2013年8月4日日曜日

比企能樹(北里大学名誉教授)   ・オリンピックのチームワークを外科治療に

比企能樹(北里大学名誉教授)   オリンピックのチームワークを外科治療に
比企能樹さんは慶応義塾大学医学部在学中の、1956年に慶応のボートのエイトの代表クルーの一員としてメルボルンオリンピックに出場しました
消化器の内視鏡外科学についてうかがいます 第二回でオリンピックの思い出を伺います

2020年オリンピックの開催地が9月に決まる
合宿所から学校に通っていた 実習に出られないこともあり、落ちてもいいからオリンピックに行けとの一声で、行くことができた  無事卒業させてもらった
追加して実習したりしてもらった
ノートを借りることができて、大変助かった、友達の協力が大きかった
「恕(じょ)して、医を行う」 私が信条としている言葉  
もともとは孔子がおっしゃった言葉(福沢諭吉の本によく出てくる言葉)
「己の心のごとくに、他人の心を考えて全てを行いなさい」と言う事

医学に関しては、必須のことだと思った
大阪の適塾 福沢諭吉はここで学んでいる
適塾二階に フーフェランドが 医に対する考え方を12条掲げてある その最初に掲げられている
「自分が手術を受けるとか、自分が痛みがある場合に、それがどういう風にしたら、治るか、どういう風にしたら痛みが取れるか、と言う事を患者さんにして差し上げることが医学の原点である」
そういう事だと思います

専門が消化器の内視鏡外科学
内視鏡 診断をする手段  大学院に入った時に教授からあなたは内視鏡を勉強しなさいと言われた (外科医療を目指していたので、ちょっとがっかりした)  
当時は内視鏡が初期の物で、外国から輸入された鋼鉄製の管を口から入れて、内部を観察するような状況(光は電球で、胃の中を照らしながら見てゆく)

太さ1cm弱 体を直線にして、頭をベットから上を向いて出して口をあける
頭を持つのが最初の仕事だった  
患者はつらい(局所麻酔)意識はある 粘膜の麻酔をする 
呼吸はしているし、身体を動かすので、ちょっとしか見れない
1881年にドイツの学者ミクリッチが人間の胃がんを始めて見つける
鋼製なので先端はゴムでおおって、胃壁を傷付けないようにしてあったが 軟性胃鏡といったが
決して柔らかくなかった
1960年にアメリカでファイバースコープができた  

日本はいち早く、購入して、共同で使った(東京大学、慶応義塾大学とか)
ミクロン単位のグラスファイバーを10万本を集めた管1cmぐらいで曲がるようになっている
最初手にしたときには吃驚した 
日本でも内視鏡を作りだしたが、それが現在に至っている
胃の中をみるだけではなくて、ファイバーに平行にチューブを入れて、その中に金属でできた生
検カンシ(鋏)で2mm角ぐらいの部分を手元の操作で取ってくることができるようになった
胃の中の一部を取って来る事ができるようになった それを作ったのは日本です
診断学は五感を全て要求してくるので、内部に一部を取ってくることによって、それができるようになった(癌なのか、それとも良性なのかを識別できる  柔らかいものなのかごつごつしたものか  手術をする上で非常に大事なこと)
中の状況を写真に撮って検討する 悪性なのか、良性なのか 観察する
東京大学分院でいい写真が撮れる胃カメラを作った 1957年に世界で初めて、できた

胃の中にカメラの先端が入ってゆく 先端に4mmのカラーフィルム(25枚撮れる)を入れる
パトロネの中に入れる  歯並びから55cmで胃が始まる
そこから胃の中を撮ってゆく
如何に綺麗な像を撮影できるか 次にいかにして部分を取ってくるか 
みてる瞬間に皆でみられないかを検討する (日本で発想 画期的)
16mmの映画を撮ろうという発想が日本で検討されるようになる
ビデオスコープになる 先端にフィルムを取り付ける事が無くなる
綺麗なカラーが撮れるようになる
1cmだった径が8mmから7mmになり、同時にTV画面を見ながら皆が観察できるようになった
患者にとっては段々楽になった
当初鋼鉄製の時は剣呑師をみならってやりなさいと言われたことがある

1978年国際学会で発表 その前にレーザー光線で内視鏡を導入して、胃の中、食道の中を治療をする方法を発表するという事で愕然とする  (治療の方に行っている) 
キエフハバー ドイツの内科の教授に話して、帰りのミュンヘンによって、治療現場を見せてもらった
レーザー光線の入るファイバーを入れて、出血している箇所をレーザー光線で止血する(熱で凝固)
これは物凄い刺激だった 
レーザー光線は高価な装置なので、簡便な治療の方向に向かった
内視鏡が診断学から治療学に変わってきた
工学部と提携して、一人一台の機械を何か所でも使えるようにした

初期診断で 5mm以下の小さい癌を見つけた 色が違う 一部を取る、結果が癌であると、即手術、2/3の胃を取っていて、どうも納得できなくて、そこまで取る必要がるのかなと思った
癌と言うのはそこだけの問題ではなくて、癌は全身病だと当時習っていたので、いくら小さくても癌が飛び火する可能性をもっている
リンパ節を通して癌細胞が絶えず全身をめぐりだすと、どこにいつ起こっても不思議が無いような転移がおこる
リンパ管を通して、癌細胞が絶えず全身をめぐり回ると、そうするととんでもないことが起こる
2/3を取るのが、原則になっていた 
小さい胃がんでも リンパ節も取られるので、第一次、二次、三次リンパ節を取って、早期癌であっても、調べた  
リンパ節を調べたところ、2cm以下の小さな癌では、非常にリンパ節がないか、あるいはあっても1つか2つと言う事が解った

癌の性質があるが、どんな性質ならば転移しないか解ればいいと考えた
981例揃えてベルリンで発表した 第一回の消化器内視鏡学会だった
癌は全て手術だよという時代に、全部が全部切らなくてもいいという、問題提起をしたので大騒ぎになった
10年経って3000例近くになり、又発表した
少しずつ、転移をしていないことが理解されるようになった(今はヨーロッパに行っても早期癌は」内視鏡で取ってもいいという事になった)
診断、如何に早いうちに気がつくことが大事
常に皆とチームを組みながら、医学といえども大切、一層成果が上がる