っている。
「いつくしみ深き」  讃美歌312番
いつくしみふかき ともなるイエスは つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて などかは おろさぬ おえる おもにを

変えてはいけないと思っていたが、讃美歌も自分のキーで下げたり上げたり,アレンジしています。
日本の叙情歌、「異邦人」も歌ったりしています。
私は音楽を通して、その中(聖書)にある喜び、楽しさ、自分を元気にしてくれる言葉とかというものをお届けできればいいなと思っています。
光とのコラボレーション 
光は本物と偽物をあぶり出してくれるものだと思っていて、神様の照明、本当にいいものを照らしてくれるのが私にとってフォートス(ギリシャ語で光)だと思っています。(音楽を主にコラボレーション)
日本ではクリスチャンは1%いるかどうかぐらいです。
現代的なキリスト教音楽もグラミー賞のジャンルの中にあるので、日本はもっと皆さんに知っていただければいいなと思います。
物凄く大きな気付きとかきっかけを与えてくれたのが音楽界、芸能界、視聴者の方々だと思うが、久保田早紀時代は音楽は自分の人生のすべてだったが、今は音楽は大切で大好きだが自分人生の一部だとは思っているがすべてではないと思っている。