2012年12月20日木曜日

篠塚健次郎(ラリードライバー)      ・パリダカからエコカーレースへ

篠塚健次郎(ラリードライバー64歳)    パリダカからエコカーレースへ  
パリからアフリカ・セネガル のダカールまでの12000km走り 、途中サハラ砂漠を縦断し 世界一過酷なモータースポーツと言われている通商パリダカ
このラリーで総合優勝の実績を持つ篠塚さんは2008年から母校の東海大学のドライバーとして、ソーラーカーレースに参戦 親交の有る技術者とチームを結成
世界最速となる時速90km以上の達成を目標にギネスでの認定をめざしています  
今まで化石燃料で世界を走ってきましたが、これからクリーンな車を提案するのが、義務だと思うようになりました  
ソーラーカーでも早く走れることを多くの人に知ってほしいと、新たなラリードラバー人生に意欲を燃やしています  
パリダカ等、22回の出場で 7回の栄光に輝きました

基本的には1月1日にスタートする ときがあるが 前後してスタートする場合がある 
20日間位走るレース
フランス人は長いレースが好き  
過酷 冒険 瞬発力だけではなくて 作戦を立てて 旨く行ったとか行かなかったとかも併せてやることが好きな国民
第一回目が1979年に行われた  
どんな車でもいいという とっても荒っぽいレースが基本 「ティエリー・サビーヌ」と言う人が計画したレース
1日約800km走る 沙漠で道が無いところ 
GPSが当時は無かった コンパスで角度をみながら 沙漠は道が無いので方角で行かなくてはならなかった
途中で砂丘が出てきたりすると 行きたいのだけれどもいけない処があり、ミスコースする車が結構ある
レースをやりながら危険なことが多くある
「私にできるのは冒険の扉を示すこと 扉の向こうには危険が待っている  
扉を開くのは君だ 望むなら連れて行こう」   ティエリー・サビーヌの言葉
危険なことは判ってて参加する 
サーキットレーサーならヘリコプターが来て直ぐに病院に運んでくれるが、このレースではそうはいかない 
手当が遅れて亡くなる場合がある
いろんなリスクがあるがクリアしながらレースをする  
日本人が考えるのは 何でこんな危険なレースをするんだ なんかあったらどうするんだ
責任は誰が取るんだ と言う風になる 
 
貴方は危険な競技と判ってて、やっているんだから それは貴方の責任でしょうと、とってもクリアーな考え方
すべてはあなたの責任ですよ、嫌だったら出なければいいじゃないですか、と言うようなことです 日本人とは全然違う
18歳の時に(大学1年) ラリーと言う言葉も知らなかった  友達に誘われてラリーに参加した (ナビゲーター役)  
車が横に滑ることを体験して、衝撃的に面白かった
こんな風に車は動くんだと経験した 感動的だった  これが病みつきになった 
学校にはあまり行かずにアルバイトで金を稼いで、出場するようになった
自分に向いているのかなあと思うようになった  
パリダカに22回参加  1986年 第8回大会から出る 2007年まで走る

2008年 主催者から重大発表がある 通過するモリタニアと言う国でテロリストが暗躍していて パリダカを襲うと脅迫しているとのことで今回は中止にしますとの事
中止に成ってしまったので、凄いショックだった  
その頃からアフリカのいろんな国で内乱、指導者が変わったりで ちょっとラリーを出来る情勢では無くなった
南米にコースは変わった 2009年から    
フランス スタート 南フランスまで800km アフリカに入るのも毎年変わる モロッコ 山岳国家 アトラス山脈 3000m級の山を越える 雪が降るしスキー場も有る
そこから南に行く モリタニアは90%が沙漠の国 セネガルのダカールに着く事になる 
フランス人がリタイアした人が住みつく人が結構いる
どばく 下が堅い土地をいう さばくは砂地  コースのうち 1/3が沙漠 1/3がどばく 1/3がちゃんとした道

凄く丈夫に作らないと車は壊れてしまう  車をつくる時の感覚が全然違う  
ミスしても車が壊れないように作ると言う考え方(F1等とは全然違う)
大きな事故は3回起こしている 
1991年  3位を走っていて、砂丘で大きなうねりを越えている時 150kmを越えていた時 予想外のジャンプをして、バンパーから着地  縦に転倒 6回転した 
ナビゲーターが怪我をしてしまって、そこでリタイアーした 
その年に自分が載っている車のモデルテェンジする予定だった  
なにがなんでも勝たなくてはいけないという思いがあり、頑張りすぎた
 
修理工場がそのままついてゆくような感じ 何が壊れるか予想出来ない  
競技車3台、4台走るがトラックが7台、8台 必要になる 全部で50人ぐらいの編成
チームにノウハウが無いといけない 実際にアフリカで走ったことが無いといけない  
優勝1回 2位が2回 3位が4回  (22回中)
最初の頃は途轍もなくヨーロッパのチームは 巨大なチームだった  
物量には叶わなかったが段々コンパクトなチームでも勝てる様なノウハウを積んできた
ヨーロッパでは車は大事な産業だと言う事を理解している 
アピールする必要があると言う事を大事に思っている
建物が凄い 100年以上たっているものがたくさん有る  古いものを大事にする  
衣食住、文化、芸術、スポーツ 各分野で世界一だと自負している
毎週どこへ行ってもイベントがある 
  
8000万人がフランスに来る 日本は700万人位 
日本も凄いと思うのでもっともっとアピールして世界の国から来て貰うようにしたいもの
フランス人は戦う事が好き 競争するのが好き  
凱旋門、からスタートしたり、ベルサイユ宮殿からスタートしたり 最も人気のあるところからスタートする
1971年プロのラリードライバーになりたかったが、ラリーという、そういう職業は無かった  
とりあえず社員になった
ラリーは会社の出張で出掛けた 契約ドライバーで有れば走るだけだったので社員で良かった  いろいろなことが出来た
2008年を最後にラリードライバーを辞める