2015年10月15日木曜日

吉田晴乃(経団連審議員会)    ・キャリアアップは私流

吉田晴乃(経団連審議員会 副議長)    ・キャリアアップは私流
1964年生まれ 慶応義塾大学を卒業後、カナダ、アメリカ、日本の通信会社で働き、今年6月から女性で初めての経団連役員、審議委員会副議長に就任しました。

土、日には20km走って、ゴルフ、水泳をやったりしています。
家は体育系の家族でした、姉も父も体育会で私も大学は体育会テニスでした。
運動して一旦頭をからっぽにして(脳をスイッチオフ)、又新しい生活に入ります。
高度成長期、バブル時代を経て、疑う暇もなく怒涛の様に流れて生きてきて、その中で一回全てハードストップにされる様な事態があって、大学卒業寸前で病気で倒れて、自分だけ地の果てに落ちてゆく様な経験をした。
3年間闘病生活をすることになりました。
所謂路線から外れたなと思いました。
娘と生きていく事を決めた頃から、全て自分なんだと、自分があって世の中があると言う様ないい意味での自己中心になって、自分の声を聞きながら、自分に合った人生をデザインして自分のために生きていきましょうと思いました。
一番世の中のため、娘の為にもなるし、周りのためにもなる生き方なんだと思う様になるには時間もかかりました。

病気が治ってから外資系の会社に就職して、親の大反対を押し切って国際結婚して、カナダに移住して、カナダの国営通信会社に務めて、アメリカに移ろうと思ったが、その時にシングルマザーになりました。
移住した年に業界の自由化がきた年だった。
電話代が1分1ドル50セントが25セントまで下がった。
その時に消費者は日本だけではなく、国内の電話もあるので、そっちの方で採算が取れるビジネスプランを作って、これでやらせて下さいと、カナダの電話会社に言った。
新聞に広告が出たとたんに朝から申し込みの電話が止まらなくなってしまって、あっという間に広がって、カナダ全土に広がった。
消費者視点でふっと思いついたもの、これをやったらみんな喜ぶのではないかという、シンプルのアイデアの大切さが必要だと思う。
カナダの会社もやらせてみたらというカルチャーがあった。
カナダは非常にリラックスしていて大らかです、女性も要職に付いていました。

日本は女性の取り組みという意味では欧米の30年遅れていると思う。
カナダの会社を辞めてからアメリカの通信会社に移りました。
ITバブルがシリコンバレーから起こり、魅力ある市場だなあと思って、自分でも挑戦してみたいと思い、アメリカに行きました。(子供が5歳の時)
娘には大きな負担となり、ずーっと娘の大きな心の傷となり、私の言えない大きな心の傷でもあります。(今は娘も20歳)
癒える方法は私は私で頑張り、娘たち若い世代がワークもライフも両方選べるような社会にしてゆく事、未来志向でこういう貢献をすることで、やっぱり苦労の意味があったよねと二人で手を取り合って、そういう事が大事だと、娘と話をしています。

どんな事実も、苦労だった、大変だったと沢山これを正直に見つめることによってこれを裏返しただけのいい事にして行こうと思っていて、良いことも悪いこともどっちも否定はしない。
お母さんが仕事なのか家庭なのかとか、仕事、家庭しか選べないとか、選択しなければいけないと言う様な社会が繰り返される必要はない、と固く信じていて、そんな事をやっているのでは女性の社会進出は長続きしないと思う。
託児所が少ないとか、インフラが無いわけですから皆でいろんなものを変えて行きましょうと言うのが今の取り組みです。
娘とビジネスウーマン同士の話しができるとは思わなかった。
今はイギリス系の通信会社の日本法人の代表取締役、20年ぐらい通信市場でやっていると、自分なりの戦略みたいなものが明確に出てきて、この業界の中でビジョンができてきて、実現するにはスポンサーとポジションが必要だと思っていて、日本法人の社長のポジションがあることがわかり、170年の歴史があるイギリスの通信会社で、自分の夢を実現してみたいと思った。

2012年に就任する。
その前の面接の時に、イギリスの人事のトップの人に会い、「私は女性で日本の市場で本気ですか」と冗談半分に言いましたが、
「我々には次のリーダー―シップの明確なイメージというものがあります。
その人が持っていなければいけない資質というのが明確にここにあります。
たまたま貴方がそのすべてを持っていて、たまたま貴方が女性だったと言う事だけです。
我々は問題ありません」と言われた。
凄く印象的で、鳥肌が立っ多様な経験でとてもうれしかったです。
日本もここにいかなければいけないと思います。
日本の市場のグロバライゼーションが語られてるが、サービス、日本の企業の皆さんが海外に出ていく時のお手伝い、我々が入ることで日本の企業がもうかり、成功する様なお手伝いをする。
日本にないテクノロジーがイギリス、アメリカ等にはある、日本が零からやろうとすると長い時間がかかるので、こんなものがありますと紹介して、日本のブランドで売って差し上げる、持続的成長の繁栄の仕方だと思う。
技術は持ってきてあげるけれど、皆さんの顔で出してくださいという、こういう事をして行きたいし、やっています。

私のゼッケンはなでしこジャパンですと言っています。
日本のためにいいものを取り入れ、彼らにも喜んでもらえる、豊かなマーケットにしてゆきたいと思っている時に、中間地点に立っている者の発想は有りますが、いつも日本に良かれと思っています、日本人ですもの。
経団連審議員会
経団連の会長へのアドバイザーボードみたいな感じで、恐縮してしまう様な日本のトップ企業の会長さんと一緒に副議長の地位を頂き、会長に向けての提言をします。
少子高齢化、女性の活躍の問題、TPPとかいろんな問題にたいして話して、提言を会長にインプットします。

女性活躍推進委員会というものを旭化成伊藤会長と一緒にさせてもらっています。
USミッション 経済外交 女性がいると言う事の意味合い。
US側の主催側に女性が20から30%います。
日本側に今年は女性が入っている、という事で、カジュアルな会話は非常に重要だと思います。
ビジネス、政治全て人間がやる事で、私が描いている事は国を越えての女性たちの経済外交、これはきっと起こってくると思います、こんな風になった時にウーマノミクスではないですか。
経団連女性エグゼクティブネットワークをたちあげる。
先輩がいなくて先例、事例が無くどうやってやってゆくか、不安感があるが、成功事例を作っていかないといけないと思って、皆で情報交換をして乗り越えていこうと、このパイオニアたちが成功すると言う事が持続的なウーマノミクスに繋がります、サポートしてゆく体制をつくりませんかと、言う事で経団連女性エグゼクティブネットワークをたちあげてやっています。