2025年7月30日水曜日

立川志の春(落語家)           ・一寸先はわからない

立川志の春(落語家)           ・一寸先はわからない 

志の春さんは大阪の出身。  父親の転勤で8歳から3年間アメリカニューヨークで過ごし、帰国後千葉の高校からアメリカのイエール大学に留学、卒業後商社で鉄鉱石を扱う部門で働きます。  2001年に偶然立川志の輔さんの落語を聞いて衝撃を受け、商社を辞めて落語家の道を歩む事になります。  26歳で志の輔さんに入門して、2011年に二つ目2020年に真打に昇進しました。  古典、新作とどちらも見事にこなす今注目の落語家です。  また英語で落語をする英語落語で海外の人たちにも喜んでもらうなど、新しい試みを行っています。

昭和51年生まれ、48歳です。  師匠は二刀流なので新作もやるように言われています。   新作を自分で作ってみると古典がどれだけうまくできているかと言うのを、再確認できます。  手持ちは古典が120ぐらい、新作が50ぐらいです。  新作は一回やった後、練り上げてゆく事が必要ですね。  子供の頃は相撲が好きでお相撲さんになりたかった。  スポーツは好きでした。  父親の仕事の関係で8歳の時にニューヨークに行きました。  順番にクラスの仲間から英語を習って、聞く方は半年、1年で出来るようなりました。 

帰国後、千葉県柏市で育つ。 渋谷教育学園幕張中学校・高等学校と楽しく過ごしました。     イェール大学に留学しました。 (親は猛反対でした。)   イェール大学に行くことは、英語が全く話せない8歳の時の恐怖の時の方が大きかったです。  大学では中国史を選択しました。  日本のことをもっと知りたい、経験したいという思いがありました。   日本通の友達から日本映画のことなどについて衝撃を受けました。  帰国後三井物産に入りました。  鉄鉱石を扱う部門に配属されました。  2年後に立川志の輔の落語と出会いました。落語ってこんなに面白いものだという事に度肝を抜かれました。(25歳)  その後落語一色の日々になりました。  

立川志の輔師匠に履歴書をもって会いに行くことになりました。  会社勤めを続けながらアマチュアとして落語を楽しむ方が、一番幸せではないのかと断られました。  会社を退職して再度会いに行きました。  弟子ではなく見習いと言う立場でスタートしました。  今やっておかないと後悔をするという確信はありました。  3番弟子となったのが26歳。 2011年に二つ目2020年に真打に昇進しました。  カルチャーショックでした。 アメリカでは褒めてのばすようなやり方に対して真反対でした。  気を遣うという事はむずかしかったです。  13回も破門されるようなことがありました。 

英語落語をやっています。  基本は海外に行ってやると言う事ですが、日本でも日本人と外国人が混ざったような会場で行います。  基本的には古典落語を訳してやっています。   げらげら笑うし、泣く時にはワーワー泣いているし落語の力を感じます。  AIで訳した古典落語を見せてもらったことがありますが、結構いい線いっているんです。  落語家になることに反対していた両親もよく見に来てくれています。  弟は大学卒業(オックスフォード大学数学科)後、劇団四季に6年ぐらい在籍して、今はミュージカルのプロデュースをしています。  子供の頃に新しい環境に入ることがそんなに怖くないという免疫が付いていた、それが今に繋がっていると思います。  出来るだけたくさんの古典落語を訳して、普遍性が備わっているからこそ、どの国の人が聞いても面白いし、人種、宗教観、とかがもろもろの人たちが同じ場で笑えるのが落語の笑いだと思うので、やって行きたい。  新作も普遍性が供えているものを作れるというのも一つの目標です。