2013年8月3日土曜日

明和政子(京都大学大学院准教授) ・人らしい共感力を育む

明和政子(京都大学大学院教育学研究科准教授) 人らしい共感力を育む
発達科学者 京都大学霊長類研究所で 10年余りチンパンジーの心について研究、その後比較認知発達科学と言う分野を開拓し、ひととほかの霊長類を胎児の時期から比較することで人らしい心の発達を研究しています。
これまでの研究成果から、明和さんは現代の日本子育ては人を生物として捉えた時、とても不自然で人らしい共感力を育む環境を取り戻す必要があると言います
人のこそだては本来どうあるべきか、伺いました。

明和さんが開拓した比較認知発達科学とはどういう学問なのか?
一番関心があるものは、心と言う見えないもの、その内容付いて知りたいというのが、思いとしてありました
心を測る、調べるという方法は、例えば、脳の活動を見る、遺伝子を調べるとか方法があるが、私は心がどのように働いているのかと言う事だけでなく、なぜ人が、今有るような、人らしい心を持つようになったのか、「何故」の視点を非常に考えたいと思ったということになった
比較と言う言葉の中には、人間と人間以外の動物 、特に今この地球上に生きている動物の中で一番近い動物チンパンジーと人間との心の働きを比較するという事が一番面白いのではないかと考えました。

自分の経験もあるが、一人の小さい子を抱っこして、もう一人をベビーカーに乗せて、と言う風に、小さい子を二人を自分一人で育てているような光景をみると、研究者としても、子育ての当事者としても、非常に心が震える感じになる。
人の子育て、チンパンジーの子育てを15年ぐらいみてきたわけですが、ひとと言うのは本来、私たちが多くの場合育てているように、お母さんが中心でお母さんだけが主に責任を担いながら、育ててゆくとう風な子育てのあり方では、本来なかったという事が解ってきた。
赤ちゃんは自分ではなにもできない、非常によわよわしい状態で、生れてくる。
チンパンジーはそうではない 生まれてすぐにお母さんの体にしがみつく事が出来る。
そうすると、抱っこをしてもらわなくても、おっぱいを飲めるし、お母さんが逃げれば、危険から身を守ることができる。
人間は本当に親の手を借りないと、生きていけない存在であることが先ずひとつ重要なことだと思います。
親、周囲の手を借りながら大きくなる、かつ10年以上にわたって、続くと言うのは人間の子育てのはっきりした特徴だと思います。

チンパンジーの場合は5~6年すれば、自立して仲間と一緒に生きてゆく。
野生チンパンジーの出産の状況を実際にみた研究者は居ない。
チンパンジーは出産が近ずくと、ひっそりと群れから離れて行って、他のチンパンジーが居ないところで出産をして、或る程度子供が成熟すると群れに戻ってくる。(一週間ぐらい)
人間は出産のときから、ひとの手を借りながら、生まれ育ってゆくと言うのが特徴です。
チンパンジーの場合は5~6歳で自立が終わって、次の子を産みます。(霊長類一般の特徴)
人の場合には10年以上、かかる子育ての中で、2歳、3歳、4歳の段階で下の子を産んだりすることがよくある。
小さい子をお母さん一人が育ててゆくという状況が、あまりにもチンパンジーとは違いすぎる
そこに非常に関心を持っている。

人間はいつの時点で、どのような子育てをしてきたのかと言う事に関しては、ほとんどわかっていない。
面白い仮説がある。  
おばあさん仮説  おばあさんには、非常に子育てにかかわる大事な役目があると言う仮説。
人間以外の霊長類のメスは死ぬまで、子供を産み続ける。
人間は子供を産むという状態が終えた後も、女性は長く生きる。
閉経後10年以上は生きている。  そこがおばあさん仮説の重要なところ。
自分の娘が子育てをするときに、助けてあげる、それがおばあさん仮説の一番わかりやすい説明です。

普通だといいが、今は核家族で頑張って、お父さんが協力しながら少ない構成人数で頑張って子供を育てている状況が多い。
おばあさん仮説によると、本来はおばあさん、あるいはおばあさんに相当する家族の仲間が皆で娘の子供を育ててゆく、やっぱりそれは本来の子育ての人間の形式だったのではないかと言うのが、一つの魅力的な考え方だと思う。
5人、6人育てた時代は家族で育てる。
おばあさん仮説はいまだに説ではあるけれども、魅力的な考えだと思う。

役割分担ができれば、余裕のある環境の中で、いろんな経験を与えながら、コミュニケーションをしながら育ってゆく、その環境の豊かさを提供するのは、お母さんだけではなく、そのほかのメンバーが関わって初めて成り立つ、成功すると考えている。
お母さんの顔を、一番、目にする他人の顔をいつから理解するのかと言う研究では、生後1~2カ月で理解できるという事が解っている。
お母さん の顔写真と見知らぬ女性の写真を生れたばかりの赤ちゃんに見せる、そうして赤ちゃんはどっちの写真をよく見るかなを調べると、1~2カ月でお母さんの顔に多くふれた赤ちゃんはお母さんの顔写真をよく見るようになる。

育ってゆく環境の中で、赤ちゃんにほほ笑みかけることによったりして、順次覚えてゆく。
生後6カ月で人の顔、声、ふるまいを区別できるようになる。
いろんな人にあやされることは大事だが とっかかり 基盤となるお母さんの顔がまず大事。
複数の人の中で育つ赤ちゃんとお母さんとだけの赤ちゃんとでは、笑顔の出方とか、他人の心への気付き、と言ったような能力の発達が、後の発達が多少違ってくるというような報告もある。

共感力は人間の心の非常にユニークな部分で、今、心理学の分野でも非常に注目されるキーワードになっている。
ラット、猿、クジラ、イルカなどは共感力を示すことが解っている。
仲間が波打ち際に打ち上げられると、他のイルカも集まってきて、多くのイルカが浜辺で苦しんでいる事が事件としてある。
一つの共感力ではないかと言われている。(辛い、悲しい ネガティブな心に対する共感力)
猿、ラットも感じることは実験的にも証明されている。
人間特有の共感力、じつは他人の嬉しい気持ち、ポジティブな気持まで共感してしまうという非常に面白い、ユニークな共感力を持っている。
勿論、人間は他人の悲しみ、苦しみにたいして共感することは、他の動物以上に持っているが
他人の嬉しさまでにも共感してしまうと言う非常にユニークな側面がある。

他人の喜び、嬉しさまでにも共感してしまうという人間特有の心の働きと言うものは、皆で子供を育てるという、人間特有の子育ての、非常に基盤として、重要な役割を果たしてきたのだと思います。
動物は何故ネガティブな共感力だけを持っているのか?
一つの説としては、他人の苦しみ、悲しみと言うような状況を見れば、自分には害が及ばないように、先立ってふるまう事が出来る、他人が危険だという状況が解れば、自分はそこに近づかないとか、逃げるとかで、自分の命を助けることに役だつ訳で、生存上非常に有利になる。

理解できないのは、何故人間は喜びにまで、共感できるのかと言う事は、生存可能性と言う事では解釈がなかなか難しい。
他人から共感を得られないと悲しい。 
凄く基本的な人間を支える重要な能力であることは間違いないと考えている。
私が考える共感力を高めるカギの一つは、真似をする、模倣することだと思っている。
猿マネ 猿まねするのは人間だけ。
日本猿は真似をしない 猿に真似をさせようとしても、猿は真似を返してこない。
チンパンジーですら、身体で真似をすることは、非常に難しいことだと解ってきた。

生れて1時間にも満たない赤ちゃんが、他人の表情を真似する研究もある。
自分の子供の前で実験をしたが、1時間では出来なかったが、2日後には顔のまねをした。
他人がレモンをかじっている表情をみて、酸っぱさを感じたりする。
同じ経験をすると、同じ心が沸き立つ、と言う事なんですよ。
人間の赤ちゃんは言葉を獲得する前から、嫌になるぐらいまねをするが、子供が他人の心に気付いてゆくという上で、非常に重要な役割を果たしている、と考えています。

母親が笑う、と 赤ちゃんも笑うが、身体としての形としての笑いだけではなくて、お母さんが嬉しいという気持ちに、子供自身も気付いてくることになる。
模倣の重要な役割だと思う。  共感力を成りたたせるために模倣は凄く重要な役割を果たす。
赤ちゃんに教えたいと思うが、同じようなことをさせてあげる、同じ経験を積み重ねてあげる
そうすると、母親とかの気持ちに気付くことになる、それから成長してゆくと自分とは違う心を持っていることに気付く。
自分と他者の違いにも、気付くことが大事。
猿の研究 猿の前で人間が一生懸命猿のまねをする、そうすると真似をしている人の場所にずーっといる。
食べ物を食べている時、その真似をしている人のそばで食べる。
真似をしている人に、距離が近ずく。
人間と猿との進化的に心の進化が有る部分共通するならば、真似が人の心と心、あるいは猿と人間との心をつなぐ、一つの証拠だと思います。
猿は真似をしている人間に、非常に親近感を覚える。

赤ちゃんの前で、1人は赤ちゃんのまねをドンドンする、もう1人は真似をしない。
そういう過程を経て、赤ちゃんにおもちゃを与えると、赤ちゃんは真似をしてくれている実験者の方におもちゃを渡したり、一緒に遊ぼうと距離を縮めたりする。
心と心を近づけるだけでなく、信頼と言う事にもつながっていると考えている。

いろんな悲しいニュースに出会う。
もしかすると私たちは今、子供を育てるという環境に、本来あるべきものを失いかけている可能性があるのではないかと心配になる。
お母さんが積極的にあかちゃんに関わる事が必要。
いろんな人と出会うと、母親は自分を守ってくれる存在なので、共感力は得やすい(自分を守ってくれるとの思い)
大きくなると真似する対象は変わる。(幼稚園の友達に出会うが、親とは違う存在)
兄弟、学校に上がると、先生、友達  真似したい対象がドンドン増える。
それこそが人間の共感力を深めるうえで、大変重要なことだと考えている。

共感する対象、共感する場面が多様に、柔軟に発揮することができる。
解りあえないときには、共感は持てないが、解りあうためには、こういった共感性をもったらいいんだ、こういう人には共感性を持ちやすいという様々な問題意識を抱えることによって、人間はより複雑な共感力、より深い共感力を獲得してゆくことができるはず。
自分を解ってくれない人に出会う事も人間の心の成長の一つですね。
核家族化、近所付き合いが減っている。  現代の赤ちゃんの環境には良くない。

高齢者の施設にケアに行く 核家族で育っている赤ちゃんでも高齢者とのコミュニケーションができる。
皆で育てる。 父親が関わる、実現できる社会にする、と言うのが私の強い思いですね。
社会全体が深く理解して、受け止めて当たり前のこととして認める、という事も人間の子育てを普通にするという意味ではとっても大事なことです。
地域の人たちとのかかわりあいも大事。
私の小さい頃、街のお祭り 大人から子供まで全員が参加するが、1カ月前から一緒に練習したりして、褒められたり、同じ時期、同じ経験をする、当日成功したときには嬉しいわけです。
同じ実感、同じことを経験、共有する 同じ目標に達した時に、共感性が生まれる。
子供時代に、こういった経験をすることは、多分同じことが人間の子育て全体にいえることなのではないかと強く思う。
私が伝えたいのは、お母さん一人で頑張ることは無い、他人の手を借りる、それによって赤ちゃんにとっても、父母にとっても当たり前の事であり、余裕を持って子育てをするには、非常に重要なことである。